美しい日本語

2008年03月12日 | 健康・病気
3月6日の「きょうも元気で!わくわくラジオ」(NHKラジオ第1)
10時過ぎからの「ときめきカルチャー」は、
作家山下景子の「美しい日本語をさがそう」だった。

花信風(かしんふう)…初春の風。花の咲く時節の到来を告げる風。
桃花水(とうかすい)…春、雪解けのために増す川の水。
蘖(ひこばえ)…「孫(ひこ)生え」の意〕樹木の切り株や根元から群がり生
        える若芽。又生え。
春告草…梅
風待草…梅
夢見草…桜
雀隠れ…春、草木や葉が伸びて、雀の身が隠れる程になること。

という言葉を紹介していた。
日本語ってきれいだな、としみじみ思った。
日本人に生まれてよかった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

定年ゴジラ

2008年03月11日 | 健康・病気
「定年ゴジラ」重松清著 講談社文庫を読んだ。
はじめ読んでいても、なかなか入り込めなかった。
しかし、だんだん、くぬぎ台ニュータウンの住人になっていった。

「くぬぎ台ニュータウンは、分譲のたびに、三十代後半から四十代
初めのサラリーマンの一家を迎えることになった。いわば小市民の
街である。優しいパパの街である。ローンを背負い、終電の時刻に
せきたてられながらがんばる夫の街である。」

山崎さんは、長年勤めた銀行を退職した。
毎日散歩をする日々になり、そして散歩仲間ができた。
町内会長、ノムさん、フーさん。
この4人が定年後の生活の中で苦悩する物語だ。

この人たちは、ある程度の会社に勤め定年退職した。
新宿から2時間もかかる遠いところだが、一戸建ての家を買った。
何社も零細企業を転職し、51歳で会社から放り出され、
公団の賃貸に暮らす私とは比べられない。
ただただ、羨ましい、と思うだけだった。

しかし、この人たちの気持ちはよく分かる。
新宿から1時間ほどの団地で子どもを育ててきた私です。
何度か涙を流しました。
いい小説でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ビルマの竪琴

2008年03月10日 | 健康・病気
BS2で9時から映画「ビルマの竪琴」を観た。
今週は、「追悼 市川崑監督特集」をやっている。
涙、なみだでした。

安井昌二がいい。三國連太郎もいい。
おばあちゃんの北林谷栄が若い。
音楽っていいなと素直に思う。
戦争は厭だ。

観ながら昔を思い出していた。
この映画を観たのは、文京区小石川図書館が毎月やっていた、
優秀映画鑑賞会でした。
この映画会は、映画評論家の岩崎昶が、
いつも上映前に映画の解説をしてくれた。
今あらためて考えると、素晴らしい人に映画を教わったなと思う。
私が20歳の頃、本郷三丁目の試薬会社にいたとき、
毎月この映画会に通っていた。
ちょっと遠かったけど歩いて行っていた。

10時頃、女房がスポーツジム「わらわら」から帰ってきた。
彼女は、庭の湯でアクアストレッチをしてから、
「わらわら」に行っている。
「ビルマの竪琴、観てんだよ」
「ひさしくん、本読んだ?」
「読んでねぇ」
「本のほうがいいよ」
「………」
私も、本のほうがいいと思う。
読んでみよう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ギターとケーナとハーモニカ

2008年03月09日 | 健康・病気

今夜の九想話は何にしようかな?と悩んでいたとき、
毎日のぞくブログ「〈なを〉の部屋 一日一句をめざして♪」
「楽器買うなら 御茶の水?」を見て書くことを決めた。

私のギターは、19歳のときお茶の水で買った。
そのとき私は茨城に住んでいた。
手工品ギターの工房を5月で辞めた私は、
自分が弾くギターは手工品だと決めていた。
ほんとうは、できれば自分のつくったギターを弾きたかった。
なのに私は3ヶ月弱でギター工房を辞めてしまった。
それから田舎の金物屋で働いていた。
やっとためた有り金を持って東京に行った。
なぜかお茶の水に行った。
そして、4万円の手工品のギターを買った。
そのときの私の給料からすれば高い買い物でしたが、
ギターの音を考えたら、それを買うしかなかった。
今でもいい音します。(アマリ弾イテ、イマセンガ…)

私は、金物屋で働いていて「このままでいいのか」と思っていた。
高校生のとき、もし大学に行けるのなら教師になりたいと考えていた。
だが、高校もやっと行かせてもらったのに大学ははなっからムリだった。
無知な高校生の私は夜の大学を知らなかった。
金物屋で働いていてできるだけ金を貯め、19歳の2月再び上京した。
新聞の求人広告で見つけた本郷三丁目の試薬会社に就職し、
駒込に三畳のアパートを借りて、
4月からお茶の水の駿台予備校に通った。
その頃だったと思う。
お茶の水のある楽器屋でケーナを見つけた。
サイモンとガーファンクルの「コンドルは飛んで行く」で、
ケーナという楽器が好きになっていた。
ガラスのショーケースの中にうやうやしく展示されていたケーナ。
たしか7,000円だった。
欲しいと思いながらもなかなか買えなかった。
なんどもその楽器屋に通い眺めていた。
なんとか捻出した金でそれを買った。
そのとき私の月給は4万円で、手取りは……。
三畳のアパートの家賃が5,500円だった。
やっとケーナを買ったけれど、吹き方が分からない。
指使いもまったく見当もつかなかった。
それから1年後ぐらいに、中南米音楽という雑誌に、
「ケーナの吹き方」などという記事があった。
それを読んでなんとか吹けるようになった。
でも、今でもケーナのほんとうの吹き方は知らない。
地方(中南米各国)によって運指がちがうようだ。
好きなように吹けばいいと思っています。

