「ゆわさる別室 」の別室

日々BGMな音楽付き見聞録(現在たれぱんだとキイロイトリ暴走中)~sulphurous monkeys~

20050919

2005-09-19 | 矮小布団圧縮袋

○Fine Boysの附録の財布の大きさはデジカメ入れにちょうどいいのである(ぱんだの座布団ではない・笑)…午前は自宅で、たまりにたまっている宿題(汗)の入力の続きをし、午後は夕方まで旧宅の荷物の整理でゴミをまとめ、いよいよ中古処分に出そうと思う本は別の箱にkeepし、自宅に運ぶべき本のダンボール2箱を移動。まだ長い本棚6つ位と押入3つ分位充満してるのをダンボールに入れたら何十個になるのか、と思いながら、TV雑誌の解体も今日、作業時間を計りながら数時間試してみたが、バラしながら詰めていては圧倒的に効率が悪い。既に夏のうちに年度内の注文を2つも断るという不義理を犯していながら、まだその他に下半期の修羅場に向かう予定の現場の仕事も並行するから、一日中を自由に掃除と引越作業だけしていられる身分でもないのだ。多少新居の収納が飽和しても「まず先に運んで旧宅を空にしなければ」、そして雑誌整理と解体はそれからか、と、いよいよ秋以降の作業の見通しに諦念が伴ってきた(哀)。荷物が少なきゃ綺麗な新居も、今後は「整然」とはいきそうにないな(号泣)。しかし、たまたま今年は個人的な「人生の出来事的イベント」である転居と長期出張と、偶然「KinKi血中濃度」の比較的薄めの夏だったこととが重なって、「整理の潮時」のような按配になったのだろうと思う。ここ数年の「ほぼ昼夜のデスク残業と自宅でのKinKi三昧との往復」という生活とは違った違和感のある毎日を、今年の春から半年近く送っている気がするのだ。これは今後の人生の変化の前兆なのかどうか、まだよくわからないのだが、少なくとも、仕事と娯楽とに没頭していると考える暇のない問題=「会社とも娯楽とも離れている時の自分は、今後どう生きるべきか」をこの際、独りじっくり悩んで考えろ、というような何かの啓示かもしれない。自分は大勢の人たちと賑やかに過ごすことが非常に苦手で、一人で部屋でじっとしていても何ともなくむしろその方が楽で(←※、お、今始まった「どんなもんや」でしゃべっている人みたいな事を云ってるぞ自分・爆)、生活もそうでありたいと何十年もずっと思ってきた。が、この半年を経て、自活した社会の成員として単純にそれだけでよいのだろうか、という気も少ししてきた。といっても何をしようと考えているわけでもないのであるが。まあ何かと「無用の用」に厳しい最近の世相風潮からして一人で自律的に生活を構えようとする老人に社会の風当たりは強くなっていくだろうという予感がするのとは別の問題としても。あと何年で自分は「敬老」の「老」のうちに入るのか、その時も案外今と全く同じ生活をしているのか、と考えてたら「ビロードの闇」がきた。退屈な夢くらい見させてもらいたいもんだね寝る前の一瞬くらいは。(20050919)

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