自転車のサドルの上で・・・

サドルの上での気ままなひとりごと

丘の会展 開催

2024-10-29 | Weblog
 今日は午前中、四日市文化会館へ「丘の会展」開催準備(搬入・展示作業)。
 会場は1階の例年より狭い場所しか取れなかったので、作品も大きめのが少なく、59点の展示となった。
 初めての部屋での設営という事もあって、予想しなかったトラブルもあり、てんやわんやとなった、が、なんとか午前中で収まった。午後から公開なので焦りました。(会場;見出しの画像)
 11月3日(日曜)午後3時まで開催(台風が心配ですが)。無料ですし、いつでも覗いてみてください。
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怖いもの見たさ

2024-10-26 | Weblog
 今朝、展示用の50号の仮縁(アクリルが入っていない絵画展用の額縁)を組み立て、絵を入れてみた。こうすると、観覧者の目になって絵を見るので、書き損ねている所が目に付いた。大体、書き終えたと思って、額に入れて2,3か月は置いておかないと本当の出来上がりにはならない。今回は、時間が無いので仕方ないけれど、展示が終わってから再度手をいれようと・・・。
 一旦、額に入れたので、気分転換サイクリング。明日日曜は尾鷲で法事があるので、乗れないので、午前中近場へ。前回走った、石山観音のコースが50㎞のコースでアクセントになるなぁ、と思って再度行くことに。 また、猪が出るかも、とも考えたが、怖いもの見たさもある。
 結果は、暇な人間相手はしてられないと猪も思ったのか、平穏でした。標高差100mほど登るこの坂の上部ピークは5つあることも勘定して分かった。この変化は少し面白い。
 坂を降りた、忍田集落からはいつものコース。今日はヤマギシ経由のややショートコースで帰宅。走行52㎞。
(見出しの画像は津市から拝借した石山観音の散歩道案内図。摩崖仏(観音)が33体ある)
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二科展

2024-10-24 | Weblog
 絵の詰めに追われている。29日からの「丘の会展」の出品する絵の細部で手つかずに残っている所などを「発見」し、焦っている。ところが、日曜に痛めた腰の調子が良くない。接骨院へ行こうかとも考えたが、体が少し熱っぽかったので、昨日から、風邪薬を飲んだら収まった。
 要修正箇所は、まぁ、よっぽどあら捜しをしないと他人にはわからない所なのだが。
 今日は、そんな状況でも、名古屋で開催されている「二科展」へ行ってきた。以前、所属していた写真サークルの仲間から「入選した」とのハガキを頂いて見に行くことに。自分としては、写真というより絵を見ることが目的のようなものだが・・・。(見出しの画像:突き当り、真ん中の絵は「二科賞」、右手が「新人賞」、左手が「パリ賞」(2作品あるが下の絵が受賞作品) 写真作品は撮影禁止のため撮れなかった。)
 自分の描いているような写実的な作品は少ないが(主催団体の趣旨により違いがある)全般的に力作が多く、見ごたえがありました。
 他の主催団体で、ボタニカルアート展や版画展があって、はしごして帰宅。
 帰宅後、最後の手直しをして、自分の絵も一旦終了(絵具を乾かす必要がある)。
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中国絵画の勉強

2024-10-21 | Weblog
 昨日は、団地の公園草刈りで、腰を少し痛めた。午後からは水沢の「澄懐堂美術館」へ車で。一人で見るだけなら、チャリで行くが、今日は昨日は、特別講演「中国絵画の魅力と日本人」を聞きに行くため、汗臭い恰好は避けた。
 今朝は、津市の地所の草刈りと、腰を痛めたが、来週から始まる展示会のために、小屋の中においてあるF50号の仮縁を取りに行く必要があり、えいや、と一人で行ってきた。草刈りの方は腰が痛いので、なんとなく刈ったということがわかる程度にとどめざるを得なかった。