45歳のとき、なぜかクロマチックハーモニカを吹きたくなった。
ブルースハープに挫折したせいもある。
レバーで半音が出せるのが魅力だった。
で、やっぱりお茶の水に行って買いました。
山梨での単身赴任の間、会社の隣の釜無川(富士川)で、
昼休みによく吹いていました。
昼食を食べ終わると、ケーナとクロマチックハーモニカを持って、
釜無川の土手に行き、富士山を見つめて吹いていました。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

チューリップ「心の旅」

2008年03月08日 | 健康・病気
昨日、プレミアム10 「TULIP~青春のラストラン~」
( NHK総合 午後10:00~10:59 )を観た。
チューリップというバンドも、
私の青春時代にとって、はずすことのできない存在です。
魔法の黄色い靴、心の旅、銀の指環、青春の影、
ぼくがつくった愛のうた〜いとしのEmily〜、サボテンの花、
ブルースカイ、虹とスニーカーの頃、……

チューリップの3枚目のシングル「心の旅」が発売された1973年頃、
私は21歳、本郷三丁目にある試薬会社に勤めていた。
いつもは大きなフラスコに何種類かの薬品を入れて、
ライト液とメイグリン液という血液染色液を造っていた。
できあがると親指にキズをつけ、自分の血液を染色して、
顕微鏡で染色されたのを確認して、
それを100mlの瓶に小分けしてラベルを貼っていた。
あれはイヤだった。だって痛いんだもん。

月の15日と月末に私は別な仕事をさせられた。
本郷、後楽園、お茶の水、水道橋、秋葉原などにある、
会社が取り引きしていた医療機械の会社への集金だ。
私はその日、朝から自転車に乗って20社ぐらいの会社を回った。
あの辺は平坦ではなく坂道が辛かった。
本郷から後楽園へは下り坂で楽ちんだ。
水道橋からお茶の水へは登る。お茶の水から秋葉原へはまた下る。
秋葉原から御徒町を通って、湯島の切り通しを本郷へ登ると汗をかいた。
現在、あのあたりに行くと涙が出そうなくらい懐かしい。
(それにしても秋葉原の変貌はすごい)

暑い夏の日、ある会社に行くと、
いつも小切手を渡してくれる女の子がいなかった。
「今日は身体の具合が悪くて休みなんです。
 あのコはあなたのこと好きみたい。
 あなたが集金に来るのをいつも待っているんですよ。
 いいですね。若い人は…」
そんなことを、小切手を渡してくれたおばさんがいった。

それから毎月その会社に行くと、彼女を意識した。
そして男として私は、彼女をデートに誘った。
その日、どこをどんなふうにデートしたか覚えていない。
ただ、その女性がチューリップの「心の旅」が好きだった、
ということだけを覚えている。

「心の旅」をうたう姫野達也はあまり好きではない。
やはりチューリップは財津和夫のヴォーカルがいい。
その女性とは1回だけのデートで終わってしまった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中古ディスプレー

2008年03月07日 | 健康・病気
女房のパソコンのディスプレーはブラウン管のものです。
狭い部屋(4畳ほど)の空間を圧迫するように存在するディスプレーだ。
前から「液晶のにしようか」と話していた。

先日、近くのノジマ電器にある中古コーナーに、
15インチの液晶ディスプレーが、12,000円ぐらいで売っていたのを見た。
あれでもいいかな、と思っていた。
このへんで、中古のディスプレーを売っているところはと考えた。
入間にハードオフがある。
1ヶ月ほど前に行ってみたが、いいのがなかった。
そこに行く途中の行政道路(国道463号)沿いに、
パソコンや事務機のリサイクルショップ「OAランド所沢店」がある。
今坐っているこのイスはそこで買った。
店にはパソコンやコピー機、ファックスなどが乱雑に置いてあるが、
価格はなかなか安めだと思う。

行ってみると、高い棚の上にディスプレーが4台並んでいて、
3台は売約済みというカードが貼ってある。
17インチのBenQというメーカーのものが9,800円であった。
BenQというメーカーを初めて見た。
なんか不安だ。でも、17インチが9,800円は魅力だな、と思った。

カウンターの前でコピー機をきれいに拭いていた女性に訊いた。
「あのディスプレーしかないんですか?」
「ちょっと待ってください。分かる人呼んできますから」
2階の事務所から若い男の子が降りてきた。
同じ質問をすると、
「今は確認したものはあれしかないですが、
 1週間ほどしたらまた出しますよ」という。
なるほど奥にディスプレーが10台ぐらい置いてあった。
若い男の子にリサイクルのパソコンやその流れなど訊いてみた。
いろいろ青年と話しているうちに、
「あれをパソコンにつないでみましょう」といってくれた。
ノートパソコンにつないで画面をみると、きれいだった。
感じのいい青年の対応にもうながされて、それを買うことにした。

