1999年08月04日 | Weblog

 今日、所沢PATIOの酒飲みメンバーのオフ会があった。
 会社の仕事の都合もあるし、行けるかな、という想いもあった。 でも、家に6時
40分に着いて、集合場所の池袋に8時までに行けることが確定すると、行きたい気
持ちでいっぱいになった。
 こうなると九想は行く。行くんです。
 待ち合わせ場所に着くとNがいた。彼はおととい、親友の奥さんが亡くなり、自分
は何もできない、と誠実な愚痴を書き並べていた。
 おれはそのMESを読んだとき、「おれも女房が死んだら」と思うと、どうしょう
もない気持ちに襲われた。なんだかんだ女房のこといっていても、しょせん、あいつ
がいないとなにもできないおれです。彼女がこの世にいなくなるなんて考えたくもあ
りません。
 そのくせ、女房以外の女性とつきあいたいな、なんてスケベ心がある。ああ…、お
れの心なんて…。
 待ち合わせ場所で何人かと会い、その日の目的の沖縄料理のお店に行った。
 なんと、今日は、若い女の子が二人いたんです。
 一人は、いろんなことに積極的な感じで、ものごとをズバズバいうタイプ。もう一
人は、一言でいうと「おくゆかしい」という女性だった。二人とも、十人並でけっこ
う可愛い女性でした。彼女たちは、NFTYのFSAKEの関係らしい。私はその辺のところ
よく分からない。所沢PATIOのメンバーの何人かは、NIFTYのFSAKEに参加していて、
かなりオフ会にいってるようだ。
 今のおれの状態は、かなり劣等な状況です。毎日肉体労働の連続で、知的な行動な
ど一つもない。
 その日に集まった、というか、所沢PATIOのよくオフ会に集まるメンバーは、会社
としていい状態のところにいる。おれは、惨めな状況にいる。47歳で平社員だ。あ
る人は、日本有数の会社の部長だ。彼とは同じ歳で、どうしても自分で比べてしまう。
情けない。
 結論、みんないいやつです。所沢PATIOのメンバーでおれの生活はかなり救われてい
る。三年前、この家に引っ越すとき、みんな無償で手伝ってくれた。
 おれの場合、パソコン上での世間のつきあいが、かなり実生活の救いになってます。
 12時過ぎ、新所沢に着くとすごい雨だった。気持ちいいぐらいの雨だった。
 家まで、濡れて帰りました。

コメント
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