おとのくに♪♪

生徒さんのピアノレッスンで感じたこと、考えたこと、コンサートの感想などポツポツ綴っています。

リストの本で感動

2021年12月23日 | 書籍紹介

少し前に「師としてのリスト」を読んで、
リストのことを誤解していたカモ・・と、思っておりました。

レッスンでのリストの言葉、
「音楽をするというのは、もっと神聖な行為」
「全くの無心で、ごくシンプルに、静かな心で、自然体で」
「周りの注目を浴びるためではなく」
「今のは演奏というより騒音だ。耳で聴こうとしないなら、なぜピアノを弾いている?」

この言葉だけでも、まっとうな音楽家。

そのあとにご紹介した
「フランツ・リストは なぜ女たちを 失神させたのか」(新潮新書単行本 – 2013/12/14 浦久 俊彦 著)

こちらを読み終えたところです。

本の最後の方で、泣けてきました・・

リストは、ハンガリーの作曲家といわれていますが、
ご存知の通り、現在はオーストリア領の村の生まれで、
リストはハンガリー語は話せませんでした。

家系はドイツ系。
ウィーンでツェルニーの下で1年半学んだ後、12歳でパリに。
リストが最もよく使った言葉はフランス語。

マリー・ダグー伯爵夫人とのスイス、イタリアへの逃避行。
コンサート・ピアニスト引退後のワイマール宮廷楽長時代。
宮廷楽長辞職後の、ワイマール、ローマ、ブタペストの3分割された生活。

漂流者としての孤独。
「全世界が私に反対する」と。

「ドイツ人は私の音楽がフランス的だとして拒否し、
フランス人はドイツ的だという。
オーストリア人には、私がジプシー音楽をやり、ハンガリー人には外国の音楽をやると言われる。そしてユダヤ人は私の音楽を理由もなく嫌うのだ」

コンサートでの収入の多くを寄付し、
無償で後進の指導を続けたリスト。

「私の音楽上の望みは、私の槍を未来という漠然とした空に飛ばすこと。この槍がすぐれたもので、地面に落ちてさえこなければ、他のことはどうでもいいのです」

「芸術の使命は、苦悩に満ちた現実を、天空の高みに昇華させることだ」

リストは、自分を
「私はおそらく失敗した天才である。そのことは、時が教えてくれるだろう」と、言っていたそうです。


私は、ロシアンメソッドを通じて
ロシアンピアニズムの系譜を知りました。
そこにはリストの弟子たちの存在があります。


リストが放った槍は、未来である現世に届いていると感じます。


是非、この本を読んでいただきたいです。
マズルカやポロネーズをショパンが亡くなってから書いたこと。
ショパンの魂は私の中に生きていると、書きとめておきたかったのではないかと、この本を読んでいてそう思いました。

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リストの本 第2弾

2021年12月17日 | 書籍紹介

「師としてのリスト」のあとがきに、
「フランツ・リストは なぜ女たちを 失神させたのか」
という本の存在が紹介されていました。

このままリストの流れに乗って、読んでみようと思い
図書館から借りてきました。



読み始めたばかりですが、たまたま「師としてのリスト」の前に、
「名画で読み解くブルボン王朝」という本を読んでおりました。

ルイ14世だの16世が私の頭の中ではゴチャゴチャで、
アントワネットの旦那はどっちかも
よくわかっていなかったくらいなので、
この本を読んでスッキリしていたところでした。

アントワネットがマリア・テレジアの子供の中で
どんな存在だったか、
ブルボン王朝が復活したり、ナポレオン3世が統治したり、
といった話もしっかりと読めました。

なにせ、世界史で習った、
1789年フランス革命 
しか知らず、中身は全く知らなかったので・・


さて、リストがパリに行った頃の町の状況の描写が
「~なぜ失神させたのか」に書かれていて、
思いがけず読んでいた本のお陰で、
歴史がつながった感覚です。

マリー・ダグー伯爵夫人との関係がどう変化していったか、
ヴェネツィア、ローマ、ナポリ、フィレンツェ、と続いた
2人の巡礼の旅。逃避行と言うべきか・・

愛の夢第3番を「随分ばかげた曲を作ってしまったもんだ」
と言ったリストの心境が、
なんだか想像できるような2人の関係性の変化。

読んでいて、著者の少々主観的な見方が気にはなりますが、
昔と違い、今は作曲家の生涯を面白く読める本が作られているようで。


こちらもお薦め
名画で読み解く ブルボン王朝 12の物語 (光文社新書) 新書 – 2010/5/18 中野京子 (著)