買ってきた17インチは、私のパソコンにつなぎ、
これまで私が使ってきた15インチのディスプレーを女房のにした。
BenQというメーカーをネットで検索してみた。
台湾の会社なんですね。
素性が分かると「ベンキュー」という名前が気に入った。
なにしろ“Q”が好きな九想です。

さあ、これでCRTと私の自作したパソコンがセットで残った。
家に置いておく場所がない。
どうしょうかな?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

風邪ぎみ

2008年03月06日 | 健康・病気
風邪ぎみなので、今夜は寝ます。

3月6日は、去年、足場の会社に入った日です。
そういうふうに考えると、1年というのも早いものですね。
いろいろありました。
現在もいろいろありますが…。

とりあえず蒲団に入ります。
でも今読んでいる「定年ゴジラ」重松清著を
少し読みながら寝ようかな。
半分ぐらい読んで、先が気になって気になって。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一つだけ

2008年03月05日 | 健康・病気

2月に焼けた私の作品は一つだけでした。
勤務が陶芸教室の日の水曜日に重なり、なかなかいけなかった。
このコーヒーカップ、写真とは少しちがう、
実物はもっと、いい感じです。
(自分でいってどうする)

今日も陶芸教室があった。
先週作った蕎麦猪口のようなものが2つと、皿の高台を削った。
あまり土をいじっていないので先週はなかなかうまくできなかった。
今日も、高台を削るのがたいへんでした。

こんなふうですが、なんとか陶芸は続けたいと思う、
と考えているが、どうなりますか。
しかし、作品が焼き上がると、次はもっといいのを作りたいと思う。
なかなか思うように作れませんが、やっぱり陶芸はたのしいです。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自転車3人乗り

2008年03月04日 | 健康・病気
3人乗り自転車検討 警察庁、子育て母の声を受け(朝日新聞) - goo ニュース


私も女房も双子の息子たちが小さかった頃、
自転車の前後に乗せていた。
その頃、私の家には車はなく(免許も持っていなかった)、
移動はベビーカーか自転車だった。

息子たちが2、3歳の頃、自転車に乗せて移動することが多かった。
これが安全だったかというと、自信がない。
息子たちを自転車に乗せて転ぶこともなくケガもさせなかったが、
それはたまたまだったとしかいえない。

やっぱり、自転車の3人乗りは危険だと思う。
しかし、双子の息子たちを連れて買い物などするには、
自転車に乗せて移動するしかなかった。

悩むところだが、
ここはやっぱり、自転車3人乗り禁止にしたほうがいい。
いろいろ生活に支障があると思うが、
大切な子どもにケガをさせたり、命をなくしてからでは
とりかえしがつかない。
ケガをして、身障者になる可能性もある。

自分が自転車3人乗りをやってきて、
今それを禁止にしたほうがいいというのは忸怩たる思いがあるが、
やっぱり可愛い子どもを危険にさらさないほうがいい。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

韓国料理パーティ

2008年03月03日 | 健康・病気

昨日は、私たちが陶芸教室が終わったあとによく行く、
小料理屋「幸(さち)」のママの誕生日を、
10人ほどでしんちゃん宅でやった。
この誕生パーティを企画準備してきたのは、陶芸仲間のHさんで、
なんといっても画期的だったのは、料理が全部韓国料理ということだった。
(Hさん、ありがとうございました)
いや、一点、みっちゃんの作った塩辛だけは日本のものでした。

いろいろな韓国料理がありました。
すべて私が初めて食べるものばかりだった。
キムチは、もちろん知っている。
これはHさんが漬けたものを持ってきた。
それらの料理の中で一番気に入ったのは、水キムチというものだった。
ほぼ透明な冷たいスープの中に、
いろいろな野菜やリンゴなどが浮かんでいるものだった。
見た感じよりスープの味は濃くうまかった。
中に入っている野菜もおいしかった。
リンゴがこれまたそのスープに合うのでした。
写真の右にある陶器に入っているものです。
この陶器が、また備前焼で素晴らしいものでした。
左の青い皿に載っているのは、イカを韓国の葱で巻いたものです。
これも味噌をベースにしたタレ?をつけて食べるのですがうまかった。

誕生パーティを「幸」のママはとても喜んでくれた。
パーティが終わり、いつも歌をうたいに行く“角ブン”に行った。
すっかりできあがっていた私たちは盛り上がった。
それで解散したのが、日付がかわるころだった。
もうみんなかなり酔いました。

気がつくと私は蒲団の中に入っていた。
あっ、まだ九想話を書いてない、と思い、
起きて書こう書こうと考えていたことは記憶にあるが、
いつしか寝てしまった。
昨日は勤務明けで3時間ほど寝て午後3時から始まるパーティに、
必死に行きました。
やっぱりあるていど寝てないといけませんね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする