刺激的な題名につられて手に取ったのがこの本。
文春新書、声楽家で童謡や唱歌をはじめ日本の明治以降のうたについて、たくさんの著作を著し、楽譜の校訂もおこなっている藍川由美さんの「これでいいのか、にっぽんのうた」を読んだ。
「日本明治以来の歌が、日本語のとおり歌われているのだろうか。作曲あるいは詩がつくられているのだろか、などとあまり考えていない。とくに童謡、唱歌といわれる歌は、正確に作られ、正確に歌われていると多くの人が思っている。ところが、そうでない」という。この本によれば、あまりにもひどいと。
《椰子の実》の「国に変えらむ」の「ら」をのばして、「む」を東海林太郎は、「MU」と発音という、東京音楽学校コーラスでは、「M」。いまは「らん」と表記されているので、「ん」が多いという。
《荒城の月》の3番の歌詞「ただかづら」が「ただかつら」とされている楽譜もあるという。
音大に日本語の歌唱に関する授業がないという、ヨーロッパでは母国語の歌唱の授業がないとはあり得ないと。
日本の音楽教育が「唱歌」から始められたのは幸運と述べ、明治初めの唱歌がアメリカやヨーロッパの曲に日本語の歌詞をつけて歌われたと、紹介している。このなかで、≪むすんでひらいて≫の曲が、最初は≪見わたせば≫ として歌われたという。CDで聞くと、この元の歌詞を曲も味わい深い曲。≪アニーローリー≫は最初は≪才女≫。
その後、文部省がアメリカから導入した曲の元歌が讃美歌なので、キリスト教に利用されるというので、介入してきたことから、もともとの曲が勝手に改作されてきたという。
第二章では、「日本語の発音」について、書かれている。谷川雁さんと新実徳英さんの対談から始め、うたうときの言葉は、話すときの言葉と違って、もっとバラエティがあっていいいと、山田耕作の≪からたちの花≫は耕作自身が「みんなみんなやさしかったよ」の「し」は無声音で歌うように指示していることなどを紹介している。
この本を読んで、藍川由美さんの歌を聞くと楽しさは本当に倍増。
文春新書、声楽家で童謡や唱歌をはじめ日本の明治以降のうたについて、たくさんの著作を著し、楽譜の校訂もおこなっている藍川由美さんの「これでいいのか、にっぽんのうた」を読んだ。
「日本明治以来の歌が、日本語のとおり歌われているのだろうか。作曲あるいは詩がつくられているのだろか、などとあまり考えていない。とくに童謡、唱歌といわれる歌は、正確に作られ、正確に歌われていると多くの人が思っている。ところが、そうでない」という。この本によれば、あまりにもひどいと。
《椰子の実》の「国に変えらむ」の「ら」をのばして、「む」を東海林太郎は、「MU」と発音という、東京音楽学校コーラスでは、「M」。いまは「らん」と表記されているので、「ん」が多いという。
《荒城の月》の3番の歌詞「ただかづら」が「ただかつら」とされている楽譜もあるという。
音大に日本語の歌唱に関する授業がないという、ヨーロッパでは母国語の歌唱の授業がないとはあり得ないと。
日本の音楽教育が「唱歌」から始められたのは幸運と述べ、明治初めの唱歌がアメリカやヨーロッパの曲に日本語の歌詞をつけて歌われたと、紹介している。このなかで、≪むすんでひらいて≫の曲が、最初は≪見わたせば≫ として歌われたという。CDで聞くと、この元の歌詞を曲も味わい深い曲。≪アニーローリー≫は最初は≪才女≫。
その後、文部省がアメリカから導入した曲の元歌が讃美歌なので、キリスト教に利用されるというので、介入してきたことから、もともとの曲が勝手に改作されてきたという。
第二章では、「日本語の発音」について、書かれている。谷川雁さんと新実徳英さんの対談から始め、うたうときの言葉は、話すときの言葉と違って、もっとバラエティがあっていいいと、山田耕作の≪からたちの花≫は耕作自身が「みんなみんなやさしかったよ」の「し」は無声音で歌うように指示していることなどを紹介している。
この本を読んで、藍川由美さんの歌を聞くと楽しさは本当に倍増。