さなぶりに灯してありぬ牛小屋も 鏑木登代子
「増殖する俳句歳時記」の5月15日に、さなぶりのことが書いてある。
「さなぶり」という言葉を目にして、思わず懐かしくなった。
「さなぶり(早苗饗)」が私は好きだった。
なにしろ普段食べられないご馳走が食べられた。
メインは鰹だった。町から魚屋を呼んで1本さばいてもらった。
刺身もよかったが、私はアラを煮たものも好きだった。
近所の4、5軒の家が協力しあって田植えをやった。
田植えの終わった家がその夜さなぶりをした。
女たちは、仕事を終えてから料理の準備だ。
夕方、男たちが集まってくる。
うちでは父が神棚に、稲の苗を上げた。
それを見ていた私は厳粛な気持ちになった。
私が小さいとき、田んぼを馬を使って耕していた。
隣の家の馬だった。小学生になった頃は、耕耘機に変わった。
苗は、人が一列になって田に植えた。
私もやった。
お昼に食べた胡麻のついたおにぎりがうまかった。
さなぶりをいつ頃からしなくなったのだろう。
小学5、6年生まではやった覚えがあるが、
中学生のときの記憶がない。
その最後の頃だったと思うが、初めて酒を飲まされた。
お燗した温かいお酒がまずいと思った。
まずいこんなのなんで大人は飲むんだ、と思いながら、
私はかなり飲んで酔っぱらってしまった。
「増殖する俳句歳時記」の5月15日に、さなぶりのことが書いてある。
「さなぶり」という言葉を目にして、思わず懐かしくなった。
「さなぶり(早苗饗)」が私は好きだった。
なにしろ普段食べられないご馳走が食べられた。
メインは鰹だった。町から魚屋を呼んで1本さばいてもらった。
刺身もよかったが、私はアラを煮たものも好きだった。
近所の4、5軒の家が協力しあって田植えをやった。
田植えの終わった家がその夜さなぶりをした。
女たちは、仕事を終えてから料理の準備だ。
夕方、男たちが集まってくる。
うちでは父が神棚に、稲の苗を上げた。
それを見ていた私は厳粛な気持ちになった。
私が小さいとき、田んぼを馬を使って耕していた。
隣の家の馬だった。小学生になった頃は、耕耘機に変わった。
苗は、人が一列になって田に植えた。
私もやった。
お昼に食べた胡麻のついたおにぎりがうまかった。
さなぶりをいつ頃からしなくなったのだろう。
小学5、6年生まではやった覚えがあるが、
中学生のときの記憶がない。
その最後の頃だったと思うが、初めて酒を飲まされた。
お燗した温かいお酒がまずいと思った。
まずいこんなのなんで大人は飲むんだ、と思いながら、
私はかなり飲んで酔っぱらってしまった。