ハプスブルク家も読むと、更に歴史が繋がります。
ロマノフ、ハプスブルク、ブルボンと読みましたが、この順番、なかなか良かったです。

音楽家が生きた時代の歴史背景がわかって、
面白かったです。
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リスト門下生(Lisztianer リスティアナー)

2021年12月09日 | 書籍紹介

前回、「師としてのリスト」という本をご紹介しました。

その本の最後に、リストの弟子たち(Lisztianer 弟子と認められた門下生たち)の録音が紹介されております。

リストの臨終に立ち会った弟子3人の中の一人、
ベルンハルト・シュターフェンハーゲン(Bernhard Stavenhagen 1862-1914 ドビュッシーと同い年です。)

リストの最後の高弟で、師に目をかけられ各地に同行。
彼の演奏が見つけられたので、ご紹介を。

19 Hungarian Rhapsodies, S244/R106: No. 12 in C-Sharp Minor (Welte-Mignon piano roll recording)


もう一人、リストの演奏に最も似ていると目されたピアニスト。

アルフレート・ライゼナウアー(Alfred Reisenauer 1853-1907)
11歳でリストに師事。巨漢で酒豪。リサイタル後、ホテルで急死。

19 Hungarian Rhapsodies, S244/R106: No. 10 in E Major, "Preludio" (Welte-Mignon piano roll...


他にも、リスティアナーの録音を見つけることができます。

少し聴いてみた所、この2人が印象的。
リストがレッスンで口にしていた言葉、
「それじゃ学生みたいだ、恥ずかしい」

この2人、その言葉とは無縁だったような演奏。
実際に作曲者本人であり、大ピアニストだったリストの前で
自分が作曲したかのような演奏を繰り広げていた様子が想像できます。

リストもフレンドリーに弟子に接していた様子で、
レッスン後に、一緒に飲みに出かけたり、トランプをしたり。


本を読みながら、リストが自分の和声法について、
音楽院を卒業できない、とよく言っていたようなので、
ドビュッシーの音楽は知っていたのだろうか・・、と
思いました。

シュターフェンハーゲンがドビュッシーと同い年。
もし、聴いたことがあるとしたら、どう思ったか知りたい・・

お弟子さんも作曲、編曲、即興などされていた様子。
リストは自分のことを
「編曲はいかにも私向きだが、作るとなるとそうもいかないのだよ」と、自虐的。

私はリストファンではなく、
ハンガリー狂詩曲第12番を弾かされていた時には、
「余計な音しかない。このハッタリ感、ゾッとする」
と、思っておりました

今回、シュターフェンハーゲンの演奏を聴いて、
「あら?いかにもジプシーっぽい民族色の濃い音楽。
上手い人が弾くと説得力がある。」

と、やっとこの曲を面白いと思えました。


でも、やっぱり弾きたくは



ない・・

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弟子が見たリスト

2021年12月06日 | 書籍紹介

「師としてのリスト」(音楽之友社)


1884年~1886年の間、リストの弟子であり、秘書でもあったアウグスト・ゲレリヒの14冊ある日記の内、6冊に書かれたリストのマスタークラスでのメモを編纂したもの。

長く閲覧できなかったそうですが、ゲレリヒのお孫さんがこれらの日記や写真などを、この本を編纂したヴィルヘルム・イェーガー氏に託され、この貴重な内容を目にすることが出来るようになったようです。

イェーガー氏の言葉が1973年12月とあります。

だいぶ以前からあったのか、と日本の本の奥付を見ると、
2021年6月第1刷。

何だ、今年?
こんなに期間が開いているのにもかかわらず、出版にこぎつけて下さり、感謝。翻訳がとても読みやすい言葉で、リストがその辺でレッスンをしているのかな?、と感じてしまいます。


