緊急事態の「延長」で、地元小中高は休校、公共施設の閉鎖などで5月の絵の会も料理教室も順延となった。「解除」の判断基準はいかにや、というところ。東京の孫も、今春入学式があったのだけど、さんざんだな。
今日の新聞に、都内の病院が202人に「抗体」検査をしたら、5.9%陽性だったとの結果を掲載。うち一般市民は4.8%(7人/147人)、医療従事者は9.1%(5人/55人)とのこと。過去に発症したり、症状はなくとも保菌者であった人が陽性なので、仮に4%としても東京都だけで56万人ということに。首都圏はコロナ蔓延の勢い、という状態か。コロナ対策をしないブラジルがどうなっていくかということもあるが、この国では検査もしないのであろうから結果もわからないか。新コロナ、今後も根絶はむしろ不可能と思っていたほうがよさそうだ。
さわさりながら、陽気も良いので、こういう時はサイクリングで気晴らし。9時過ぎに家を出て、まずは深溝。昨日の新聞に「芝桜」が綺麗と紹介されていた。何処か分からなかったが、例のユーカリの木の道を集落まで行くと、その現場に出くわした。(写真)
この後は、フラワーロードに出て、西へ。亀山小川町まで走行し、右折し、トヨタ織機のテストコース脇を進んで林道へ。この道、一度下ったことはあるが登るのは初めて。2㎞弱で広域林道鈴鹿南線と合流するが、道は簡易舗装で幅狭く、荒れている。川に沿った道で夏は涼しく、傾斜も緩やかで良いのだけれど。同流地点200m手前で崩落があり、道の半分以上土砂が堆積。降りて押せば問題ない。広域林道に出るとほっとする(一人ではなかなか不安な道)。
林道を坂下まで。坂下集落手前の道路わきは植栽されたシャクナゲが100本ほど満開、散り始めだ。ここでアンパン休憩して、後は関~農免道路で帰宅。走行63㎞
良い陽気である。となれば、サイクリング。時節柄近場。前から気になっていた集落がある。四日市の高角の西にある「乱飛」という集落。今日はその周辺の地道サイクリング(ポタリング)とした。
まずは鈴鹿の山辺集落を15年ぶりぐらいに通過する。ここから自由が丘の東脇を通過して山田町へ。この先は走ったことのない道。5万分の1の地図をコピーしてきたので、地図と見比べながらの走行。いわば自転車によるオリエンテーリング。
小山町から地道に入り、丘を登り、産廃施設を左手に見てから、広い市道を右折。ここから乱飛へ降りる道を一本間違えた。茶畑を通って本来の道へ復帰。300mぐらい未舗装道が続く。こういう時は最低30C程度のタイヤが欲しい。集落への降下は15~20%勾配の舗装路。コンクリに滑り止めの筋が入れてあり、ブレーキは効く。しかし、軽トラ道であり、油断すれば谷に落ちる道。これで集落の最も西に出る(写真)。集落のたたずまいは時間が止まったようだ。耕地整理もされておらず、半世紀前の感じでいわば桃源郷。(NHK大河ドラマで圃場整備された場面がでてくる時にげんなりしていたので)桜の頃もよさそうだ。
一月前ならシデコブシも咲いていたのでは、と自生地のあたりまで足を伸ばすも、もちろん無く、集落まで戻って北側の茶畑の急坂を登る(この道も荒れており、よろけて途中で足を着いた)。これで尾根道に出るので、高角駅付近まで尾根道を下る。次は川島の団地内を通り抜けて、別所谷への狭い道を行く。別所谷集落は大門山をはさんで乱飛集落の南側。ここも行き止まりの集落なので集落手前から内山町へ抜ける道を登り、下り。地道がゴルフ場入口から分岐していた。内山町から小林町へ出て、すぐ東側を南へ曲がり、足見川へ降りる道をたどる。造成工事現場があり、道は未舗装で荒れている。これで山田町へでて、後はいつもの道で帰宅の道へ。帰途、婆さん宅に寄り、昼食して、少し油絵作業。走行50㎞。軽トラ一台が通りかねるような荒れた道が多く、慎重に走行したが、30Cの嵌まるディスクロードも良いかな、などと夢想。
