恋する女

1999年11月24日 | 会社・仕事関係

先週の土曜日、朝の忙しいときに内線電話がなった。フォークリフトから飛
び降りおれは走って電話のところに行った。
「はい、第3工場です」
「藤原さんに電話です」
 外線のボタンを押す。
「樋村です。すみません、ちょっと用事が出来てしまってぇ、これから行きま
す」
 ああ、またか、とおれは思った。樋村は派遣社員で、うちに来て1ヶ月はた
つが、時間どうりに来たことは数えるほどしかない。小柄で顔が小さく、ちょ
っとはすっぱだが愛くるしい23歳の女の子だ。
「何時頃に来れるかな」
 無愛想におれ。
「10時には行きます」
「待ってるよ」
 歩いてフォークリフトまで戻る途中、第3工場の中心人物の安井さんのとこ
ろに行く。世話好きで、仕切ることが好きな50代半ばのおばさんだ。おれは、
たいがいのことは安井さんに話すことにしている。この人を無視しては、この
職場では生きていけないとおれは判断している。でも、気っぷのいい、なかな
かさばけた女性で、おれはこの人にかなり助けられている。
「安井さん、樋村さんからの電話なんだけど、これから来るっていってました」
 安井さんは振り返り「またですか」という目でおれに頷き、一呼吸おいて作
業台に向かいガラスの検査を続けた。
 10時の休憩の話題は、とうぜんのように樋村のことになった。彼女への非
難がほとんどだった。
 第3工場には、正社員の安井、ほぼ同じ年代の杉山、それに派遣社員の安達
(24歳)、柴山(20歳)、そして樋村がいる。ペルー人3人の休憩は、お
れたちが休憩したあと、10時10分からとる。休憩室が狭いからだ。
 休憩時間、たいていおれは黙って煙草を吸って彼女たちの話を聞いているが、
同じ職場の一員として、そうそう蚊帳の外にもいられないので適当には話題に
入ることもあるが、ほどほどにしている。
 樋村への辛口の批評が盛り上がっているときにドアが開き、彼女が顔を出し
た。
「すみません。これ食べて下さい」
 と、コンビニの袋に入ったお菓子を入口近くに坐っていた柴山に渡し、作業
場に行ってしまった。あいつ、気使ってんな、とおれは思った。
 休憩が終わり、おれは仕上げの終わったガラスの入ってる台車をフォークで
積み上げながら、今日は、樋村にちょっときつめにいわなけりゃならないな、
と考えた。この職場は、人が揃わなけりゃ仕事にならない。毎日おれは、女性
の頭数でその日の仕上げ数と完成品の数量を考えて、人の振り分けをしている。
それで過酷な日々の出荷数に対応しなけりゃならない。どうしても1週間のう
ち、誰かは休む。それはしかたないことだ。しかし、樋村のように頻繁に遅刻
したり、休まれてはあてにできなくて計算しづらい。
 台車の整理がすみ、樋村のところに行こうかと思ったら、彼女のほうから来
た。
「藤原さん、すみませんでした」
「樋村さん、いろいろあるんだろうが、社会人として、きちんと会社に来ない
といけないな。みんなたいへんな思いして会社に来てるんだよ。おばさんたち
は、家じゃ主婦やってんだよ」
「分かります。これから気をつけます。どうもすみませんでした」
 茶髪のショーットカットが可愛い。つぶらな瞳がまっすぐおれを見つめる。
 つまんねぇこといってるな、とおれはいやになった。おれが23の頃はどう
だったんだ。いいかげんな暮らししてたじゃないか。遅刻はしなかったが、毎
晩酒飲んで二日酔いで出社してろくな仕事してなかったくせに、人間歳取りた
くないな。
 それから30分ほどたった頃か。おれが、製品の出荷検査のため身をかがめ
て懐中電灯で台車の中のガラスを見ていると、誰かがおれの後ろを走り抜けて
いった。若い女の子だった。泣いていた。安井さんが、「樋村さん、おかしい
よ」と追いかけていった。
 おれは、引き続き台車に首を突っ込んでいた。

 長くなったので今日はここまでにします
                                  つづく
(すべて仮名です)

コメント
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