風は東楡の木通りから

クリスチャンフルート吹きパスピエの愛する音楽、猫たち、薔薇の毎日

リセット

2007-03-24 23:39:34 | Weblog
最後の1人の生徒さんが中学進学を理由にフルートのレッスンをやめた。
私の指導の仕方がまずかったか、なんてかんがえちゃったけど、まあ、いいや。。。もう1人休会している生徒さんがいるが音信不通。問い合わせのあった60代の方もその後連絡なし・・・。

体調もよくない。抗鬱剤がまた増えた。
確かに先月よりは良くなっていると思うけど、まだ波がある。この調子で生徒を指導する自身がないのだ。もし、レッスンする日に調子が悪かったら迷惑をかけてしまうかもしれない。

今、生徒さんはゼロなったわけだし、これを機に私も講師やめさせていただいた。

音楽院のオーナーからも、楽院長からも、温かい言葉をいただいた。講師に限らず、良くなったらコンサートや音楽活動一緒にやろうといってくださって、なんだか悪い気がしてならない。

でも、今全てゼロにできることはゼロにして考えてみたかった。
私はどうするべきなのか。どうあるべきなのか。

そんな時、聖書を読んでいたらこんな御言葉が目に入った。



「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。」(ピリピ人への手紙2章3節)

「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行いなさい。」(ピリピ人への手紙2章13,14節)




私は虚栄から音楽を演奏していなかっただろうか。

私と同じ鬱のある人が髪の毛を黄色に染めているの見てを(なんであんな色にするの・・?髪の色かえても日本人じゃない・・・。」
私は人を高ぶった思いでみてはなかっただろうか。

そんな純日本人顔パーツの私も髪の毛の色を今、赤茶に染めている。自分が鬱になってから、こんな自分がいやで嫌でしょうがなく何もかも変えたいと思った。気分を変えたいと思った。

だから彼女も自分をどうにか変えたかったのだろうか、気分を新たにしたかったのかもしれない、とはじめて思った。愛あるものへと変えてください、導いてくださいと改めて祈りたい。

神様は心を探られる。私の状態を良くご存知だ。
今、心の中が平安で満たされている。
全て神様に委ねよう。