3/30(火)
希望します
うれしく思います
天皇の語尾はこんな言葉が多い。
てか、天皇以外にこんな言葉を使う人なんて会ったことがない、
もちろんメールでも。
いや、ない、ではないな、なかった、だな。
20日前に行った中野富士見町、
出された宿題を片付けて送信したのが14日前。
そして7日前にメールが来る。
2次面接をするから来て欲しいと。
ええ、もちろん行きますよ、そう返す。
すると、またメールが返ってくる。
宮内庁に送っちまったか?一瞬、目が点になる。
来週火曜日においでいただけるとのこと、大変うれしく思っております
いやはやなんとも
平民には思いつきもしないのだ、こういう文章は。
アホみたいに寒い中、9時半に家を出る。
中野富士見町到着は10時半。
ほとんど3両編成の電車しか停まらないのに、この外観はどうよ。
立正佼成会に行く人たちで儲かっているからなのか、
ホントにきれいな入口である。
マフラーをしてこなかったことを後悔しながら、ちょっと歩いてみる。
前回通らなかった通りを右へ左へ。
ゼイタク煎餅ってなんだ?まあいろんな店があったり、
♪きゅ~しんきゅうしん♪
そんなジングルの製薬会社の本社があったりする。
ふらふらと歩き回れば10時50分。
55分ぐらいに内線を架けると、
10時57分にお迎えにあがります
ホントに皇族じゃないの?そう思う。
その組織のトップは専任ではない。
なんだか奇妙な感じだけれど、わかりやすい人ではある。
ただ、2人いた元官僚の片方がわからん、あまりに抽象的すぎるのだ。
参ったね、ホント。
1時間ぐらい話をして表に出る。
今日は中野新橋まで行こう、そう思う。
中野富士見町駅まで戻る。
駅前の通りを西へ進めば、3/17に通った環七へと出る。
一番、近い歩道橋は消防署前歩道橋、いや、そんなことはどうでもいい。
もちろん環七へ行く必要はないので、東へ進む。
2つ目の寿橋交差点で左へ曲がってみる。
そのまま進めば、青梅街道を抜けて中野駅まで進める。
つまり中野通り。
都道420号なので、南下すれば大井町を抜けて第一京浜へと続く。
白いフェンスで囲われた空き地がある。
都庁まで2,057m
かなり広い敷地にけっこうな木々、なんだココ?公園か?
家に帰ってグーグルマップを見ると団地のような建物が4棟。
ストリートビューで中野区立第二中学校との間を見ると、
NTT東日本管理地
社宅があったのかな?ココに。
木々だけ残して建物だけを解体、ホントに公園にするつもりなのかな。
もと来た道に戻って東へ、450mぐらいで弥生町二丁目交差点。
左へ曲がる、嫁さんと何度か来たお好み焼き屋は健在である。
ただ、街は変わった。
パチンコ屋がやたらと増えた、キレイにはなったけど・・・。
中野新橋駅
相変わらずボロいままだけれど、
3両編成の電車には似つかわしい駅、そう思う。
駅舎をすぎると、すぐに駅名の由来となった橋。
新橋
神田川に架かるこの橋、親柱と欄干は朱色に塗られた低いもの。
かつての花街だったころの名残らしい。
変わらんなあ、そう思ったけれど、進むと愕然となる。
神田川 上流方面
神田川の上にクレーンが2基。
暗渠化するのか?と思ったけれど、どうやら護岸工事。
あの朱色の親柱と欄干は残して欲しいなあ、ホントに。
橋の手前にあった菊鮨は違う所で営業中。
酔っ払いのお父さんがお土産に買って帰るような店だったかれど、
今はどうなっていることやら。
たった10mの新橋を渡る。
軽食喫茶ポポ
外観はだいぶ変わったけれど、そのまんま残っている。
なぜか嫁さんはカプチーノばかり飲んでいた、そんな喫茶店。
その手前にはダーツバー。
こちらもかなりキレイに改装されていた。
そのままちょいと進む。
この辺りに当時の藤島部屋御用達の肉屋があった。
今も元気でいてくれればいいけれど、おばちゃん。
その先の東京シティ信用金庫で右に曲がる。
