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DoaU391日目_Part4_八百屋お七の空を見る

2010-03-28 10:02:12 | 歩道橋
おそろしや罪ある人の首玉につけたる名なれ鈴が森とは

栃面屋弥次郎兵衛は、男娼だった喜多八とともに八丁堀を出る。
お伊勢参りに向かいながら、鈴ヶ森の刑場前でこんな狂詩を詠む。
この2人、道中をこんな感じで過ごす、まあやりたい放題。
鈴ケ森の鈴と猫の鈴をかけてこんな詩である。
たぶんオレ以上に信心がない。

桜新道歩道橋を下りて、第一京浜に復帰する。
大森海岸歩道橋から400mぐらい。
それに15分もかかっている。
時速だと1.6km/hというマヌケなスピード。
寄り道はほどほどに、そういうこと。



鈴ケ森歩道橋
両側5車線と半減した第一京浜を跨ぐ歩道橋。
階段はストレート型の1脚ずつ、単純な作りである。



横浜方面
右の上り車線側すぐ右を暴走特急が駆け抜ける。
目の前には鈴ケ森料金所を駆け上がってきた首都高が
大きく曲がって本線である羽田線へと合流しようとひた走る。
この交差点は海岸通りの一方の終点でもある。

下り車線側、ニスモにはGTRがどーんと展示。
その手前を左に入るとしながわ水族館へと向かう。
いや、ほんと下り車線側にいなくてよかった、
とんでもない寄り道になっていたに違いないのだ。
イワトビペンギンたちは元気かな?



日本橋方面
これまで第一京浜が東、京急が西という位置関係、
横浜駅周辺から進んできたけれど、この先でそれが入れ替わる。

右の下り車線側にひときわ大きな緑、なんでしょ?

下り車線側に下りるとすぐ。



鈴ヶ森刑場遺跡
江戸時代の処刑場跡である。
20万人とも言われる罪人を殺した場所である。
今ではすぐ横に勝島という埋め立て地があるけれど、
江戸時代にはすぐ海、逆さ吊りにして、満ちてきた潮で溺死させる、
そんな地の利を活かした処刑法もあったらしい。



火炙台、磔台
井原西鶴の「好色五人女」で有名になった八百屋お七。
放火未遂で捕まったお七は、この火炙台で火を放たれた訳である、生きたまま。
その横には磔台、さらに牢獄で打ち首にされたアタマが並べられた。

処刑も娯楽だった時代、そんな残虐な時代はほんの150年前。
人の命、その価値観なんてそんなもんだ。

八百屋お七と別れて100m。



南大井歩道橋
向こうの下り車線側は歩道が第一京浜から離れていて、
さらに緑が多いために全体像を撮れないので、こちらから。
5車線の第一京浜を跨ぎ、階段はこちらがストレート型で下り車線側は折り返し型。



横浜方面
これまた25mぐらいの至近距離を暴走特急が駆け抜ける。
左の下り車線側、ガード下の先の緑の辺りが刑場遺跡である。



日本橋方面
右の下り車線側に桜が3分咲きぐらいに。
その先のビルにはフォルクスワーゲンのディーラーが。
正面に見える妙な形のマンション、誰が住むんだろ?

上り車線側におりて200mぐらい。



フォルクスワーゲンの入ったビルを通り過ぎる。
区営住宅前のソメイヨシノが7分咲きぐらい。
この日、一番のサクラだったかも。

さらに200mぐらい。



立会川歩道橋
片側2車線プラス右折車線、1本の車線もホントに狭くなった。
それ以上に歩道が狭い。
こちらの上り車線側の階段は、登り口を細くしてある。
そうじゃないと、歩行者が通れないから。



横浜方面
目の前の交差点は南大井一丁目交差点。
左に進めば東京シティ競馬というか大井競馬場。
鈴ケ森歩道橋の南、海岸通り沿いからも行けるけれど。
大井競馬場前を直進すれば大井埠頭まで出られる。



日本橋方面
先の横断歩道の辺りを右に曲がれば京急の立会川駅。
その手前には立会川が流れているはず。



立会川 東京湾方面
50m先を京急本線が駆け抜ける。
さらにその先100mぐらいに泪橋、現在の濱川橋がかかる。
ここで、鈴ヶ森刑場に送られる罪人が家族と別れた。
立会って来た人が最後に見送る川だから立会川、
涙で見送ったか橋だから涙橋。

16歳だった八百屋お七もこの先の泪橋を渡った訳である。
信心なんてまったくないし、300年前の江戸の風情はさらにない。
ただ、そんなことがあった、ボラぐらいだ、涙を知っているのは。


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