雨のトンボの湯

2014年01月08日 | 健康・病気

 

午後、トンボの湯に行った。
今にも雨が降りそうだった。
私の家からトンボの湯までは2・2kmです。
トンボの湯の駐車場に着いたときには車のフロントガラスが濡れていた。
傘を差して行く。
下足棚の靴を数えると9足だった。
こんな天気の悪い日は、入浴客が少ないのだろう。
私はいつも水曜日に行くが、だいたい20足はある。

身体を洗って内風呂に入ると湯船には誰もいなかった。
私の好きな定位置に浸かり、大きな窓の外を眺める。
内風呂に向かって左の隅が私の好きな場所なんです。
10分ほどそこにいて、露天風呂に行く。
露天風呂にも誰もいなかった。
定位置に行く。
露天風呂の右側のあたりです。
湯に浸かり、身体が熱くなるとうしろの浅いところで身体を横にして空を眺める。
身体の半分が湯から出てるので丁度いい。
寒くなると手前の水深20cmほどのところに身体を移動する。
ここだと身体が全部お湯の中に浸かる。
私はずーっと空を見ている。
そこから雨が降ってくる。

しかし、温泉やスーパー銭湯などに屋根のある“外風呂”があるが、なんで屋根をつけるのだろう。
屋根があっては“露天風呂”ではない。
それを平気で“露天風呂”といっている。
雨が降ったら濡れればいいじゃないか。
露天風呂に入っていて雨に降られることもわるくない。

前回、トンボの湯に行ったときに露天風呂が熱いと書いたが、今日のお湯はいつもの温度だった。
これだったらなんの問題もない。
やはり前回は、お湯の状態を管理する人が違う人だったのか?
それとも単なるまちがいだったのかな?



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セカンドライフ

2014年01月06日 | 健康・病気

ゆうどきネットワーク(NHK総合 午後5時10分~6:00)で、セカンドライフという特集をやっていた。
会社を退職した60代の男性女性の第2の人生のことです。
私が番組を観たときに出ていたのが、料理を作るサークルの男性たちだった。
その次が、大学のセミナーで「自分史」を書くことを勉強していた人たちだ。
そして、“歌声喫茶”で歌をうたっている人たち。
それまでの仕事を退職してからシニアの人たちが第2の人生をいろいろ生きていた。
会社を定年退職して無気力になる人が多いという。
そんなときに、やりたいことをやって自分を取り戻す。
私の施設にも60・70代で、絵画・彫刻・版画・水墨画・書道・俳句・能楽・合唱などのサークルで熱く生きている方々が多い。
私もセカンドライフを生きたい。
やりたいことがたくさんある。
でもまだ私はやれない。
生活のために働かなくてはなりません。
 

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正月太り

2014年01月05日 | 健康・病気

正月太りの平均増量2キロを1週間で戻す方法(nanapi) - goo ニュース

正月が終わって太ってしまったと悲しんでいるあなた、それはあなただけではありません。
安心して下さい、私もそうです。
あなた、悲しんでいる場合ではありません。
これから一緒に痩せましょう。
こうなったら痩せるしかありません。
スリムになって、見返してやりましょう。ダレヲ?

> ■ 1週間で2キロ痩せるためのポイント
> ・量を減らさず、カロリーオフすることを心がける
>  ・空腹によるストレスがないように続ける
>  ・お通じを良くする

> 極端な食事制限や運動のやりすぎは身体に負担をかけます!
> 無理はせず努力をする!という気持ちが大切です。

現在の私の体重は、75.8Kgでした。
年末は、74.5Kgだった。
今日までの暮らしを反省して、明日から痩せます!!


 

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年賀状

2014年01月04日 | 健康・病気

昨年、私は家を買うなんてことをしたために、いつもの年末とは違ってしまった。
そのひとつ、年賀状を書けなかった。
軽井沢の家にプリンターがないので、毎年東京の家で書いていた。
それができなかった。

年賀状というものは私にとってへんなものになってしまった。
親しくしていても書かない人がいる。
いや、どちらかというと親しくしてない人に書いているような気がする。
何年も会っていないのに、年賀状だけ交換している人もいる。
でも、この年賀状だけのつきあいもいいものだと思う。

龍彦のお母さんと何年も年賀状のやりとりをしていた。
ところが、一昨年、龍彦の弟さんから「母が亡くなった」と連絡が来た。
現在は、弟さんから年賀状が来る。

大学生協で一緒に働いていた友人が、長男なので富山に戻った。
生協にいるときに同人雑誌を作った。
彼は、今も小説を書いていて同人誌を送ってくる。
今年の年賀状にも「同人誌を送ります」と書いてあった。
昨年、小説をひとつも書いてない私は恥ずかしい。

昔、同じ会社だった熊本の友人と年賀状を交換していた。
15年前、親会社が私たちの会社を売却したために、熊本事業所は別の会社になった。
私はそのとき山梨にいたのだが、東京の本社が山梨に移るというのでその会社を退職した。
1年で本社に戻れるという約束で山梨に行ったのに、戻るところがなくなってしまったからだ。
9年前に、私が就職した会社で熊本に仕事で行くことがあり、彼と会い彼の家に泊めてもらった。
それなりに親しくしていたのに、いつの頃からか年賀状が来なくなった。
事情は分からないが、さびしい。

山梨に単身赴任していたときに私の部下として一緒に働いていた女性は、
会社のリストラがあったときに退職して看護学校に行った。
たしかそのとき25歳だった。
高校生のときに看護師になりたいと思っていたという。
それから4年たってみごとに看護師になった。
ずーっと年賀状を私に書いてくれている。
現在は結婚してご主人とツーショットの写真のある年賀状を送ってくる。
まだ、お子さんは生まれないのだろうか?

24歳のときに福岡の九想窯に遊びに行った。
蹴ろくろなどやらせてもらった。
九想窯のオーナーは私の友人のお兄さんです。
そのときから毎年年賀状を出していた。
すると必ず俳句を書いた達筆な年賀状が返って来た。
20年前、ハンドルネームを「九想」にするときに、使わせていただきたいと手紙を書いた。
年末に年賀状を書いてないのでいまさら書けない。
近いうちに近況を手紙に書きたいと思う。

九想窯のオーナーの弟は、昨日の九想話に書いた I さんです。
彼は、私たちの住んでいた駒込のアパートから日暮里のほうに引っ越し、結婚して横浜に移った。
それから京都の山科に行き、そして山梨に定住した。
私が山梨に単身赴任していたときに、ときどき行って泊まっ たりしていた。
私が年賀状を書くと、4・5年前から奥さんから年賀状が来るようになった。
私は昨年、彼に年賀状を書いてない。
彼にも手紙を書こう。
20歳のときからつきあっている友だ。

年賀状も手紙も電子メールもコミュニケーションのツールです。
それぞれの特性を生かして利用したいと思う。
私は友人と長くつきあっていたい。

 

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成人式に思う

2014年01月03日 | 健康・病気

今日、私の勤める施設で成人式があった。
多くの成人は普通だが、中には・・・、そのことを書くことはやめます。
あの子たちは、どんな気持ちで成人式をむかえたのだろう?

私は、茨城の生まれた町で成人式を挙げた。
そのときのことをよく覚えていない。
たしか、親父から金をもらってスーツとコートを買ったような記憶がある。
いや、自分の金で買ったのかどうか、あやふやです。
私はいつもジーパンで暮らしていたからスーツなど持っていなかった。
夏なんて、サンダルで会社に通っていた。
上野のABABで慣れない買い物をした。
なぜ上野かといえば、そのとき勤めていた試薬会社が本郷三丁目にあったからです。
本郷から上野には歩いて20分ほどで行けた。
だから、なにかというと御徒町か上野に行った。

あの頃、私は何を考えていたのか・・・。
その1年前、大学に行くんだ、と予備校に通ったが、夏に挫折してやめた。
やはりボクシングに挫折した龍彦と毎晩飲んでいたと思う。
飲むったって、金がない私たちは、安酒をアパートに買って行って飲んでいた。
金がちょっとあるとやきとんの赤提灯の店だった。
3畳のアパートで飲んでいると目の前のギターを弾いていた。
それで龍彦はギターを覚えてしまった。
リコーダーもよく吹いていた。
(その頃、私はケーナを持っていなかった)
同じアパートの I さんがアルトリコーダーを吹いていたからです。
このひとは、これまでも何度か書きましたが、美大に行かずに自分で油絵を描いていた。
山谷へ週に2・3日日雇いに行き、あとは絵を描いていた。
いや、リコーダーを吹く合間にたまに描いていた。
リコーダーは、バッハ・ヘンデルなどのフルートの楽譜を吹いていた。
私と龍彦が、サバ缶ややきとんと酒を買ってアパートに帰ると、I さんがリコーダーを吹いていた。
そうすると私たちは、私の部屋に行かずに、I さんの部屋で飲んだ。
I さんの部屋には雑多な人がやってきた。
大学生・美大生・漫画家の卵・ホステス・一流会社のOL・水商売の男などなど。
飲みながら、恋の話、文学のこと、絵画、写真、演劇、映画、山谷の日雇いのこと、
人生のあらゆることを話した。
私は、彼らと会うまではそれほど小説など読んでなかったが、それから読むようになった。
映画・芝居も観るし、音楽も聴くようになった。
私にとってI さんの友人たちと話したことはものすごい刺激になった。