なお、「乱飛」という地名のおこりは、この地が丘に囲まれ、水があちこちから出る、と言う説があるとのこと。真偽は良くわからない。
腹の具合もなんとか修復したが、今日は絵の日とする。といっても5時間ほど経つと疲れてくる。描き方の手順は手探りなので、今日の作業の一部は全く失敗だった。油絵はやり直しがきくので良いが、それでも失敗すると、絵具が乾くまで3日は置いたほうが良い。そんなこんなで手戻りが多く、不効率極まりないのが現状。
昨日の「コロナ」の続きだけれど、今回のコロナウィルスは感染者の発症2日前が、一番菌の排出が多いそうだ。体調がおかしくなる前の時期で、これでは感染の尻尾を捕まえるのは困難ではないか、と感じた。今日元気で、なんともないから大丈夫、感染していないとは言えないということ。
インフルやSARSとの違いだそうだ。「発症後」とされた濃厚接触者の定義も、現在(4/20~)は「2日前から」と変更されているとのこと。それから「1m以内で15分以上一緒にいた」、ということなので、自転車に乗ってて、すれ違う程度では感染しないネ、多分。
写真は家の「ボタン」の花。外は良い季節になってきたのだけれどね・・・。
昨日から腹を壊して、今日は静養し、コロナ情報を検索。下痢もコロナの症状の一つではあるのだが。山の神はタケノコの食べ過ぎ、と言っている。「アク」にやられたか・・・。
21日に慶大病院がコロナ対策で示した文書に、院内感染を避けるため手術など入院予定患者67人のPCR検査をしたら4人(6%)が症状無しだが陽性だった、という。検査数が少ないが、首都圏は恐ろしい。東京都のPCR検査は初期の2月から3月中旬は0~7%、3/15~は16%、3/22~は32%、4/12~18は63%と陽性率が高くなっている(4/21までの全国平均10%)。「検査数を増やさないとオーバーシュートを見逃す」とipsの山中教授が警告。
素人考えだが、首都圏では発表される感染者数の何倍もの感染者がいるのでは?と((無症状・軽症者は濃厚接触者以外検査されない)。保菌者がうろうろしていては外出も控えねば、だ。(発表される感染者数の人口比は東京都は三重県の10倍)非常事態宣言はいつまで続くのであろうか?と。東京は人口が多い、6%とは言わないが、2%でも28万人だ。コロナ汚染地帯から列島汚染へ進むのか・・・その頃には「新コロナみんなで罹れば怖くない・・・」という宗教でもはやるかもしれない。「コロナ撲滅、コロナ撲滅、鶴亀、鶴亀」
絵の方もはかいかず、連日コロナ報道で気鬱な感じ、午後は天候不順の予報もあり、近場サイクリング。ランニングの方は山中教授の言うようにマスク無しでは済まされそうもないし、自転車は車道で近くに人はいない(田舎では歩道のある所に人がいることはあるが自転車は通らない。歩道の無い所では人は車で移動するため歩いている人はめったにいない・・・今日のコースで人と2m以内にすれ違ったのは路肩で自宅の草取りしている人一人だった)のでマスクはしない(ランチ予定の時はマスクを持っていく。一月使っているのでそろそろ交換しよう)。
今日はジャイアン号に9速化したR-SYSを履かせたが、サドル下が軽い感じだ。サドル下って、ロードでサドルより高い所ってあるんかいな?と自問自答。椿神社まで行って(ここも人がいない)Uターンして「長瀬神社」への道をたどる。市内でも走行したことのない良い田舎道があるなと感じた。
長瀬神社は明治40年代まで武備神社と称しており、江戸時代18世紀中ごろ亀山藩主板倉氏がここを日本武尊の墓所としている(写真の道標は江戸時代亀山に設置されたもの)。市内には武尊の墓とされるのが、能褒野神社王塚(亀山市)、加佐登白鳥塚の計3か所あるわけだが、ここだけは訪れたことがなかった。記紀では伊吹山の帰途、このあたり(能褒野)で亡くなったとされ、墳墓を築いたとされる。社殿の裏手に直径25m程度の円墳があるが、果たしてどうか。武尊が実在ではなくとも、数世代にわたり、大王(おおきみ)の皇子の何人かが軍を率いて転戦し、そのうちの一人がこのあたりで亡くなったのではと想像するのも面白い。ただ、大和への帰路に無くなったのであれば、あと数日で着くので、遺骸をそのまま運ぶか、一旦埋めても大和の地へ改葬するのではないか?とも思うのだけれど。
ここからは306号経由、和泉の「うお徳」で久しぶりに昆布佃煮を買い求めて帰宅。走行49㎞。
新聞にグリーンロードで崩落通行止め、と報じられていたので、調査に行くことに。
まずは椋本からグリーン。ほどなく通行止めの案内がある。草生小の次の信号で通行止めとなっていた。現場は家所なので、随分と先で通行止めと思ったが、大型車が迂回できる道はこの場所しかないのだろう。残念だが、仕方なし。山側の県道28号で迂回することに。
以前は楽しかった急登も、なかなか我慢しながらの登り。28号の突き当り、家所の表示のあるところを左折する。いつもは一旦右折して美里へ抜ける道を走るのであるが、今日は調査。
このグリーンと結んでいる道もなかなかの勾配で、良い練習場所という感じの道だ。さて家所の崩壊現場は、交差点から少し北側。(写真)崩落土は多そうだが、この写真で見る限り、山側の処理が優しそうで、通行止め解除も早いとみた。(工事をするとなると、当面、相互通行かもしれないが。)
現場をみてしまうと、もう一つのう回路である海側の県道411号で帰宅の道へ。家で昼食となった。走行57㎞。
3日連続、「中村川」の絵に取り組んでいるが、これがなかなか進まない。岩にびっしり生える苔は12月初旬であり、黄葉していたが、この色ではなかなか苔とは思われないとおもって、季節を11月中旬の青い時期とした。緑色は好きな色なので良いのだが、周辺の木々が紅葉にはやや早く、少し悩んだが、まぁ、「絵」空事なので紅葉していても良いかと。時期のミックスですな。
それ以外はちまちまとした作業ばかりなので、一月前(3/21のブログ)とあまり代り映えしない。川の水面を描けば進展もするのだが、水面など油絵具で描いたことがない(岩だって描いたことはないのだが、岩より水面の方が難しそうだ)ので、ためらっていた。
しかし、そうばかりも言ってられないので、岩の部分も形ができたので、これから水面にかかりだすことを決心。下絵のアクリル絵具の時は気楽だったが、本番となると気が重い。
上手く描こうとする気概は良いが、その気持ちが手にあだになる。(1/8のブログ掲載写真がアクリル絵具による最終下絵、以後4か月、下絵の上に油絵具で描いているがこの調子だと夏までかかる・・・。)
「コロナ退散、コロナ退散、鶴亀、鶴亀」と3度唱えるとコロナにかからないで済むと、のりくら教の神のお告げ。
などと藁をもつかみたくなってきた昨今。天気も良くないので、今日明日は婆さん宅でお絵かき。当面、電気ガス水道はあるので一人籠れる場所となっている。
婆さんの下絵も「目が小さい」など家族の批評もあり、修正したが、なかなか参考とした写真のようには描けない。あとは色を付ける段階で直しながら描くしかないか、と。21歳の時の姿で幸い着物は残っていて、色柄もわかり、なんとか描けそうだ。(写真)
しかし、婆さんがコロナ騒動を知らずに旅立ったのは不幸中の幸いだったかも・・・と。
今日はジャイアン号に嵌めた25Cタイヤの走行テスト兼サイクリング。9時過ぎに家を出て、中村川遡行とする。ジャイアン号にニュートロンを履かせたのは何年ぶりだろう。既に廃盤となっている古いホイールで1500gと少しあり(ハブ軸がアルミの旧型)、今では軽いともいえないが、回りは良く捨てがたい。