 さて、昨日の講演(90分)は概括的な内容であったが、中国絵画については知識が無いので勉強になった。春秋の2度開催される、美術館のこの秋の展示は「清時代の書画」であって、清朝は1912年に滅んだため、新しい国と感じてしまうが、1636年に始まっているので、276年の歴史があり、書画もバラエティに富んでいる。
 中国の絵画の請来によって、日本の平安朝の大和絵から、室町の水墨画、障壁画、江戸の南画などその影響を受けている、というか摂取して独自の絵画にもなっている。油絵を描いていることもあって、西洋美術史は自分なりに勉強したが、講演を聞いて、少し、中国美術(絵画)史を調べてみたくなった。
(見出しの写真は八百津の酒、「玉柏」純米の方は火入れ酒だが、酒米ひだほまれ55%精米で透明感もあり上等の火入れ酒。ひやおろしの方は山田錦50%瓶火入れなので純米吟醸でいうことない。)
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猪・熊

2024-10-19 | Weblog
 昨夜は、以前、勤めていた会社の同期の飲み会。楽しいひと時であったが、幹事から、一人物故者がでたとの報告。そういう年頃だ。メンバーの中に、2週間前の芸濃町小野平の熊出没騒動の集落の近くに住む方がいるので、聞くと、どうも確実に熊らしいとのこと。これまで、一志までは目撃情報があったが、165号を横断して北上してきているということかと。山道のサイクリングも鈴をつけるなり、注意が必要か、と。
 さて、今日は午前中1週間ぶりのサイクリング。昼から雨模様なので、午前中とした。明日は予定があり乗れないので・・・。
 忍田橋へ行くのも、いつもと同じでは、と変化のバリエーション。石山観音を回ってみる。この坂道は上の方で細かいアップダウンがあるので好きではないのだが、110mほど登ることになるので、脚には良いかも。
 ところが、登っていると、ウリ坊が飛び出した。秋なので大きくなっている。母親が出てくれば厄介だと、上り坂を必死に漕ぐ。後ろの方では、藪の中からがさごそと音がする。もう振り返らずに登るだけ、とある程度登って振り返ると何もいなかった。熊よりはましだが、猪突猛進の言葉にあるように怪我はしたくない。
 忍田集落に降りて、あとはいつもの朝津み前コースで帰宅。52㎞。4㎞ほど距離は伸びるし坂もあるので猪・熊に出くわさなければ良いコースだ。
(写真は先日の栗きんとんの帰途のトリトンからの夕景。奇麗だった(助手席のスマホ撮影))
 
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水曜はだめよ・・・

2024-10-17 | Weblog
 昨日は家族でドライブ。八百津と恵那の「栗きんとん」を賞味したいので、連れていけとのご指示。
 八百津には2005年と2009年の2回、栗きんとんを食べに行っている。店は4軒2,300mほどの中にある。恵那は2006年に行った「恵那すや」が目的。
 中央高速多治見で降りて、昔はなかったトンネルを抜けると八百津にはいる。便利になった。
 しかし!坂道となった通りを車で登ると、目当ての店々がお休みだ!!3軒目の亀喜さんが臨時営業?という感じ。確認しなかったミスだが、水曜は4軒とも休みだった。
 かろうじて、亀喜さんが営業していて、なんとか食することが出来たが、職人さんがお休み、ということで、栗きんとんは昨日の残りかと思われた。仕方なし。使い物は明日発送でお願いし、本日試食用に何個か購入。
 人道の丘公園で試食会(見出しの写真)。ふと浮かんだのが、昔の映画のタイトル。(60年代最初の頃「日曜はだめよ」という映画)八百津は「水曜はだめよ」だ。八百津の栗きんとんは、庶民的価格なのも良いが、味も栗そのものという感じ。この後、 杉浦千畝記念館も19年ぶりに見学して(リニューアルされていて充実していた)、ランチは御嵩町可児市の自然薯屋さん。
 「恵那のすや」は以前訪れた工場併設茶室はなくなり、別の場所(観音寺店)新たに工場とカフェが造られていた。ここでは出来たてを賞味できる。柔らかく、風味も良い。抹茶セットでサイズ2個分の大きい栗きんとんを頂く。(下の写真)
 帰途、多治見の美濃焼ミュージアムで陶磁器デザイナーの「日根野作三」展をしていたので見学。
日根野はデザインを重視し「機械的な大量生産工場は美を度外視して徒に外国品乃至伝統品の模倣を如何に安く生産するかに没頭している。工芸家あるいは陶工と称する作家群の多くは金持ちを相手の一品製作に余念がない有様。この状態で安く且美しい焼き物が人々の手で使われる日が何時になれば来るのであろうか」と言っている。これを求めるのは良いとして、難題でもあろうと思う。が、それに努力し、業界に大きな影響を与えたことは素晴らしい事だ。
 さて今回、八百津では「玉柏」日本酒も2本買ったのだが、初めてと思っていたが、さにあらず、2009年にも買っていた。忘れてしまっていた。八百津が2回目の記憶が飛んでいて、今回も2回目と思って、山の神が3回目というので理解できていなかったが、結果はこんなところだ。
(なお、日根野は伊賀市生まれ)


