金城哲夫

2010年09月15日 | 健康・病気
これまで少しこの人のことは知っていたが、
今日、あらためて金城哲夫という男のことを知りました。
「歴史秘話ヒストリア」(NHK総合22:00 ~ 22:45)を観た。
「ウルトラマンと沖縄▽夢に挑んだ若き脚本家栄光と死▽勇気の言葉幻の映画・衝撃作」
金城哲夫は、ウルトラマンのシナリオを書いた人です。
ウルトラマンの生みの親ですね。
ウルトラマンの前の番組「ウルトラQ」が私は大好きでした。
東京オリンピックが終わったあと始まった番組です。
東京オリンピックでは「ウルトラC]という言葉が流行った。
それでこの番組ができたと思う。

沖縄と本土のかけ橋になりたいと思った金城哲夫。
宇宙人と地球人の間に立つウルトラマンは、金城哲夫の分身かも知れない。
沖縄で国際博覧会「海洋博」の開催が決定して、金城はその演出を任された。
沖縄のことを世界に発信する最大のチャンスと思い頑張った彼の、
「海洋博」の開会式は評価された。しかし、
閉会式に、沢山の沖縄の船を出してもらいたくて漁師に頼みに行くと、
「海洋博」をやったお陰で沖縄の乱開発が進み、儲けは本土の大会社がほとんど取り、
沖縄住民の利益は少なく、そんな「海洋博」に協力したくない、といわれた。
皮肉にも良くしようとした沖縄で追い詰められることになった金城哲夫。

37歳のとき、階段から落ちて死んだ。
そのころ彼は、かなり酒浸りの日々だったようだ。
ああ…、こんな人がいたんだな…、出来ることなら一緒に酒を飲みたかった。

おれは、酔っぱらって、階段から落ちないようにしよう。
おれの昔の会社の同僚で、酔って階段の上から落ちて死んだやつがいる。
谷啓は、酔っていないと思うが、階段から落ちて死んだんですよね。

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きょうだい旅行3

2010年09月14日 | 家族

翌日もいい天気だった。
こんな素晴らしい晴天に恵まれたことを私は喜んだ。
朝8時私たちは、西の河原露天風呂に行った。
大きな露天風呂です。
ここは兄も姉も初めてだった。
とても気に入ってくれた。

泊まったホテルに戻り、コーヒーを飲み
10時ぐらいにホテルを出た。
白根山に行く。
山道を登っていく。
そうとう高いところを道路が走る。
怖かった。
有料駐車場に車を停めコンクリートで整備された登山道を登る。
私とひとまわり歳の離れた姉は、登らないで下で休んでいることにした。
70歳では登るのはきつかった。
オヤマリンドウやナナカマドなどの高山植物が綺麗に咲いていた。
下を見下ろすと気持ちよかった。
空は真っ青だ。

ゼイゼイ・ハアハアいいながら30分ほど登ると、
白根山の火口湖、湯釜がありました。
この緑は、なんかありえないグリーンでした。
とても不自然な“自然な”みどりでした。







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九想話が書けない

2010年09月13日 | 健康・病気
疲れています。
昨日、職場の施設の壁の塗装をやり、
今日は、噴水池の清掃でした。
ちょっと酒をたくさん飲んでしまいました。
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きょうだい旅行2

2010年09月12日 | 家族

パンカーラを午後2時前に出て、鬼押し出しに向かった。
私は、女房といつか行こうといっていながら、まだ行ったことがなかった。
兄は20歳の頃、地元の青年会の旅行で3番目の姉と来ていたという。
40年前とはかなり鬼押し出しも変わってしまったそうです。
溶岩などの景色は確かに珍しい景色だが、
なんか一昔前の観光地という雰囲気だった。
昔は、たくさんの観光客が観光バスで押し寄せたんだろうな。







鬼押し出しを後にして、草津にカーナビを設定した。
また、パンカーラの横を通る。
草津に入る手前に、車で40キロで走ると草津節が流れる道路がある。
そこを走ったとき、兄たちに受けた。
午後4時にホテルにチェックインした。
1日目の車の運転が終わり私はほっとした。
夕方、湯畑を散策した。
食事をして、風呂に入り、夜にまた湯畑に行った。
楽しい1日が終わりました。