当時レッスンされていた曲目が、今では聴いたこともない、というものが当たり前のように存在しています。

作曲家目線で曲を評価していたようで、ショパンの作品に関しては敬意を払っていたことが分かります。

ただ、スケルツォNo.2に関しては「女家庭教師スケルツォ」と言って毛嫌いしていたとのこと。
レッスンに持ってくることも拒否していたそう。

シューマンの作品に関しては、良いものとそうではないものがあったようで、幻想曲に関しては第1楽章の最後は素晴らしく美しい、と心奪われていた様子。

この曲のレッスンでは、
「音楽をするというのは、ただ作るだけでなく、もっと神聖な行為なのさ!」「全くの無心で、ごくシンプルに、静かな心で、自然体で弾きなさい」

自分の作品に関しては自虐的な言葉が多く、
早くこの曲のことは忘れてほしいとか、

愛の夢第3番においては、
「全く、私としたことが、随分とばかげた曲を作ってしまったもんだ」
「冒頭のテーマは重苦しくならず淡々と。愛しうる限り、と言っても、そもそも愛はそう長続きしないものだからね」
「今日では耳にタコができるほど浪費されているフレーズだ」

クララ・シューマンがどのような演奏をしていたかも、リストの言葉から知ることができます。

リストは、テンポを刻み堅苦しく演奏する様子を
「ライプツィヒっぽい」
もたついた重苦しい演奏を
「ドレスデンっぽい」
平凡な演奏や音楽を
「マカロニ」

と、表現していたようです。

低音で何を弾いているかわからないような演奏には
「うがいしちゃだめだ!」

ある生徒さんのレッスンで、
「あなたはいい加減、自力で何とかしなければいけない。私はもう何も説明できないし、あまりにも退屈している」「もっと一貫した流れで弾かないと」

「そんなに速くしないで。誰のことも気にしないように弾くんだ。周りの注目を浴びるためではなく」

「今のは演奏というより突き刺すような騒音だ。耳で聴こうとしないのなら、どうしてピアノを弾いているんだ?」


リストの録音は残っておりませんが、
この本を読むと、現代にリストがいても、きっとリストは伝説になるようなピアニストだったのだろうと思わせます。

ご紹介した言葉は、ほんの一部です。
リストを知る、というよりも音楽家リストの音楽への姿勢から学べることがある、と思う本です。

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コルトーの本

2021年09月11日 | 書籍紹介
コルトーの「フランス・ピアノ音楽1」(音楽の友社)を
読んでいます。


コルトーの文章は美しいです。

ただ、読みやすくはないです・・


ひとつのことを表現するのに、
修飾された言葉が非常に多いです。

その言葉が美しいのですが、
情景を一つ一つ想像してしまうので、
読むのに時間はかかります。

よくこれだけのことを想像できるなと、
この領域にいる芸術家の
鋭敏な感性に驚嘆。


また、言い回しが
ストレートではないので
レッスンを受ける生徒さんは
たいへんだったのでは・・
と、思ったりして。


例えば、
ドビュッシーの前奏曲の形式について

「あらゆる楽想に予定された展開を
厳格に課することなく表現する素直さなどと共に」

と、あります。


古典的な形式で書かれていない、
という意味だと思いますが、
彼の文は、ほぼこの調子です。


うっかり、ボ~ッと読んでしまうと、
何書いてあったっけ?
と、何行も戻る羽目に・・



子供の領分について書かれた部分が
素晴らしいです。

曲のイメージが、別次元。


象の子守歌について
書かれた一部です。

「おとぎの国よりも心を奪う子供の不思議な心中の夢を、
まったく目覚めた状態で追い求める6歳のシェヘラザードが、
自分自身のために創作したお話を
黙ったまま象に物語る」