菊鮨はすぐの所で営業していた。
福寿院
弘法大師が彫ったという仏像を本尊としているらしいけれど、
そんなことはどうでもいい。
単純に青空にソメイヨシノがキレイだったから。
その先、2本目の角にある。
貴乃花部屋
かつての藤島部屋である。
若貴ブームの頃はホントに賑やかな場所だったけれど、
人通りすらない閑散ぶり、まあ大阪場所だしね。
先に進むと鰻屋である。
すが原
注文をうけてから焼くというスタイルを貫いているので、
出てくるまでに1時間近く待つ。
1回しか行ったことがないけれど、ハンパないぐらいうまい。
白焼きを食べ、それからうな重を食べた。
うな重の半分ぐらいで死にそうになった。
入るか?そう思う。
パーコー麺を食べたいしなあ、そう思って先の角を右に曲がる。
その通りに嫁さんが住んでいたマンションがある。
加藤茶が通っていたそのマンションは変わらぬ姿であった。
隣のカラオケパブが夜中までうるさかったけれど、
今は工務店に姿を変えていた。
中野区本町
てけてけ進んで振り返るとこんな感じ。
青いバンが停まっている辺りがそのマンション。
すぐに神田川である。
都庁まで1,390m
花見橋という素敵な名前がついた神田川を跨ぐ橋から見る。
こんなに大きく見えたっけ?
都庁の完成は91年だから、見てたハズなんだけれど・・・。
ただ、ここまで来たことはほぼない。
その手前で曲がっていたから。
来ておけばよかったよなあ、都庁が成長する姿を見られたかもしれないし。
この街がこれ以上変わらないで欲しいなあ、そう思う。
いや、変わらないことを希望します、か?
希望します
うれしく思います
天皇の語尾はこんな言葉が多い。
てか、天皇以外にこんな言葉を使う人なんて会ったことがない、
もちろんメールでも。
いや、ない、ではないな、なかった、だな。
20日前に行った中野富士見町、
出された宿題を片付けて送信したのが14日前。
そして7日前にメールが来る。
2次面接をするから来て欲しいと。
ええ、もちろん行きますよ、そう返す。
すると、またメールが返ってくる。
宮内庁に送っちまったか?一瞬、目が点になる。
来週火曜日においでいただけるとのこと、大変うれしく思っております
いやはやなんとも
平民には思いつきもしないのだ、こういう文章は。
アホみたいに寒い中、9時半に家を出る。
中野富士見町到着は10時半。
ほとんど3両編成の電車しか停まらないのに、この外観はどうよ。
立正佼成会に行く人たちで儲かっているからなのか、
ホントにきれいな入口である。
マフラーをしてこなかったことを後悔しながら、ちょっと歩いてみる。
前回通らなかった通りを右へ左へ。
ゼイタク煎餅ってなんだ?まあいろんな店があったり、
♪きゅ~しんきゅうしん♪
そんなジングルの製薬会社の本社があったりする。
ふらふらと歩き回れば10時50分。
55分ぐらいに内線を架けると、
10時57分にお迎えにあがります
ホントに皇族じゃないの?そう思う。
その組織のトップは専任ではない。
なんだか奇妙な感じだけれど、わかりやすい人ではある。
ただ、2人いた元官僚の片方がわからん、あまりに抽象的すぎるのだ。
参ったね、ホント。
1時間ぐらい話をして表に出る。
今日は中野新橋まで行こう、そう思う。
中野富士見町駅まで戻る。
駅前の通りを西へ進めば、3/17に通った環七へと出る。
一番、近い歩道橋は消防署前歩道橋、いや、そんなことはどうでもいい。
もちろん環七へ行く必要はないので、東へ進む。
2つ目の寿橋交差点で左へ曲がってみる。
そのまま進めば、青梅街道を抜けて中野駅まで進める。
つまり中野通り。
都道420号なので、南下すれば大井町を抜けて第一京浜へと続く。
白いフェンスで囲われた空き地がある。
都庁まで2,057m
かなり広い敷地にけっこうな木々、なんだココ?公園か?