         湯畑              兄・次女・三女・義兄・私


         私・兄                   夜の湯畑






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谷啓

2010年09月12日 | 健康・病気
死んじゃった。
私もトロンボーンを吹いていたので、
この人には並々ならぬ思い入れがあります。
今日は書けないので、いつか書きます。
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きようだい旅行1

2010年09月11日 | 家族




昨日今日と、きょうだいで旅行をしました。
昨日の朝、8時16分に東京駅を新幹線で出ると、兄からメールが入った。
私は、ネットでそれは何時に軽井沢駅に着くかなと調べた。
9時24分だった。
それまでぐずぐずしていた私は、それからテキパキ動いた。
テキパキしたくても思うようにいかないのが、トイレ(排泄作業)です。
私はこのことで子どもの頃から悩んでいました。
なんとか家の駐車場を8時55分に出た。
軽井沢駅に行く前に、セブンイレブンでお金をおろさなくてはいけない。
駅に行く途中のセブンイレブンの駐車場に入った。
入ったが、空いてない。待っていたら、1台車が出た。その後に入る。
なんだかんだあって、駅の改札口に9時20分に着いた。
24分、定刻通り兄たちは改札口からやってきた。
今年の正月以来の対面だ。

兄が私に詫びた。
「ホントはァ、1本前の新幹線だったんだけど、
 キヨちゃんが東北新幹線のホームにいて、探していておぐれだ」
と私に説明してくれた。
私たちは、駅前の駐車場に停めておいた車に乗り旧軽銀座を目指した。

旧軽銀座には、あまり人がいなかった。
さっそく姉たちは、ジャムの店に入り、試食した。
2つの教会に行った。
いろいろ話しながら、ぶらぶらした。
19時20分頃、旧三笠ホテルに向かった。
三笠ホテルを見学し、それから山道を白糸の滝まで行った。
かなりの急な坂を、わがFitくんは大人5人乗せ元気でした。





午後1時、パンカーラに着いた。お客が3組いた。
マスターが私たちの席を作っておいてくれた。
料理を出してから、マスターは着替えて
お願いしていたように、ケーナを吹いてくれるのです。
ギター・チャランゴの伴奏のカラオケをかけて、
マスターは、ケーナとサンポーニャを吹いてくれた。
兄などは、ケーナを聴きながら涙を流していた。
きょうだいをパンカーラに連れて行ってよかった。

今日は、疲れました。
全部の旅の様子を紹介しようと考えていましたが、ここまでとします。

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ホテルでネット

2010年09月10日 | 健康・病気
草津のホテルでノートパソコンを借りてこれを書いてますが、
まったくどうしょうもないです。
遅い。反応がほとんどないという状況です。
こんなので、ホテルのカタログにノートパソコン貸し出しています、
なんて書いてほしくない。
このパソコンでは、何も書きたくなくなる。
この状況では、パソコンを使ってなにもしたくありません。
もう、部屋に戻って寝ます。
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きょうだいがやってくる

2010年09月09日 | 健康・病気
いよいよ明日、姉・兄たちが軽井沢にやってきます。
案内するところを下見したり、宿泊するホテルも訪ねて予約してきた。
明日、天気はいいようです。
夏が過ぎたから観光客は少ないと思うのだが、どうだろう。
事故に気をつけたい。
姉たちが楽しい旅をできればいいなと思う。
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エコカー補助金

2010年09月09日 | 健康・病気
エコカー補助金、7日で打ち切り=期限3週間残し終了―経産省(時事通信) - goo ニュース

エコカー補助金、9月で終わるとはいわれていたが、
あまりにも唐突な終わり方でしたね。
国はもう少し正確な時期を予測できなかったのでしょうか?
しかし、そもそもエコカー補助金に私は賛成できなかった。
世の中の景気をよくするために自動車産業を活性化させる、
ということだったのでしょうが、
なんで車を買う人だけがそんな特典を受けられるんだと思った。
車に縁のない人には関係ないなんて、不公平ですよね。

私は去年、車検を受けたとき恩恵を受けました。
自動車重量税が減税になったので、車検が2万円弱安かった。
なんか車に縁がない人に申し訳ない気がしました。

それにしても、車の製造に関わっている人たちは大変でしょうね。
これから売れなくなるから生産を減らすという。
車のメーカーに部品メーカーは合わせなければならない。
昔の自分の苦労を思い出します。