空想の物語を象のぬいぐるみに
心の中で語りかける

意味としては
このようなことでも、
コルトーの言葉は、曲のイメージを膨らませます。


読み終えるのに時間がかかりそうですが、
コルトーはとても好きなピアニストなので、
じっくり読んで
音楽のヒントを頂戴しようと思います。


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ロマノフ家12の物語

2021年08月23日 | 書籍紹介
「名画で読み解く ロマノフ家12の物語」を読んでいます。

日本の歴史もよくわかっていないのに、ロシアの歴史を知ってどうするんだ?と思いつつ読み始めました。

面白いです。

西欧の先進国に比べ、極寒地の3流国家だったロシア。
西欧の先進文化を視察し多くのものを持ち帰ったピョートル大帝。この大帝が極寒の湿地帯を開拓し、サンクト・ペテルブルクを新都に。

フランスのブルボン家、オーストリアのハプスブルク家は一流。ロマノフ家は二流という構図。

ドイツ人ゾフィがエカテリーナ二世となり、エルミタージュの美術品をいかに収集できたか。

各章ごとに一枚の絵画が最初のページにあり、そこに描かれているものから話が展開していきます。

ロシアが野暮ったい極寒地から、西欧の洗練された先進国に追いつこうとしていた歴史。
かなり凄惨な話も多いですが、日本も武士の時代はそうだっただろうし、これが人間の犯してきた歴史なのだろうと思います。


西洋音楽から遅れたロシアが、そのまま真似をしなかったところが、この国らしいのかもしれません。
文化的にも後進国だったにもかかわらず、独自の美しさを求め、それを実現する方法を考え出した独創性。そのようなセンスを持ち合わせていた民族でもあるのか、と思います。

それにしても、著者も書いていますが、同じ名前や似た名前が多い・・
読みながら何度も家系図をめくってしまいました。

ピョートル、イワン、ニコライ、アレクサンドル、エカテリーナ、エリザヴェ―タ 😵



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伝統を受け継ぐ

2021年06月23日 | 書籍紹介
前回ご紹介した阪田さんの言葉に、「自分はヨーロッパの伝統の中で勉強してきた人間なので」とあります。

その前が「自分が一番素直に自分らしく演奏できる曲を選びました」です。
ブラームスのコンチェルトを選んだことについてです。

インタビューなので省略されているとは思いますが、少々分かりにくいお話に思えます。

原田英代さんの「ロシアピアニズムの贈り物」に、このような事が書かれています。

『伝統を受け継ぐとはどういうことなのか?形だけを真似てみたところで伝統を受け継いだことにはならない。伝統が伝えられていくためには基本的な理念が十分理解されていかねばならばいし、それを発展させるだけの資質を持ったピアニストが養成されなければならない』

阪田さんの演奏を聴いていると、形だけを真似たものではないことが分かります。
そこにある精神性を彼は受け継いでいると感じます。自分はこういう風に受け取っていると、それをご自身の力で熟成させていると感じます。

同じピアノという楽器を弾いていても、同じ曲を弾いていても、見えている世界、知っている世界が比較にならないほど遠いところに、こういう方々はいらっしゃいます。

それでも、阪田さんの演奏に触れて、何十年振りかに自分が表現したいものを思い出しました。

エドウィン·フィッシャーとフルトヴェングラーのブラームス ピアノコンチェルトNo.2
Furtwängler, Edwin Fischer most lively: Brahms Piano Concerto No.2 live 1942.Special transfer
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ショパン6月号

2021年06月07日 | 書籍紹介
今日、楽器店にレッスンに行きましたら、井上直幸さんのお写真が目に飛び込んできました。

「何?井上直幸さん、なぜ今?」と、手に取るとショパン6月号でした。

”夭折のピアニストを偲ぶ”という特集のようで、中を見ると井上直幸さんのお写真が何枚もあり、古くからのご友人の言葉もあり、これは買ってゆっくりと読まなければと購入いたしました。

6月号ということは先月発売されていたということ。
なぜ今日まで気付かなかったのか。毎週その前を通っていたのに・・
なんたる不覚!

亡くなる前にご自宅で録音された「象さんの子守歌」
ピアノを習う子供が必ず弾く28曲の小品を、3時間で録音されたそうです。椅子に10分と座っていられないくらいの体調だったはずなのにと。

井上先生に憧れている身としては、人生の最後に子供たちが弾く曲だからと録音を残して下さった作品を、子供たちにやはり弾いてほしいと強く思います。

井上直幸さんと組んでいたヴァイオリニストの室谷さんは、一緒に演奏した感触が今でも残っていると。いつでも彼が僕の中に生きているような気がすると。

井上直幸さんの演奏です。
Menuett K.1 Mozart / Melodie op.68-1 Kleine Studie op.68-14 / Schumann

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親切と真実

2021年03月16日 | 書籍紹介
こちらは海外の先生の投稿から知った記事です。

OGPイメージ

Kindly speaking the truth

Canadian piano teacher and music examiner Amy Boyes lives in Ottawa wh...

Melanie Spanswick

 

英語なので正確に理解しているとは言いがたいのですが、生徒を褒めることと真実を伝えることのバランスの難しさを書かれています。

真実を伝えないことが本当に優しさなのか。
気を使って慎重に選んだ言葉が、これまでの努力で十分だと生徒に誤解を与えてしまったと。

この記事を読んだピアノ指導者が、バランスを見つけることは難しいけれど、質の良い練習法を伝えて生徒たちが自己分析できるようにすること、そして指導者の最終目標は生徒が自発的に練習すること、と。

After all, the ultimate goal in teaching our students is to work ourselves out of a job!


ピアノ指導者が書いたこちらの言葉も印象に残りました。私たちの役目はこういうことかなと思いました。

I touch the future, I teach.” We never know just what kind of influence we will have in our students’ lives.

私が出会った音楽以外の先生でも、教えることへの情熱、学問への情熱が伝わってきた先生方がいらっしゃいます。
今でも思い出すと、私も失ってはいけないと思わせてくれます。

未来の私の心に過去の先生が触れていたのです。

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喜怒哀楽

2021年02月22日 | 書籍紹介
最近読んだ本に、喜怒哀楽の4つの中で人間レベルの感情は「喜と哀」だとありました。

楽は喜びと似ているので「楽(らく)をする」の意味と解釈。

「怒り」と「楽(らく)」は爬虫類でも持っているひとつレベルの低い感情だと。感情というより情動といった種類のものと。
(情動https://bsi.riken.jp/bsi-news/bsinews3/no3/special.html

子供たちが、喜びや哀しみといった人間らしい豊かな感情を持ち、表現することが少なくなっているのではないかと。

与えられた勉強をし、作られたテレビ番組を見、プログラムされたゲームで遊び、だらーんとして嫌なことがあると怒る。

それで幸せでしょうかと。

ゲームは段取りを考える必要がないので、やりすぎるとそういった力が育たなくなる、指示待ちになるとも書かれています。

この本を読んでから怒りの感情(情動)が湧くと、「私は今、爬虫類と同じだ。人間じゃない。イカン、イカン」と思うようになりました。

人間に代わって自動でやってくれるものが家庭に増えてきましたが、段取りを考える機会がますます減ってくる恐れが・・

たまにダラーンと過ごすのは贅沢をした気になりますが、それが日常になってしまったら生きる価値を考えてしまいます。

音楽という仕事は人間の感情の大事な部分を担っていて、作品を通してそれを子供たちに伝える重要な役割があるのだと、それを忘れてはいけないなと思います。
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「ベートーヴェンの生涯」という本

2021年02月10日 | 書籍紹介
昨年末に見つけたyoutubeのチャンネルがあります。

ご存知の方もいらっしゃると思いますが、こちらのチャンネルです。

OGPイメージ

【本棚紹介】ピアニストが愛読書を紹介!お薦めの本も!【ウィーン在住】

クラシック音楽中心の本紹介でした。
他のジャンルの本もとても興味がありますので皆様のお薦めの本があったりしたら是非コメントに書き込んでくださ...

youtube#video

 

ウィーン在住のピアニストさんのようで、ウィーンの街を案内して下さっている動画を拝見し、それからよく見るようになりました。

その中でおススメの書籍を紹介して下さっているものがあり、そこで「ジヴェルニーの食卓」を知り、読みました。

ケラー先生のおじいさまが書かれたという平均律もざっと読みました。
私には市田儀一郎さんの方がより細かく分析されていて、私のように一人で全てを見つけられない人間には市田さんの方が良いと思いました。

もう1冊読んだのが、「ベートーヴェンの生涯」です。

これは素晴らしい本です!