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体カバーの交換

2024-10-13 | Weblog
 涼しくなってきた。暑い夏の間は自転車の整備もチェーン清掃以外は繰り延べ。ヘッドチューブの清掃やマビック後輪フリーボディの清掃注油などが残っているが、まずは、PD7800ペダルの「体カバー」が消耗しているので交換した。
 この部品は既に廃番となっているが、新品を2セット何年か前に買ってストックしているので部品はあるのである。ペダル自体は使い始めて19年物だ。アルテのカーボンペダルも持っているが、クリートを嵌める時の感触はアルミペダルの方が良いので使っている。
 ただ、体カバーはプラ製なので、2,3万キロで限界かな。写真のように、もう擦り切れて、本来の機能を発揮していない(ペダルがひっくり返らないように、スプレー缶で支えて撮影、缶の蓋の上がぼろぼろの体カバー)。
 新品に換えると、シューズとペダルの一体感が増しているのが良くわかる。隙間があればやはりエネルギー効率も悪いのだろうと・・・。
 残りワンセットの新品の他に1万キロぐらい使用した中古も1セットあるので、これで、5,6万キロは持つのではないだろうか。今の走行ペースでも10年もつ。生きていれば83歳だ。
 ヤフオクを見てみたら、出品者がいた。新品ワンセット4,5千円の値を付けていたのにはあきれた。それに入札するのであれば、中古のカーボンペダルでも買うだろう。なにか、ネット社会、世の中狂っていますね。(シマノとしても、耐久性のあるDAペダルの補修部品は残して欲しいところだ。)
 今日は午前中、リハ走。椿~水沢~和無田のコース。秋の展示をしている水沢の澄懐堂美術館の様子を覗きに行ったり、神輿祭を見に行ったりと寄り道して53㎞。やっと、脚の痺れや痛みが治まったような感じだ。
 次は少し長めを乗ってみようかなと・・・。
 
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丘の会展の開催のご案内

2024-10-10 | Weblog
 今朝起きると、左脚でなく、右足が変。足首に違和感。少し痛いので、カバーするため引きずるように歩く。脊椎間狭窄症が左右両半身(妙な言い方だが)とも発生するのか??とやや危惧。
 実の兄はこの病により、200mを歩くのが限界、などと言っている。両足に発生しているのだ。
 右足首だけでなく、左脚(ひざ下)の痺れも極わずかだが感じる。サイクリング(リハ走)を予定していたが、接骨院へ行こうかナと思う。しかし、朝方のゴミ捨てにママチャリで往復したが、何ともない。ということで、ゆっくり近場のリハ走とした。
 下庄~河内渓谷、安濃川右岸の農道を走って、あの津台から中勢BPで帰宅。走行50㎞。リハ走の利点はやや重めのギアで、ペダルの入力位置を確認しながらゆっくり乗れることだ。
 帰宅した後は、まったく異常は感じないでいたが、右足首の痛みは、夕刻、復活してしまった。
 明日はどうなるか、問題なければ良いが・・・。

