アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

天誅組の変 祖先が関与 還暦の主張「父の日にあたって」 上

2008年06月14日 | Weblog
還暦パパ 還暦の主張「父の日にあたって」上 天誅組の変 台湾の父の日

 6月8日(日)夕刻、ベトナムから帰ってきたばかりで、腹具合を悪くして伏していた長男から電話が来た。「父の日だから、電話したよ・・・」律儀な息子だ。ところで父の日って6月8日(第2日曜日)だったけ?日本の父の日の定義(?)は、『6月の15日~21日のうち日曜日に該当する日』となっている。難しい言い回しだよね。「日曜日に該当する日」って何?「日曜日そのものでしょ!」簡単に表現すればいいのに。それはともかく、どう頑張っても父の日は、第3日曜日(今年の場合6月15日)になるはずだ。良く言うと、1週間前倒ししてお祝いの電話をくれた。悪く言うと、1週間間違った。と、いうわけ。
 長男から、父の日おめでとう(?)の電話が来たので、家内は8日を父の日と思いこみ長女と二男へ、「父の日につき、お父さんに電話か、メールを忘れずに・・・」というメールを(父親には内緒で)送っていた。父の日を1週間早める!長男も長男なら母親も母親。血は争えない?!
 台湾の父の日(父親節)は、わかりやすい。8月8日。なぜ8月8日か?それは、台湾でも「父=パパ(漢字は父の下に巴と書く。~このサイトで、手書き文字入力が反応してくれませんでした~その漢字を2つ続けて、パパ)」。数字の88の発音も「パパ」。発音が、「父の下に巴×2=88」というわけで、父の日を8月8日に決定!父の日の起源といわれている、アメリカ合衆国の逸話など無視した決め方がおもしろい。ウソだろうって?還暦パパはウソはつきません。法螺は大好きですけど(ウソと法螺は、正反対のものです。ウソは人を悲しくさせる。しかしbut! 法螺は、人を愉快にさせる。)還暦パパ的には、父の日8月8日のほうが好きかな。「6月4日、虫歯予防ディー」みたいで、こじつけが笑えるから。
 父の日にあたり、還暦パパが、「父性の復活」について主張を述べます。
 なぜって?今、父親の存在が薄い。父が薄くても母が濃い時代はそれで良かった。今、母親が薄くなってきている。父親!出てこいよ。父性の復権だ!というわけです。
 まず、父性の典型、私の曾祖父に御登場願いました。歴史小説仕立てです。間違えました、歴史小説風仕立てです。

 天誅組の変

 高取藩(今の奈良県)江戸留守居役家老「草川太忠(くさがわたちゅう)」は、天誅組が高取城を攻めると知って、早籠で江戸から駆けつけたぁ。この草川太忠が私の曾祖父。高取に着いた時には、天誅組は退散しており乱は治まっていた。  
高取城は日本の三大山城(美濃岩村城、備中松山城、大和高取城)の一つで、標高584メートルの高取山の頂にある。1863年8月26日に天誅組が高取城を攻めたわけですが、太平の世に浸かりきった連中に、山城を攻める技術などあるはずがなかった。なにしろ、田んぼの畦道を一列に並んで攻めて来たそうです。また、山頂までの道も細く長く斜度がきつい。大砲を撃たれ、びっくりして逃げ出したそう。この天誅組の変、犠牲者は天誅組の2名のみ。この2名は、逃げる際に転んで、逃げ惑う味方に踏まれて亡くなった。轢死と言うべきか圧死というべきか…そりゃないだろうというべき戦死の仕方(?)です…。
 大砲の直撃をくらった天誅組の兵士は、鉄鍋をかぶっていたのが幸いし、2日間の耳鳴りで済んだという。直撃で耳鳴りだけ…これは凄い!なんとものどかな戦です。『御家の一大事に早籠で江戸から、高取まで駆けつける』3~4日はかかったでしょう。これまたのどかなものです。乱は治まったが、残党が不穏な動きをしていたので、太忠はしばらく高取に滞在した。天誅組が完全に壊滅したのは9月24日の鷲家口村の戦闘でした。
 太忠が江戸へ戻るにあたり、城主(植村家保:いえもり)は、遠路駆けつけた褒美として、柿をたくさんもたせてくれた。息子の為之介(ためのすけ、私の祖父)は、柿をたらふく食った記憶がある。量が多かったので、干し柿にもした。為之介にとって父親、「太忠」は、天誅組に早籠で立ち向かおうとした英雄であり、尊敬できる人物であり、甘い甘い柿と、さらには干し柿さえもたらした、絶対の存在であったことは間違いない。この時代父性は、厳然として存在した。
1868年(慶応4年、明治元年)草川太忠は、高取藩の「参政」に任ぜられ、さらに「東京公用人」を兼務した。江戸は東京と、名称変更された。
 その後の藩政の改革で、家禄は9割減となった。廃藩置県で、高取藩は高取県となり、さらに奈良県となった。
 1871年(明治4年)末。太忠の勤務する東京出張所は閉鎖された。追い打ちをかけるように、武士階級の特権を剥奪する諸制度の改革が相次いだ。草川家は凋落の一途をたどることになる。
 司馬遼太郎ファンの方、遼太郎の短編に、「おお、大砲」というのがあります。天誅組の変のことが書かれています。太忠さんは、登場しませんが、影を感じます・・・。 (つづく)

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