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九想話13年目へ

2010年09月08日 | 健康・病気

昨日の9月7日は、九想話の誕生日です。
(「忘れられた九想話」にこのことを書いてます)
盛大に誕生日の大パーティーをしたいところですが、何もしてません。
所沢に住んでいれば友人は沢山いるのですが、軽井沢にはいません。
中軽井沢に、私が飲みに行くところはありません。
お店はありますが、私はこっちで新しい店に行く気がないのです。
それに車に乗っては行けません。酔っぱらい運転になります。
田舎はこれが辛いです。
こちらで唯一の私の飲む店のパンカーラは昨日休みでした。
営業日でしたら行きたかった。
今日、私は休日なので泊めていただけたら飲めたのです。
しかたなしに家で1人、さみしく飲んでいました。

九想話を書き始めた1998年は平成10年なんですね。
私は3月に、山梨から帰ってきた。
その前年に単身赴任で山梨に行き、暮らしていました。
その会社が東京の本社を山梨に移すというので退社した。
私の帰る本社がなくなったからです。
でもその頃、会社はボロボロで私なりに見切りをつけました。
そのときに退社すると退職金が少し多く支給された。
結局、会社は翌年の1月に親会社から捨てられた。
親会社がある会社に売却し、山梨から移転して静岡に行ったと聞いている。
山梨の本社と熊本事業所が2つの会社に切り売りされた。
(その1年前に、長野・東北事業所は閉鎖になっていた)
そして本社が移転したときほとんどの社員が辞めたと聞く。
実質、1998年に私が退職した会社は現在は存在していない。
そのときの子会社だったところに何人か入っていて、
むかし製造した装置のメンテナンスをしている。

私は、求人広告で見つけた車のウィンドウガラスの加工をする会社に転職した。
40歳までという求人条件だったが、それまで応募者がいなかったのか、
会社が希望した応募者が来なかったのか、45歳の私が採用された。
そのとき採用された一番の理由はパソコンが出来たということでした。
その頃、パソコンを使える人は少なかったんですね。
私は、生産管理として入社した。
ホンダ狭山工場が日々製造する台数分のウィンドウガラスを、
要求された数量を時間通りに納品しなければならない。
車のメーカーは、ジャストインタイム生産システム(カンバン方式)だからです。

ホンダの要求通りに日々の生産計画を立てるのですが、
計画通りに生産がなかなか出来ない。
ガラス・樹脂・部品などの材料が足りないときがある。
プレス機にガラスを入れて周りに熱した樹脂を蒸着させるのだが、
ガラスの曲面とプレス機の型の曲面が合わずによくガラスが割れた。
1直(8時間)に何百枚と私が設定して計画を作るのだが、
予定通りの枚数をクリアすることがなかなか難しかった。
1日を3直24時間交代で工場は稼働している。
毎日まいにち死にものぐるいで生産枚数を死守していかなければならなかった。
ホンダに要求された枚数を欠品するようだと一大事だった。
ホンダから取引停止にされてしまう。

あの頃、なんでこんなことをおれはしなくてはならないんだと思っていた。
仕事で使うのでフォークリフトの資格も取った。
息子たちは高校3年生だった。
双子のあいつらをなんとか大学まで行かせたかった。
早朝、親会社から来るガラスの受け入れをフォークリフトに乗り受領して、
工場の生産枚数を気にしつつ夜遅くまで残業をしていたあの頃。
なにしろ製造は24時間勤務なので、深夜のことまで考えていなければならなかった。
私と一緒に生産管理として入社した男は、ノイローゼのようになってしまった。
ウィンドウガラスの生産状態が家に帰っても気になって、
工場に夜中に来て、そのまま朝までいるなんてことをしていた。
そして精神的におかしくなって退職した。
私は、出来ないものはしょうがないと、家に帰ったら会社のことは忘れるようにした。
会社にいるときは心安まるときがなかった。
そういう意味ではあの頃、私は毎日必死に生きていた。

そういうときに私は、九想話をASAHIネットの「かしの木亭談話室」というところに
毎日書くようになっていた。
小説を書くための文章修行という目的もあったのですが、
あのとき会社に、会話をする人がいなくて、
人と話したいというその欲求不満を九想話という形で解消していたのでしょう。
それが今も続いている。
いつまで書くのだろう?

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