是非読んでいただきたい。

今更ベートーヴェンの生涯?と正直思いましたが、読み出したらその辺の伝記物とは全く違いました。

書かれている情報も新しいのですが、ベートーヴェンやその周辺にいる人物たち、歴史上の出来事がどうベートーヴェンに影響していたかなど、その場にいるかのように知ることができ勉強になりました。

ベートーヴェンの父の葛藤、ハイドンのこと、ベートーヴェンの音楽の新しさに人々が熱狂していた様子、推敲に推敲を重ね仕上がりが本番当日になることがザラにあったこと等、知っていたつもりでも実はそれほど詳しくは知らなかったことがこの本を読むとわかります。

読むと、ベートーヴェンってやはり凄い人だったのだと実感し、実は心の優しい人だったことも分かり、数々の第2楽章のあの深く高貴な美しさが納得できたのでした。

もう一度読みたいと思っているところです。

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アム·シュタインホーフ教会

2021年01月15日 | 書籍紹介
ジヴェルニーの食卓に出てきた、マティスのロザリオ礼拝堂はどんな礼拝堂なのだろうと本を読みながら思っていました。

昔の重厚感のあるものとは違うのだろうと想像していた時に、ウィーンのある教会を思い出しました。

オットー・ワーグナーが設計したアム・シュタインホーフ教会です。
アール・ヌーヴォーの建築です。

ここを訪れた時に面白ハプニングがあり、別の意味で私にとっては思い出に残っている教会です。

20年位前に一人でオーストリアに遊びに行った時に訪れました。

ここは当時は土曜日の午後2時にしか見学できない場所でした。
しかも精神病院の敷地内にあるという教会です。

ウィーンのリンクからバスに乗って20分位かかったと思います。

今はどうかわかりませんが、オーストリアは観光地でも何の案内表示もなく、駅に降りてどちらへ歩けばよいのか、さっぱりわからないことが普通でした。

それを恐れていましたが、ここはバス停のすぐ目の前にそれはありました。

が、

目の前にある門のむこうには病院が見えます。果たしてここから入って正解なのか・・

門番のおじさんに、「教会を見たい」と言いましたら、まるで日本人のように「英語はわからない」と・・

いえ、私は片言のドイツ語で尋ねたのですが・・

もう一度訊きましたが「英語はわからない」と・・
で、横にいたもう一人のおじさんが「ここから入って上に歩いていくと良い」と教えてくださいました。

そのやり取りを聞いて、最初のおじさんは「なんだ、ドイツ語だったのか」という顔。

ハハ

さて、ガイドブックによるとテアターが集合場所だと。

歩いていくと途中にTheaterの立て札がありました。
おっ、ここだと中に入ると、驚くほどたくさんの人がごった返していました。

へ?こんなにたくさんいるの?
そんなに人気なの?

午後1時頃に到着したので、まだ1時間ほどあるにもかかわらず、こんなにたくさん待っているのも何だか疑問に思えてきました。

まっ、トイレにでも行っておくかと行きかけた時に、若い女の子が「どうしたんですか?」と尋ねてきました。

あら?なんで?

