モネに「印象ー日の出」という絵がある。印象派の名前の由来でもあるが、公開時は散々な評判だった。「印象しか残らない」とか「確かに印象なのだが、小学生の落書きのようだ」とか。
が、絵はコミュニケーション。画家の意図するところが伝われば成功なのだ。
今日も作業したこの絵(20号)も、自分がこの滝を見た時に感じた迫力を、何とか伝えたい、と新たな描き方をしてみようと思っているので、多分これから苦労する・・・。自分は印象派のような絵は描かないが、写実的な絵を描くので、実在感を表現し、かつ「印象」を伝えるのが大事と思っている。
中3日のサイクリング。暑くともこれぐらい間隔が空くと、少し乗りたくなる。
7時半頃家を出る。暑くならないうちに帰ろうと思って、安楽越えて鈴鹿峠、1号線で帰宅の算段。
しかし、亀山市両尾橋の所で諦めた。前方の安楽方面の山、雲は上がり始めて、回復傾向だが、山中は未だ降雨状態とみた。(写真)一瞬、雲の比較的明るい、椿(北)の方へ行こうかと思ったが、元々農免道路で帰る事を考えていたので、橋を渡って県道11号で南下する。雲の状態が良くないな、などと思っていると、白木の辺りで雨に降られる。坂道で、年配のおばさんが傘をさして、自転車を押している。高速道路下のトンネル内でしばし小止みになるまで雨宿り。さっきのおばさんが後ろからやってきて「どこから来たん?」「変な天気やな」「ほんまに」「気いつけて」などと少しお話。
西野公園過ぎて、農免道路へ出ようとするが、再度激しい雨に。ブレーキも効かなく、近くの家屋の屋根の下でしばし雨宿り。小降りとなってきたので、遠回りの農免を止めて、亀山市内を抜け、旧東海道を使って最短で帰ることに。
市内、国府の辺りまで来ると雨は止んで、サーキット辺りの路面には降った形跡もなかった。走行43㎞
天気も良いので、サイクリング。ほんとは昨日の午前中走ってみようかと思ったが、午後から亀山歴博で「古文書解読」講座がある。ダブルヘッダーはやめようと今日にした。
この応用編の古文書解読講座は、初心者の自分にはとてもついていけない。中上級コースと言った感じで、他のメンバーは原文を見ながら先生の読み下し(翻刻文)を聞き、確認し意見を述べている。自分は翻刻文を追うだけ(原文も翻刻文も配布されている)。まぁしかし慣れのためにはいいかと。亀山歴博では7月16日から9月4日まで「くずし字のひみつを知ると漢字がすきになるかも」という子ども向け企画展示をしている(無料)。無料だし、興味のある方はどうぞ。質問用紙に回答を記入するとオリジナルクリアファイルがもらえます。
サイクリングは、8時前に家を出て中勢BPで津IC傍まで、殿村、産品を経由して、長谷山の登りへ。配水場からは60m程度の登りだが、半分は後半の直線路で、ここがキツイ。日陰の旧道を行けば良かった。
家所手前の細道を左にとって、グリーンを横断、穴倉につながる、初めての道。5,6%の良い登りで田んぼを見ながらの楽しい道。県道28号とグリーンの間の道は生活道路として面白い。県道28号にタッチして登って来た道(写真)。
この集落内にジビエの店があるので、確認しに集落を少し登って北側に回り込む。県道28号に戻って、北上。Z坂(これからは鯖大師坂という事にしよう)を降りて戸島集落まで続く道を初めて走る。大きな建物があり、それは百五BKの研修所だった。戸島からグリーンを横断し、美濃屋川沿いに下り、あの津台経由で10時半頃帰宅。走行59㎞
昨日は、午前中サイクリング椿~水沢~和無田コース50㎞、和無田池では姫コウホネがまだ咲いていた。午後からは、先生宅アトリエで絵の作業、とダブルヘッダーの活動
しかし、暑い時にやるもんじゃないね。午後からは、なぜか疲れがあり、集中しなかった。
