唯のブログ。

病気の体験、療養生活や日々思いついた事などを書き留めているブログ。時々毒吐き。楽しめれば最高、無理なら受け流す。

医者の怖さ。

2017-08-06 08:44:48 | インポート
2014.8.16  の事。

【今日のバイタル】
 血圧    81-57。
 脈拍    85。
酸素濃度  97%  (最近の最高値、看護婦さんもびっくり) 
体温     36.7℃
体重     59.4㎏

朝の回診で、「リバロ」の副作用に間質性肺炎があるので、一時やめたい旨を伝えると、
 
「関係ない、もしそうなら、今頃 肺炎が進んで岩崎さん、生きてません。 副作用はそれほど強いものなんですから。」 

 えらい剣幕で、

 今回ステロイド治療をしなかった事。
 東京の病院で勧められた大腸の手術をしなかった事。
 今まで、薬を減らしてくれと勝手なお願いをしてきた事。 など  を非難され、
 
 心臓の状態がどれ程悪いか解ってない、今までそう言う患者さんが無くなった時本人は知らないから良いけど、家族がどれ程悲しんで後悔するかを経験しているのですよ。
   
 東京の病院みたいな事は出来るだけしたくないから我慢しているのに、何も解らないのに勝手な判断をするならもう面倒見られません、、等と怒られる。
  
挙句の果てに、今申請しようとしている在宅酸素療法の申請も、
  「肺の先生が、岩崎さんは、どうせ申請しても使わないかも知れないので申請やめましょうかと言ってますからそうしますか? あれも結構面倒なんですよ。」 
    と言う所まで行ってしまう。

大腸手術の件など、こちらの先生は東京の病院での事を良く知らないので、少し説明しようとしても取り付く島も無い。。

せっかく、入院しているのだから、「リバロ」を一旦止めて、よくない結果だったらまた戻せばいいのではないですかと、言うだけなのだが、、、、、。
 
 最後は、飲みたくなければ飲まなくていいです。 といって、去って行きました。

誰も、悪くなりたく無いし、ましてやこの状態で自分の身体を粗末に扱ったりしたくない。
だからこそのお願いなのだが、先生には完全に自分勝手な患者と映っているようで何とも理解してもらうのは無理なようでした。

西洋医師、西洋医学界とは考えが全く違うので慣れているのだけれど、流石に疲れる。

先生にしてみたらどうしようもなく面倒な患者なのでしょうから、ご迷惑をお掛けしましてすいませんというしかないのである。

 しかし、心は穏やかで、それ程気を揉む事もない。
仕方無いか。 

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医者はもちろん良かれと思って言っていたのでしょうが、、、
  全く人生観や価値観、経験値が違うので、私が命を粗末にしていると感じてしまうようだ。

 逆にこちらからしたら、「あんたはなんで損なに俺を痛めつけるのだ。」 と、言う感じなのだ。
  健康になりたいとから反論しているのが全く理解されなかった。 

 3年前の入院中、医者の勝手な価値観を押し付けられて閉口した。

貴方の心臓は副作用が強い薬でも使わなくてはならないほど悪くなっているんですよ。死んだら家族が悲しむんですよ。
  もっと命を大切にしなくてはだめですよ。。。。などなど。


医者はそう偉そうに言っていたが、結果、副作用で間質性肺炎になり酸素吸入が離せない体になった。
 その後、薬を少しずつ減らし、全部やめてもう1年以上になる。
医者の「絶対投薬」は何だったんだと、、、

人生、後悔は先にたたないのです。
 空気を読んで医者の意見に従う愚。
自分の、人を見る目の無さ、を悔やむしかないね。
 
今の状況になったから経験できる、気が付く事ができる、また違った人生もある。

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脳が働いてくれるのだが。。

2017-08-03 19:31:55 | インポート


 最近、何故か過去の出来事が頭に浮かんでくる。

 あの時はこうして逆境を乗り越えた。
   なんだか訳もわからず一生懸命やっていたが、結局一番良い結果に結びついた。
   何故か、自分にお鉢が回ってきて上手にできなかった。 今ならこうする。
   随分と無理なやり方で収益を上げたが、お客さんには損をさせるのによくOKもらえたな。

     
  どうにも膠着した現状を変えるが如く、
  脳自らが勝手に過去をさかのぼってそのヒントを探しているような感じだ。

 
 成功体験はたくさんあるが、偶然の産物みたいなのもが多い。
  
 全日本に出たのは偶然だった。 漠然と思い、なんとなく結果が付いてきた。 狙って結果が出た訳ではない。
 仕事もそうだ、ノルマをこなすため必死になってやっていただけ。 だから精一杯だった。
 少し時間を置いて、別な会社で営業をした時は少しは成長して、考えて動くことだけに集中して結果が付いてくるようになったが、その完成形を見る前に辞めてしまった。
 潰瘍性大腸炎も色々考えて一時期は薬も使わず寛解していたが、今となっては、完治では無く、正に寛解だったのだ。 それ以降、膠着している。

 最初は集中してゆく道を進んでいるが、途中で緩み、別な情報が入ってくると、それに引っ張られてぶれる。
   こんなことの繰り返しのように思う。
 
  多分、今求められているのは、一生懸命ではなく、理論的に処方箋を導きだして、筋道どおりに進んで結果に結びつける事なのだろう。

  そう言う事が今まで中途半端になっていた。  これを習得する。。
 

  



がん検診は必要か????

