11/21から23まで、大学の空手部OB会で、東京方面へ行ってきた。
毎年、11月は全日本にあわせて 大学のOB会がある。 2代上の先輩がいつもセッテティングしてくださるお陰で、もう20年以上も続いている。 最初の頃は、出場する選手もいて、大会を見てからと言う感じだったが、いつの間にか飲み会だけになってきた。 幹事の先輩はまだ籍があり、道場生の息子と観戦しているようだ。
大学当時、お世話になった、支部の師範が来ていればみんな会場にも行くかもしれないが、 残念ながら師範は、脳梗塞で倒れて、今は不自由な身になってしまったので、いらっしゃらない。
飲んでいる時も師範の話が出た。 一度OB会を開いて師範を呼んでみるか、と言う事だ。 大学時代は師範の家が大学に近く、何かと私用で召集がかかり多くの時間を接してきた。
庭の草掃除、引越し、模様替え、障子の張替えなど、 自分は3歳児の子守で夜の10時頃の呼び出しもあった。
用事がない時に暇つぶしによんでいるような節もあった。 また、貧乏大学生に腹いっぱい飯を食べさせる為によんでいるような感じもあった。
実際、飯をたくさん食わされるのが一番きついから困る、というようなやつもいた。
大学3年当時、主将だった自分は、夏休み、ほとんど師範の家へ行っていた。 自炊をし、おかずは決まって秋刀魚の塩焼きと、野菜炒め、貝の味噌汁。 師範の好みと自分の好みは全く一緒で、毎日同じものを食べていても飽きなかった。
めんどくさくて嫌だと思っていた人間もたくさんいただろう、そういう人間はうまく逃げていた。 深く関わっていないのでOB会にも出てこない。
しかし、当時は、嫌な事もあったが、お世話になった事が多く、感謝している人間が多いから師範の事が話題になる。 周りの評価は確かに色々あった。 しかしそれは当然だ、極真空手という特殊な世界は世間の常識とはちと違う、 そして何より、そういう批判している人間と、自分たちとでは師範との係わり合いの深さが違う。 感じ方が違って当たり前。 だが、関係ない。 師範は師範で、 自分を成長させてくれ、色々な経験をさせてくれた人生でもっとも大切な人の一人だ。 そして一番評価してくれた人だ。
新潟にいる自分が師範との連絡をすることになった。
楽しくやれればいい。