イゾラドの話とは ずいぶん離れちゃったけど、今日でまとめとします。
前回で日本人入植の方でも、「イゾラド」的な存在になりうる可能性があった。
というようなことを書きましたが…
全く根拠のないことではないのよね。
ある日、夫とショッピングセンターにやはり日本人らしい行きました。
駐車場で、声高に話をする女性のグル―プの声が耳に入ってきました。
うーん、前を行く婦人たちは、明らかに東洋人だが、言葉がわからん。
韓国人?
中国人?
いやいや、やはり日本人らしい。
そのうちに、「買い物が終わったら、アイスクリームを食べて云々」と言っているのが理解できました。
彼女らは かなり強い訛り言葉で話していたのね。
* * * * *
今でこそ、インターネットとかTVとかで、日系2世3世4世の方たちでも、リアルタイムの日本語が耳に入るようになってきました。
なので、今のブラジルの日本語学習者は 本当に自然な日本語を話しますよね。
でも、少し前、少なくても私がブラジルに来た1992年には、日本のテレビの放送もなかったし、インターネットもなかったのよ。
日本のテレビを見るためにはビデオで撮って送ってもらわなくてはなかったのよ。
1996年NHKの放送が始まって、日本語の放送を日常的に耳にできるようになったときは うれしかったわ。
それ以前は、ブラジル在住の移住者にとって(駐在の人は別だと思うけど)、「生の日本語」と触れ合える機会ってのは本当に少なかったと思う。
そういう環境の中で、ブラジルの日本人入植地の中では「コロニア語」と呼ばれる言葉が発達(?)していったのね。
具体的には その地方に入植した人たちの故郷の言葉とポルトガル語とが混じり合った言葉なんだけど、場合によっては、そういう呼び方は差別的なだと思われることばありました。
前述したおばさんたちが話していたのは そんな言葉だったのね。
でも、そうやって日本から遠く離れたブラジルに渡ってきた人たちは、言葉とともに故郷の文化を伝え、ブラジルの文化と融合させ、自分たちの独自の文化を育んでいったのだと思います。
。
* * * * *
まあ、そんなわけです。
「イゾラド」と呼ばれる人たちも、特別な存在ではない。
言葉のわからない「外国人」というだけなのではないかと思うのです。
同じ人間同士なのだと。
前回で日本人入植の方でも、「イゾラド」的な存在になりうる可能性があった。
というようなことを書きましたが…
全く根拠のないことではないのよね。
ある日、夫とショッピングセンターにやはり日本人らしい行きました。
駐車場で、声高に話をする女性のグル―プの声が耳に入ってきました。
うーん、前を行く婦人たちは、明らかに東洋人だが、言葉がわからん。
韓国人?
中国人?
いやいや、やはり日本人らしい。
そのうちに、「買い物が終わったら、アイスクリームを食べて云々」と言っているのが理解できました。
彼女らは かなり強い訛り言葉で話していたのね。
* * * * *
今でこそ、インターネットとかTVとかで、日系2世3世4世の方たちでも、リアルタイムの日本語が耳に入るようになってきました。
なので、今のブラジルの日本語学習者は 本当に自然な日本語を話しますよね。
でも、少し前、少なくても私がブラジルに来た1992年には、日本のテレビの放送もなかったし、インターネットもなかったのよ。
日本のテレビを見るためにはビデオで撮って送ってもらわなくてはなかったのよ。
1996年NHKの放送が始まって、日本語の放送を日常的に耳にできるようになったときは うれしかったわ。
それ以前は、ブラジル在住の移住者にとって(駐在の人は別だと思うけど)、「生の日本語」と触れ合える機会ってのは本当に少なかったと思う。
そういう環境の中で、ブラジルの日本人入植地の中では「コロニア語」と呼ばれる言葉が発達(?)していったのね。
具体的には その地方に入植した人たちの故郷の言葉とポルトガル語とが混じり合った言葉なんだけど、場合によっては、そういう呼び方は差別的なだと思われることばありました。
前述したおばさんたちが話していたのは そんな言葉だったのね。
でも、そうやって日本から遠く離れたブラジルに渡ってきた人たちは、言葉とともに故郷の文化を伝え、ブラジルの文化と融合させ、自分たちの独自の文化を育んでいったのだと思います。
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まあ、そんなわけです。
「イゾラド」と呼ばれる人たちも、特別な存在ではない。
言葉のわからない「外国人」というだけなのではないかと思うのです。
同じ人間同士なのだと。