家に帰ってグーグルマップを見ると団地のような建物が4棟。
ストリートビューで中野区立第二中学校との間を見ると、
NTT東日本管理地
社宅があったのかな?ココに。
木々だけ残して建物だけを解体、ホントに公園にするつもりなのかな。
もと来た道に戻って東へ、450mぐらいで弥生町二丁目交差点。
左へ曲がる、嫁さんと何度か来たお好み焼き屋は健在である。
ただ、街は変わった。
パチンコ屋がやたらと増えた、キレイにはなったけど・・・。
中野新橋駅
相変わらずボロいままだけれど、
3両編成の電車には似つかわしい駅、そう思う。
駅舎をすぎると、すぐに駅名の由来となった橋。
新橋
神田川に架かるこの橋、親柱と欄干は朱色に塗られた低いもの。
かつての花街だったころの名残らしい。
変わらんなあ、そう思ったけれど、進むと愕然となる。
神田川 上流方面
神田川の上にクレーンが2基。
暗渠化するのか?と思ったけれど、どうやら護岸工事。
あの朱色の親柱と欄干は残して欲しいなあ、ホントに。
橋の手前にあった菊鮨は違う所で営業中。
酔っ払いのお父さんがお土産に買って帰るような店だったかれど、
今はどうなっていることやら。
たった10mの新橋を渡る。
軽食喫茶ポポ
外観はだいぶ変わったけれど、そのまんま残っている。
なぜか嫁さんはカプチーノばかり飲んでいた、そんな喫茶店。
その手前にはダーツバー。
こちらもかなりキレイに改装されていた。
そのままちょいと進む。
この辺りに当時の藤島部屋御用達の肉屋があった。
今も元気でいてくれればいいけれど、おばちゃん。
その先の東京シティ信用金庫で右に曲がる。
菊鮨はすぐの所で営業していた。
福寿院
弘法大師が彫ったという仏像を本尊としているらしいけれど、
そんなことはどうでもいい。
単純に青空にソメイヨシノがキレイだったから。
その先、2本目の角にある。
貴乃花部屋
かつての藤島部屋である。
若貴ブームの頃はホントに賑やかな場所だったけれど、
人通りすらない閑散ぶり、まあ大阪場所だしね。
先に進むと鰻屋である。
すが原
注文をうけてから焼くというスタイルを貫いているので、
出てくるまでに1時間近く待つ。
1回しか行ったことがないけれど、ハンパないぐらいうまい。
白焼きを食べ、それからうな重を食べた。
うな重の半分ぐらいで死にそうになった。
入るか?そう思う。
パーコー麺を食べたいしなあ、そう思って先の角を右に曲がる。
その通りに嫁さんが住んでいたマンションがある。
加藤茶が通っていたそのマンションは変わらぬ姿であった。
隣のカラオケパブが夜中までうるさかったけれど、
今は工務店に姿を変えていた。
中野区本町
てけてけ進んで振り返るとこんな感じ。
青いバンが停まっている辺りがそのマンション。
すぐに神田川である。
都庁まで1,390m
花見橋という素敵な名前がついた神田川を跨ぐ橋から見る。
こんなに大きく見えたっけ?
都庁の完成は91年だから、見てたハズなんだけれど・・・。
ただ、ここまで来たことはほぼない。
その手前で曲がっていたから。
来ておけばよかったよなあ、都庁が成長する姿を見られたかもしれないし。
この街がこれ以上変わらないで欲しいなあ、そう思う。
いや、変わらないことを希望します、か?