アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

トヨタ創業者との意外な無関係  還暦の主張 ~中~

2008年06月15日 | Weblog
  還暦パパ 還暦の主張「父の日にあたって」~中
                 トヨタ創業者との意外な無関係
 
 1873年(明治6年)草川為之介は、19歳になっていた。1月に徴兵令が公布された。政府は、20歳以上の男子を兵籍に入れ、3年間兵役に就かせることにした。草川家に代人料270円(現在の相場に換算して約200万円)を支払うことができれば兵役は免除されるのだが、残念ながら草川家にそのようなお金は無かった。
 為之介は、徴兵を忌避し、新天地を求め北海道へ渡った。「一番景気のいいところへ行こう」たどり着いたのは、小樽だった。そこで、とりあえず必要なのが、戸籍であった。役所へ行き、戸籍を求める列に並んだ。順番を待つ間に、首尾良く戸籍を得る者と、追い返される者がいることに気づいた。その差は、袖の下であった。
 「戸籍がほしいのですが・・・」
 為之介は、大奮発してなけなしの銭を握らせた。
 「豊田金六という、遠江の国(とおとうみのくに)山口村から来た人の戸籍が空いておるが、ここに入るか?」
 「はい、お願いします。」
 これまた何とも簡単なものである。戸籍が空いているということは?そんなことが出来たんだ?!当時の様子がうかがえる。かくして、草川為之介は、豊田金六の戸籍に勝手に養子に入り、「豊田為之介」となった。遠江の国山口村は、現在の静岡県湖西市。豊田佐吉の出身地で佐吉の銅像もある。金六さんと佐吉さん、同じ村なので遊んだことがあったかも。父の日を1週間前倒しした私の長男は、なんと今、湖西市のYコーポレーション(仮名)で自動車部品の開発に携わっている。コレは?単なる偶然ですが、おもしろい話です。なお、長男がYコーポレーションの入社試験に合格したとき、「(Yコーポレーションの親分筋が世界のトヨタ自動車なので)トヨタの創業者と同じ姓が幸いしたのでは」との説がでた・・・というかぁ親が勝手に出した。
 話を戻そう。為之介は、羅卒(現在の警察官)となった。佐渡出身の、「ハツ」と結婚し、四男一女をもうけた。四男は、父「太忠」から、一字をいただき、「忠(ただし)」と名付けた。
 為之介は、12歳まで帯刀していたサムライで、郡随一の遣い手であったため、警察官の剣道指南役も務めた。
 大正から昭和へ変わろうとしていた北海道で、男子の手習いは剣道であった。四男の忠も道場へ通いめきめき腕を上げた。時折、為之介が警察道場で稽古をつけた。凄い父親!
 忠にとって、父為之介は、絶対の父権を持った父親であった。酒を飲むと為之介は、「草川太忠」の天誅組の変での活躍の話をするのが常であった。もっとも活躍といっても、早籠に乗って、江戸から高取まで行き、帰りに柿をもらって帰ってきただけなのであるが…子ども達は皆その話を聞くのが楽しみであった。
 忠は、一男二女をもうけた。忠は、剣道が教士七段、居合道は五段、刀剣鑑定は中傳位というサムライであった。
 忠は、刀剣愛好グループに参加し、自身も数振りの日本刀を所有していた。その筋の方が、一振り譲れと言ってきた。忠は、当然ながら拒否した。組員達がやってきて、忠を組事務所へ連れて行った。「すわ一大事」と、剣道仲間、居合仲間、刀剣仲間が忠を救出すべく組事務所前に集結した。仲間には、数人の警察官も含まれていた。これには組の皆さんも驚いて、忠を解放した。この時の忠の態度が、「マル暴を恐れぬ肝っ玉」と評判になった。
 忠は、酒もタバコも賭け事も一切やらなかった。町内会の冠婚葬祭に奔走し、剣道、居合道の連盟、刀剣愛好会で世話人を引き受け、鍛錬も休むことがなかった。とにかく「私心」というものがない。自ら語ることは勿論無かったが、「仁愛」を感じさせられた。これはサムライ魂だなあと私は思った。
(還暦の主張はさらに続きます)


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