この2枚の絵を持ち込んで、描く作業をしたのだが、小さい方の8号の絵は、細かく詰まり過ぎていて面白みに欠けると思っているので、集中力が無いときは手が出ない。ということで、20号の「鶏鳴の滝」に取り掛かるが、どう描き進めたものか、先生に助言を求める。一番明るい所と比べながら、暗い所から描いていくとの事。隣の8号の絵のような「写真のような絵」(アトリエで一緒になった他のメンバーから言われてしまった)にならないようにしたいものだ、けれど・・・。
一昨日、デッサンを全くしていないので、やってみるかと、自分の顔をコンテで描いた(クロッキー程度)。そういや、昔描いたのがあるなぁと、出して並べた(写真)。・・・あまり描く力に変化はない。年月により髪はなくなり、顔は精彩を欠いた。20歳の時だから51年経過した。
娘に見せると「伯父さん(兄)かと思った。もっと顔は細い(そうなんだが・・・)」「顔は下手やな。風景の方がまし」などと意に反するコメントをずけずけと貰って、大分傷ついた。
学生の時はスケッチブックを1冊持っていたが、4年間で1/3も使わなかった。たまにしか描かなかった。仕事を辞めてこの4年間、絵を描きだしているが、進歩のためには、ただ描くしかない、かと。
そうは言うものの、今日は71歳の誕生日。午前中ライド、と8:30過ぎに家を出て、農免道路で関、久我経由で柚の木峠を登る。こちら側から登るのは何年ぶりかの登坂。
錫杖湖を降りて、旧?県道で雲林院を下り、「イワヰ」工場の前から左手の農道で、グリーンまで走る(この道もサイクリングに良い)、県道の高速道路下から左手に入って、先日走った快適な農道を下る。レッドヒルヒーサーの森の所にある「朝津味」という農産物直売所に寄って休息。後は、あの津台から中勢BPで11:30頃帰宅。走行66㎞
昨日の昼過ぎに、コロナワクチンの第4回目を接種した。モデルナの2回目。前回は肩痛だけでなく24H経過後ぐらいから微熱も発生。今回はどうなるか、なんだけど、今朝は良い天気。
ということで、軽くサイクリング。ロングは止めて、県立美術館で開催中の「いわさきちひろと中谷泰展」を見に行くことに。往復で37㎞程度と短いけれど、いざ乗り出すと、体が重いのがわかる。ワクチンを接種した左肩痛も夜明け前から発生しているので、お散歩サイクリングとした。
東京の「いわさきちひろ美術館」には長女の家から割と近くで、行った事もあり、彼女の的確なデッサンには感服している。今回は、自分が絵を描くようになってからの鑑賞であるので、大いに学ぶべきところがあった。松阪出身の中谷泰とは、一時期師弟関係でもあったための、今回の展示。その分、いわさきの作品が少ないのは、しょうがないか。中谷の作品も見どころはあるので、まぁいいかと。
ついでに、ギャラリーで開催中の作家の個展も見て、11時半頃帰宅。
今の所、前回のように、ワクチンによる微熱は出ていない。
誕生日には少し早いが、家族で亀山の中華「しらかわ」でランチ会とした。
すっかり御無沙汰していたので、昼のメニューが変わっていたことを知らなかった。一品料理が減って、定食セットメニュー中心に変わっていた。食べようと思っていたのが無かったので、麻婆豆腐の陳麻仕立て(+450円)を選択したが、これが辛いのなんのって、辛いというより痺れる痛さ満載。唇は痺れるし、コップの飲み水が塩辛く(炭酸のように)感じるなど味覚もおかしくなってしまった。残念ながら、美味しいひき肉を残すなど、完食できなかった。この店は町中華と違って、本格四川料理なんだけど、甘く見た。
一度は挑戦しようと思って注文したが、年寄りの冷や水だったナ、と反省。火野正平さんのように、辛い物が好きな方でもないのに、魔が差したというか。痺れる辛さが好きな方はどうぞ注文してください。
行きによった、「穴虫の郷」の蓮の花は大きく綺麗でした(写真)。
1年半前に買ったという、娘の高級ドライヤー(IB-WX1)が、先日、故障した。どれ、と見てみると、コードを触ると、点いたり消えたりする。すぐにコード内の銅線の断線と判断した。