と思いながら「教会を見たい」と言いましたら、全く通じず、もう一度言いましたが通じず、片言といえども通じなかったことはないので、ドイツ語分からないのかなと逆にこちらが思ったりしていましたら、

「英語ができる人を連れてくる」と言って向こうに行ってしまいました。

私としては英語よりドイツ語の方がまだマシでしたので、それは困るなと待っておりましたら若い男の子がやってきました。

英語で話されたら余計に困ると、すかさずドイツ語で話しましたら「教会はこの上にある。ガイドが始まるまでまだ1時間ある」と。そして「今日はここで歴史のゼミがあるんだ」と。

そばにいた最初の女の子は、Kirche(教会)がKüche(台所)に聞こえていたことが判明。
なんでこんなところで「台所が見たい!」と外国人が訴えるのか・・

あまりのおかしさに2人で大笑いしました。

さて、この日はこのあともハプニングがあり、私の人生の中でもたいへん思い出深いものとなっております。

肝心の教会は、中に入った途端、とにかく明るく、白い!そして、広い!
この印象しか残っていないです・・

私としては薄暗い教会が好きです・・

Vienna - Wien: Kirche am Steinhof


自前の写真はあるのですが、まだデジカメの時代ではなくフィルムでしたので、PCに取り込めておりませんで、こちらに載せられず、観光の方が撮った動画がありましたので載せさせていただきました。

オーストリアは私にとっては不思議ゾーンで、日本人の知り合いにバッタリ会ったり、向こうで知り合った人にウィーンから100㎞位離れた田舎の農家でバッタリ会ったり、船上でバッタリ会ったり、数時間前にもう一生会うことはないだろうと別れを惜しんだ地元の方たちに、別の場所で再びバッタリ会い、どうしてここにいるんだとなったり・・

行くと必ず何かある国なのです。

コロナが収束したら行きた~い!!

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ジヴェルニーの食卓

2021年01月14日 | 書籍紹介
4人の印象派の画家のそばにいた人物が語る物語。

作家の原田マハさんのフィクションですが、その光景が思い浮かんでくるお話です。

最初はマティスのお話。

マティスに寄せたピカソの言葉が冒頭にあり、既にそこから惹き込まれていきます。

マティスに半年間だけ仕えた家政婦マリアが49年前の話をします。

その言葉の美しいこと。
なんて美しい表現。

そして、マリアが仕えた富豪の「マグノリアのマダム」と画家マティスが交わした短いメッセージ。

これが、もう・・泣けます。
思いやりの気持ちが伝わってきて、偉く感動してしまいました。

この章はうつくしい墓となっています。
その意味は読むとわかるのですが、マティスが作ったロザリオ礼拝堂の意味するもの。

礼拝堂を訪れた人たちを温かな光で迎え入れる。
マティスがそこに生きていると感じました。

作曲家は演奏されることで何度も蘇ることができますが、画家はそのような形で生き続けられるのだと思いました。


ロザリオ礼拝堂(長野氏の美術館訪問記より拝借)
https://redrb.heteml.net/naganoart/nagano_art_230.html

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2020年12月12日 | 書籍紹介
少し前に見つけた漫画家の竹宮惠子さんの言葉。

◇◇◇◇◇◇◇
扉とは思いがけないものを見せたり、出合わせたりしてくれる存在。たくさん考えて、扉に向かってほしい。

扉を開けること自体は難しくなく、大事なのは開けた後。「何をするかを考えること」

「期待と違うことや、方向転換を迫られることもある。そのとき、どう対処するのかが本当の選択です。『こんな障害があった』と逃げることもできますが、何かのせいにした途端、扉を開けたことが終わってしまう。自分の選択の結果だと振り返って考えてほしい。結果が悪くても、『自分で歩いてここまで来た』と受け止める。そうすれば、扉を開けたことは、なかったことになりません」

 扉は何度も開き、ときにチャンスにつながるが、捉えられるかどうかは、その人次第だ、とも考える。

 「扉を開ける前にいろいろ考えることを提案しますが、考えるがゆえに開けられなくなる学生は多いかもしれません。でもそれは、自分で作る幽霊のようなもので、開けないと真実は分からない。たとえ失敗したり、困ったりしても、必ず何かが得られるはず。私の年齢になれば予測がつきますが、これから枝をどう広げていくか分からない今の時期に、何かを経験してほしいです」

◇◇◇◇◇◇◇
竹宮惠子さん、京都の大学で学長及び客員教授を20年間されていたらしく、今年退官されたそうです。
その最終講義で話されたことの一部です。

竹宮惠子さんと言えば「風と木の詩」「地球(テラ)へ」
若い方はご存知ないと思いますが・・

私は連載されていた頃、見かけてはいました。
美しい絵でしたが読んではいません。
漫画を読むのが苦手で、まともに読んだのは「ベルばら」だけです・・
アンドレがカッコ良かったから