私の20歳のときはそんな暮らしをしていた。
そして成人式で出会った同級生たちが退屈だった。
その頃、小説を書きたいな、と思い始めた。
なのに今になってもだめなワタシです。

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私の正月

2014年01月02日 | 健康・病気

1月1日の11時前に、茨城の実家に向かって女房と家を出た。
兄は年末に、観光で仙台のほうに行っていた。
姉たちが午後3時ぐらいに行っているというので、その時間めがけて行くようにした。
軽井沢の家から実家までは200キロ弱ほどの距離です。
上信越自動車道・関越自動車道・北関東自動車道・東北自動車道・北関東自動車道と走って行く。
良い天気で車内は暑く、ときどき窓を少し開けたりした。
午後3時より早く着きそうだったので、真岡インターチェンジで降りてから真岡井頭温泉に寄った。
実は31日に、東京の清瀬の家から軽井沢に帰ってから小諸のあぐりの湯に行ったのですが、
休館日だったので家のお風呂に入った。
1日に、大きなお風呂に入って満足でした。
そこから実家までは30分ほどで着いた。
実家には姉2人がいました。

姉たちとゆっくり話す前に近所の幼なじみの家に女房と行った。
朝に友人には電話をかけていたが出なかった。
インターフォンを鳴らすと幼なじみが顔を出した。
客が大勢いるようなので外で立ち話をした。
女房が一昨年建てた家を見たいといっていたことを話す。
目の前のその家は素晴らしい新築の家だ。
幼なじみに中古の家を買ったことを話した。
友人は、60歳で家を新築した。
私は、61歳で築29年の中古の家を買った。
彼は、高校を出てから家電販売の会社に就職してそこで定年をむかえ、現在は嘱託で勤めている。
私は、幼なじみの彼を偉いと思う。
これまでいろんな苦労話を聞いてきた。
関連会社の家電量販店の店長などさせられたときもあった。
「辞めたいけど、辞められない」などと私に何度もいっていた。
そして辞めずに今日まで生きてきた。
女房が家のことをいろいろ聞いていた。
庭も玄関まわりもきれいにしていた。
寒い外での会話だったが、楽しかった。

兄は戻ってなかったが、6時過ぎに夕食にした。
久しぶりに2人の姉と女房は会った。
私たちが買った家の写真を見せて、家を買うまでのいきさつなどを話した。
テレビを観て食事をし、ビールなどを飲んでいるうちに兄が8時過ぎに帰ってきた。
1年ぶりに兄と姉2人と楽しい会話をした。

今日、午前中にお墓に行った。
きれいに掃除をして、線香をあげてきた。
家に戻って、昔畑だったところに5人で行った。
その畑でサツマイモや麦を耕作していたとき、女房と一緒に父母の手伝いをしたことがあった。
そのことを女房は覚えていた。
そこは現在、杉林になっていた。
そこからの帰り、竹の生えているところがあった。
尺八に適した竹があった。
こんど取りに来たいなと思った。

  

午後1時過ぎに実家を出た。
ガソリンが少なくなっていたので入れようと思った。
栃木県の真岡市は、ガソリンの価格が軽井沢とそれほど変わらなかったので、茨城で入れようと考えた。
国道50号を走って行ったが私のカードのガソリンスタンドがなかった。
そのうち結城・小山を過ぎていた。
結局帰りは国道50号を通り、桐生太田インターチェンジで北関東自動車道にのり帰ってきた。
碓井軽井沢インターチェンジを降りる前に給油ランプがついてしまった。
家に帰る前に給油しようと思った。
ところが正月のせいかガソリンスタンドが休みのところばかりだった。
いつも給油している追分のスタンドに行くことにした。
しかし、そこが休みだったらどうしよう?と女房と心配した。
たしかそのガソリンスタンドは、年中無休24時間営業のはずだった。
やっていました。
安心して車を停めてカードを出そうとしたら、なかった。
焦った。
しかたないので給油する人に「現金でお願いします」といった。
そして、必死になってカードを探した。
財布にはなかった。
運転席のサンバイザーのカードを入れるところにそのカードはありました。
給油員にカードを渡しほっとした。
やはりカードはいつものところに置いておかないといけないな、と反省した。
「ウェブ会員だったので5円引いておきました」といってくれた。
そんなことが、うれしかった。
いい正月だな、と思った。

ツルヤが休みなので冷蔵庫のもので夕食にしようということになった。
昨年、いただいたクサヤがあった。
それを女房に焼いてもらった。
美味かった。
明日から私は仕事です。
女房は5日朝、東京に帰る。

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新年

2014年01月01日 | 健康・病気

明けまして、おめでとうございます。

今年もよろしくお願いいたします。

                                                                                                                         九想

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