2017-08-03 09:43:48 | インポート


がん検診の本当の事。

http://biz-journal.jp/2017/08/post_20040.html

『「乳がん検診の邪魔をする奴は許さん!」と言われたそうです。
一番の問題は、皆が早期発見・早期治療が大切だと善意で思いたがっていることです。 』
    とのことです。。。。
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個別のケースは別にして、全体で見れば、、、、
 安易な、がん検診やがんの3大治療をしなければ、
確実に「がんで死ぬ人」、「がんで寿命を短くする人」は減ると思う。
 そして、医療費の大幅な削減になる。
医療費は保険や税金で賄われるが、結局は自分に負担がくるのです。
 医療全体に言える事で、日本は検診や治療、投薬が過剰すぎて逆に健康を害している。 そして医療費として税金が無駄に流れていく。
すぐに医師の言う事を聞かないで、自分でゆっくり考えてみればいい。 医師も製薬会社も自分の不利益になる事を積極的に言うはずはないと思う。


運転中に思ったこと。 闇。

2017-08-02 20:11:27 | 

 自分が病気になって、心配してくれたのだろうが、人から
  「自分をゆるしてあげるんだよ、自分を好きになれないから病気になるんだよ。」
  などと唐突に言われた事があった。
   何も知らないで、こちらの境遇を勝手に想像して、勝手なアドバイスをされた。

 全く困ったもので、先方の勝手な思い込みを押し付けられて、体調が悪い中そんなことを言われて気分が悪かった事を思い出す。

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  当時というより、ずっとそうなのだが、
  「どうして自分はこんなに恵まれているのだろう、他の人に申し訳ない。」 常にそういう感情に支配されていて、何かあれば、俺が引いてあげるよ俺の方が恵まれているから譲ってあげるよ。 と、そういう中で生きていた。

 そんな恵まれた俺に、自分を愛せとか好きになれとか言われても困ってしまうのである。
 
 
 田舎に育ったが、そこそこ有名な家柄で広い土地と大きな家で生活していた。

 運動も勉強もそこそこはできたが、役が殆どまわってくる。

 一生懸命努力はしたが、それ以上に結果がついて来る。

 中高と長距離で苦労したが、それも大学で報われた。

 師範からは申し訳ないくらい特別扱いされた。 あいつを見習えと模範のようにも言われていたようだ。
 
 就職活動では先輩から声がかかり、特別な活動をする事もなく、進路が決まった。
 それを知らないゼミの先生は就職担当だったので私には具体的な企業を優先的に提案してくる。君ならどこへ出しても恥ずかしくないなどとも言う。

 後輩の仲人は渋るのに、その同じ支店長が、私には早く結婚しろと一生懸命相手を探してくれたりする。

 転勤する時は、客、同僚、知人から盛大に見送られたり惜しまれたりする。 客に涙を流される事もあった。

 お客は、大損してまで、自分の実績に協力してくれる。

 先天的に身長もあって、肉体的にも恵まれている。

 もちろん貧弱な面も十分あるのだが、
   なぜ、自分だけがこれほどまでに恵まれているのか。 信じられないくらいに恵まれていたのだ。
 
 
 が、しかし、何故か上手くいっても、恵まれても、「申し訳ない」とか「恐縮する」 ような感情に支配されていた。
 謙虚とか、自制とかの感情では無くて、 明らかに自分に不釣合いなのではないかというような感情だった。


 俺は成功してはいけないのだ。 俺は恵まれてはいけないのだ。
   成功すると、妬まれる、 嫌われる、 意地悪をされる。 挙句、暴力を振るわれるような不安感。 
 
    そんな感情が裏側にあったような気がする。  上手くいっていると不安なのだ。

  誰かに怒られるような気がして、 誰かに攻撃されるような気がして 俺は沈んでいたほうが良いと感じていた。 

 運転中に急にそういうことが頭に浮かんで、自分で自分の生きるレベル、位置を決めていてしまったのではないか?
   と、気がついた。

 脳が、上昇を拒否してるのだから、 下位低迷が落ち着くのだから、 そういう位置に収束していくのだ。
 どんなに天が味方してくれても、自分で居心地のよいところへ沈んでいくような。。。。。
 
 
 当時は何とも思っていなかったが、
  親からの様々な形を変えた虐待があった事。
  兄からは散々搾取され、それを黙って耐えなければ生けなかった事。 などがあって、

 大人になってから、自分の精神が蝕まれている事はなんとなく気がついていたが、 今回のような具体的な考察には至っていなかった。

 自覚があって、診療内科を受診したり精神鑑定を受けたりしたが、医師には解明してもらえなかった。

 
 「いや、俺はいいです。」  「自分はだめです。」 などと言っていたのは謙虚ではなく、自己評価の低さからだったのだ。

 恵まれていたら、感謝すればよかったのだ。  遠慮や自虐ではなく、感謝。 そしてその位置を自分で勝ち取った当然の権利として受け入れて誇ってよかったのだ。 

 しかし、俺の中の感情が成功を喜ぶ事、受け入れる事、当たり前だと感じる事を拒否していたのだ。

 
  恐ろしきかな、幼少時に植えつけられた恐怖心。 

     自虐や卑屈の感情ではなく、感謝や自尊を育てよう。
 

 

 
 
 
 
 


気になる言葉。

2017-08-02 20:06:37 | インポート

  TVを見ていて、嫌われる勇気、からこんな言葉を説明していた。

   「他者は、あなたを満足させるためにいるわけではない。」

  相手に対して、見返りを求めたり、こちらの期待する答えを求めたりするから不満がたまる。

  自分の行動に、相手の反応を結び付けない事が大切だと、、、つくづく思う。