断線はつなぎ直せば良いのである。しかし、場所が悪い。本体からコードの保護のための(プロテクト)カバーが付いているが、カバー内の、出口から5~8㎜程度内側の所で切れている。 原因は、ドライヤーの振り過ぎか?しかし、振って使用するのは前提だ。考えたが、まず、コード被覆が柔らかい素材だ。これは女性をターゲットとしているため、柔らかなタッチの素材のコード被覆を選んだのであろう。次に、プロテクトカバーの出口側がチューリップのように開いている。これも可愛い印象を狙ったのであろう。
問題は、柔らかいコードと、開いた出口。本体を振るたびにコードの曲がる角度が急になる。小さく曲がってしまう。これがコード内の銅線に負荷をかけた、という推測だ(コードはカバー内で接着されていないし)。
修理は、プロテクトカバーの根元まで切り開く。断線箇所でコードを切断するが、本体側のコード部分が短い。長く、あまり動かない箇所であれば、結んで、ハンダ付けし固定することも可能だが、ドライヤーではそうはいかない。
という事で、配線部品メーカー「エーモン」の「ギボシ端子」をDIY店で購入して接続することにした。ギボシ端子には専用電工ペンチが必要。この前に100均で買った400円のペンチが役に立った。初出動だ。
端子は自動車用で、家庭電気用ではない。「24vで400w以下」とあり、100vなら1600wまでは使用できるのでは、と考えた(間違ってたら教えて)。ドライヤーは1200wなのでまぁいいかと。黒のビニルテープでぐるぐる巻いたので見た目は良くないけれど、性能は復活。
一応、SHARPさんにも、この1件はメールで送っておきました。
梅雨の戻りか、というような天気の案配で、1週間ぶりのライド。といっても近場サイクリング。暑くなりそうなので早めに帰宅と、農免道路で亀山方面へ。
楠平尾へ抜ける、これも農免道路だけど走った事が無いので、左折していくことに。途中、ササユリを見に来たことのある場所を横目で見て、楠平尾へ。ここから県道を登って、左折し、高速道路沿いに細道を下る。この道も初めての道。途中200mほど草生した地道だが、レッドヒーサー前に出る農道がある。
この道は緩やかな下り道で、サイクリングには良い道だ。
これで、野田まで走って、あの津台へ。ここから、再度、農免道路で豊野まで。高佐で右折して、伊勢鉄高架前で全くの農道経由、河芸の森。今日の目的地、河芸上野の「円光寺」へ。沙羅双樹の花はとっくに終わっていたようだが、山門など風情がある(写真)。
この寺は江戸初期までこの地を収めた分部氏の菩提寺。滋賀高島の方へ移封となったが、当時の墓が4基残っている。1600年前後の墓は、苔むし古く、儚い。
寺の下のある街並みから登る道はどうなっているのだろうと、降りて探して見るも、今はほとんど使われてなさそうな道で時代の移り変わりを感じた。10時半には帰宅して、走行44㎞。
土曜の「NHKチャリダー」は「神君伊賀越え」と題し、狂言師茂山宗彦氏の3日間の旅であった。地元ネタでもあるし、興味深く見た(録画で)。
しかし、「いも峠」を越えて(ここがハイライトでこのコースを採用した理由なのだろうが)、南の方から回って室生から伊賀入りするとは、初めての説であった。解説としては、家康は分散して影武者を立て、様々なコースで逃げた、という事なのだが・・・。
確かに、家康と別れ、宇治に近い方のルートをたどった穴山梅雪は殺害されているので、家臣が家康を守るために、別れて、逃げるルートをたどった、というのは事実であろうが。ただ、この時、家康は4つも5つも別れるほどの手勢を引き連れて堺にいたわけではないだろう。
地元としては「神君」は、通説の御斎峠を降りたコースで三重入りしたと思いたいところ。
番組後半では、名張の近鉄北側を走る風景、百地砦に立ち寄ったり、関の街(深川屋)の風景、加えて、下の庄の県道、中の川の右岸堤防道など、いつも走っている道が出るのはなにやら嬉しい。最後のゴールは岸岡山展望台。ロードに乗る前はMTBで急坂の登り降り、階段走行の練習をした所。少し前は、婆さんとの散歩場所となじみ深い所だけに感慨もあった。