 さて、10月29日午後から11月3日(日)15時まで、四日市文化会館展示室で、「丘の会展」が開催されます。今回は、今、描いている熊野、楯が崎の絵(50号)と5月に鈴鹿で出した「聖アンナと聖母子(模写)(10号)の2枚を出します。会場が1階で昨年の2/3程度のスペースとなり、約60枚程度の作品となる見込みです。私は、未発表作品の在庫がなくなり、BSNHKの番組ではないけれど使いまわしをしないといけないのは情けない限り(入場無料)。
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リハ走2

2024-10-05 | Weblog
 昨日は、まだ朝方に痺れが出るため、、以前利用した接骨院へ行ってきた。腰椎と臀部に電気と温熱の処置。院長いわく、今回は腰椎よりも臀部のこりによって出た症状ではないか、とのこと。血流が滞り、痛み痺れが出るとの診たて。(腰椎が原因であればもっと痛い、という事かと自分で納得)
 ということで、今日は午前中椿コースの50㎞、リハ走。15㎞程度で痺れ感がでたが、痛みはないのでそのまま走行。椿神社へ着くころには消える。帰途、絵の先生宅へ寄って色々雑談して帰宅。
 大転子周辺がこっている、という意識は無かったが、院長先生がその箇所を触ると、なるほど凝っているのが自分でも良く分かった。本格的な再発でなく、その前兆的な状態かも、と、腹筋を2か月ほどサボっていたので、気持ちを入れ替えることとした。

 見出しの写真は、前回に続き、私鉄の切符類。近鉄と名鉄の車内発行券、その下は近鉄切符、普通乗車券、子ども乗車券、特急指定券。隣は上から、井の頭線(京急)、名鉄、東武鉄道、三岐鉄道。その隣は上から、西武、西武(国鉄乗車)、京福(鞍馬)、三岐鉄道(近鉄乗車)。その下は、三岐鉄道車内発行券。
 この中では、近鉄子ども券が昭和39年で一番古い(名古屋~四日市が55円)。次は昭和40年の井の頭線(駒場東大前駅)で10円区間だ。京福(鞍馬)は昭和43年10月で高2の一人旅。京都駅で松茸弁当を買って、鞍馬寺の山中で食べたので良く覚えている。松茸の香りが良く、美味かった。
 さてはて、いまや、スマホやICカードの時代。ただ、人間の記憶能力にはたいして変化はないだろう。記憶を補助する物も時には有用だ、と思うのだが・・・。
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硬券切符

2024-10-03 | Weblog
 脊椎間狭窄症の症状はまだ残っている。左脚に痺れが 出る時がある程度なのだが、この症状が治まるまで、チャリは控えようかとも思っている。年寄りの冷や水なんて言葉もあるし、生兵法という言葉もある。一度、接骨院で、電気でも当ててもらって、血流を良くすれば良いかもしれない。
 チャリに乗りたし、だが、幸い、今日は雨降りの天気で、絵に集中することが出来た。なんとか、一応の完成まで、目鼻がついてきた感じ。
 こうやって、作業に目途が立ってくると、気が楽になる。ストレスの解消だ。

 見出しの写真は鉄オタネタ。昭和41年から45年頃の国鉄の切符類。中には、頂いた切符もある。
 大きな切符は、昭和44年5月から、一等車がグリーン車に名称変更なると知って、わざわざ、名古屋駅まで買いに行った切符(多分何かのついでに)。普通電車に連結されていたので最小区間(名古屋~熱田)を購入(時間的理由で乗車はしなかった)。出札の駅員が記載する軟券で、硬券でないのは残念だったが、所有する、唯一の一等車乗車券。
 また、運賃は昭和42年当時の時刻表によれば20円は5㎞まで、30円は8㎞までだ。今、JR東日本では150円3㎞まで、6㎞まで190円だ。今は、幹線と地方線では異なっているが・・・。山手線の硬券も自販機導入の進展で45年には軟券になった。今夏、孫に山手線の硬券切符を各1枚あげたが、何を思ったであろう・・・。
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