扉を開けるためには扉に出合わなければいけないわけで、そのためにはアンテナを張って色々と考えている必要があります。

自分で求めて出合った扉なら開けてみたいと思うものです。

ところが今のままでも良いかと、開けて困るより何もしない方が良いかと扉を前に退散したり、今じゃなくともその内と思っている内に扉は消えてしまったり。

出合った時がチャンスです。捉えられるかはその人次第!

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今頃?の「羊と鋼の森」

2020年12月03日 | 書籍紹介
今頃?と思われそうですが、調律師さんの話「羊と鋼の森」を読みました。

読みながら色々と考え、自分がしていることと通じることが多いと思いました。

いくつか留めておきたい言葉があるので、忘備録としてここに。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
いつも思い出す。音の波の数と高さを揃えること。そこまでは誰でも訓練で到達することができる。才能ではない、努力だ、と諭された。ピアノを弾けても、弾けなくとも、熱意があっても、なくても、耳が良くても、悪くても、訓練すればだれでもスタートに立つことはできるのだ、と。

自分のことは棚に上げておいて、生徒さんのスタートラインについて考えさせられました。

これまで、とりあえず森に行っちゃえ、と、森を歩くのに適した靴も履かず、寒くなった時に備えた服装もせず、のどが渇いた時に飲む水も持たず、おなかがすいた時の食料も持たず、生徒さんを森に連れて行って、歩けない、おなかすいた、のど乾いた、寒いとなった生徒さんを励まし続けるのがピアノ指導者の役目のように考えていたのではないかと。

指導法をロシアンメソッドに変えて、最初にやるべきことがはっきりして、そこができれば生徒さんは様々な景色を見ながら歩けると知りました。

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一足でそこへ行ってはだめなのだ。一歩ずつ、一足ずつ、確かめながら近付いていく。その道のりを大事に進むから、足跡が残る。いつか迷って戻った時に、足跡が目印になる。どこまで遡ればいいのか、どこで間違えたのか、見当がつく。

早くたどり着けるのが良いことのような風潮があります。教えてもらう方が速いから自分で探さない。それでは自分の中に残らないのです。迷った時にまた人に教えてもらおうになります。それでは永遠に自立できません。

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才能ってのはさ、ものすごく好きだっていう気持ちなんじゃないか。どんなことがあってもそこから離れられない執念とか、闘志とか、そういうものと似てる何か。

ヴィルサラーゼも仰っています。才能は関係がない。音楽がなければ生きていけないという情熱があればいいと。

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エゾマツの鳴らす音を僕は知っている。ピアノの原風景を、僕はずっと知っていたのだった。

ピアノが加工される前の、木であった姿を考えたことがなかったように思います。森や山にあった木、羊毛で出来たダンパーのフェルト。そのぬくもりがアコースティックピアノにはあるのだと。デジタルには感じられない一番の違いはこれだと、単純にそれが一番違うことと思って良いのでは。

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あきらめる、あきらめない。-それは、どちらかを選べるものなのか。選ぶのではなく、選ばれてしまうものではないか。

これは厳しい言葉・・

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勘違いしていたんだな。技術は身に付けるものだから、身体で覚えるだろうと思って。幻想。耳が覚えるだろう、指が学だろう、なんてのは幻想。ここだよ、覚えるのは。そう言って、自分の頭を指してみせた。

音楽は感性だけでどうにかなるものと勘違いされていることが多い気がします。頭脳を使わなければできないです。

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書きとめるだけじゃ、駄目だ。覚えようとしなきゃ、無理だよ。歴史の年号を覚えるみたいにさ。あるときふっと流れが見えてくる。

学校の勉強と違い、覚えて終わりではできないのが音楽です。組み立てて、形にして、考えて、聴いて、伝える。音の読み方を覚えるとピアノは弾けると勘違いされているのは悲しい・・
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