前回載せた、6/19の頃から多少描きこんだが、この「丸太橋」の絵、中々進捗しない。段々と細かく描くようになるに従い、面白みが少なくなる(写真)。描き始めは、現地でイーゼルを立てて描いたのに、今や写真を見て描き進めているからだ、な。元の木阿弥だ。 こうなってしまっては、最後まで描くしかないのだ、が。
描き始めた「鶏鳴の滝」の方が、どうなるかという期待もあって面白い。これも、昨日で下書きを終え、乾燥のためしばらくお休み。これはこの轍を踏まないように、できるか、だ。
台風(低気圧)が通り過ぎて、天気の方はまずまずのようだ。
ということで、サイクリング。行き先は、まず、中村川。7:45に家を出る。
一志のコンビニで水補給して、島田橋から中村川を遡る。降った雨で水量が多い。今、描いている「丸太橋」の現場で色々観察。河原のここそこに水が流れ、普段と異なる風景。絵では、一番右手前の新緑の葉をつけた木を描いているが、なんと、根こそぎ倒れて、川の中へ水没している。こんなこともあるもんだと・・・。
今日は飯福田から、貝坂峠を越えて、裏堀坂。堀坂の激坂区間も堪えて、峠下の水場で休憩と思ってゆるゆる登っていると、水場に先客がいる。チタンのデローザに乗ったお方。津から、清水峠、貝坂峠経由で来たとの事。同世代と思ってお年をお聞きすると2、3歳下だった。水補給もして、先に峠を越える。
峠を降りて、次の目的地、美濃田の「竹林街道」(写真)へ。先日テレビで放送していたので、行ってみることに。出入り口には柴垣も作ってあって、なにやら「嵐山」の雰囲気。中はこのような竹林。180m程度だし、他の人もいるので、自転車は押して歩行。涼やかなので今の時節、良いかも。(場所は「美濃田の大佛」の南側)
11時となったので、大佛の北側にある「美の田」で「ざるうどん 定食セット(800円)」手打ちとうたっているだけあって、ニュルッ、とした好みの味。美味しく頂きました。良い店発見。
帰途は、久居のラ・ミシェットによって、パンを買ってステムに括り付ける。津辺りから晴天となり、暑く、我慢の走行で13時15分着、走行99㎞。
台風の影響で、七夕の天気も気になる方もいるのでは。
ということで、先日、食べたお菓子「星づく夜」(写真)。京都祇園、「亀屋清永」の棹物(錦玉羹)。
パッションフルーツが使われているので爽やかなお味。随分モダンな和菓子だが、色も味も見かけも、この時節に合う。
底が平らでないガラスのお皿に置いたので少し歪んでいるが、アジサイの花を散らして撮影。
曾祖父が残した、明治18年出版の本。漢字には読み仮名が振ってあり、くずし字だが読みやすい。暑さも異常になってきたので読んでみた。
最初に二宮金次郎が初夏に茄子を食べ、その味秋茄子のごとし、と天候不順による飢饉を察して、稗(ひえ)を育てるよう農家を指導した。果たして、その夏は降雨多く、冷気により凶作となったが、飢饉を免れたという話に始まり、飢饉の際には牛馬の肉はいうまでもなく犬猫までも食いつくして飢え死にするもあまたなりし、というようなことも絵入りで書かれている。
蟻などは夏秋に冬の貯えをしており、日頃から米、雑穀の貯えを行うことが肝要、例えば大根などは穀物の助けとなる等書いている。最後に食べられる野草類等を載せているが、明治18年はまだまだそういう時代だった、ということか、と。当時の勝間田愛知県令が享保、天保、天明の3大飢饉の話を絵入りで作成を命じたと言われ、巻頭を書いている(写真)。庶民への啓発本。この絵入り本で、江戸時代の飢饉の状況が全国に広まったとも言われている。
今朝は、7時半に家を出て、椿、水沢、和無田のコース50㎞。10時頃に帰宅すれば、熱中症も怖くない?かな。和無田池には驚いたことに、終わったと思っていた「姫コウホネ」がたくさん咲いていた。