ちょうど一月ぶりの中村川は先日の雨で増水し、こういう景色をじっくり見たことがなかったので、良かった。今描いている現場でカメラに納める。
ランチは「うきさとむら」。庭先で地元の方が鳥焼を始めていたので、自分も一人ながら注文。久しぶりだし、ここの鶏は旨いし満足しました(写真)。ご飯とセットで800円(税込み)。そのうちお客も4人入ってきて、コロナ防止にすぐ出ることに。食後は、名残りの桜を眺めながら細野峠を登る。
峠を下ると前方に挙動不審の軽が走っている。緩いカーブでもブレーキを踏みたくって遅く、追いついた。業務用車で、後ろに付くのもこれでは危ない。キープレフトもし過ぎで、横を通過できない。ということで、右手から追い越すことに。50㎞未満で十分だった。横目でみれば若い女性。新採用で免許取りたて、初めてこの道を走っているのかな?細野峠の下りカーブでおっかなびっくりの運転とみた。途中の自販機で水補給し、2時半頃帰宅。タイヤはトラブルなしだった。走行110㎞。
明日はサイクリングにでも行こうかと思って、先日まで使っていたLOOK号のホイール(カンパ・ニュートロン)の10速ギアを外して、9速ギアを入れてみる。さすがに丸16年は使っているホイール、フリーのアルミボディがギアで傷傷、10速リンクが取れないので、やすりで出ているところを削って整形し、交換。スプロケを入れた後力一杯締めないとフリーボディに傷がつくのは分かっているが、交換することを考えると手心を加えてしまう。
さて、とてもコンチの25Cなどフレームに当たってしまうのではないかと思っていたが、嵌めてみると何とかホイールは回転する。写真のように1mmの隙間があるかないかだ。走行中、犬のふんでも踏んづければたちどころにロック、前転倒するのではないかと思われるほど(後輪ではしないかナ)。ガムなど落ちていたら恐怖だわ。(縦方向の振れがでてもダメになりそう)
大丈夫かしらん、と思いながらも明日は試走兼サイクリング。
椿神社の枝垂れ桜も満開だということで、山の神と市内ドライブ。桜の時期は短く、ポチポチ雨の降りだした天気だし、家の中にいるよりはよっぽど良いと出かける。
「こころ旅」で放送された、鞠が野のユーカリを再度見物しつつ椿神社へ。昨日に続き、春季大祭中で、天の鈿女を祭る椿岸神社での神事が丁度始まるところであった。枝垂れ桜の方は、何本もありそれなりに綺麗ではあった。まだ、木が若いけれどね。
神社を後に、昨日見た和無田神社の枝垂れ桜へ。1本だけれど、人もいないし、ほっこりする。
最後に「こころ旅」で火野正平がランチをとった、鹿間の「ちどり寿司」へよって、自分たちのお昼用に、持ち帰り寿司と天ぷらを計4パック(写真)購入。これで税込み1000円とお安い。道路側に窓があり、店内に入らず購入できるのもお気軽(このお店はコロナで始めた訳ではありません、念のため)。地元の方のご愛用かと。自転車では持って帰れんしね。
午前中は家の中にいたが、良い天気だし、ジャイアン号にも乗ってやろうと、椿神社へ。1月は土日しか行かず、大勢の参拝客で一杯だったのでお詣りせず、亡母の49日も過ぎたのでお詣り。
今日明日は春季大祭ということで、拝殿では椿宮神事能「鈿女」が奉納されていた。しばらく外から見学し聞き入る(さるブログから頂戴した後姿のどんなべ氏)。こういう時期であり、人出が少ないのは良かった。
今日はのんびり乗りたかったこともあり、西山からミルクロードを横断して、堂ケ山、和無田へ抜ける道を初めて走ってみる。 田舎の風景が綺麗な、人の息遣いが感じられる良い道であった。途中の和無田神社の枝垂れ桜が満開になったところも綺麗であった。LOOK号を失った気持ちが癒された。走行50㎞。
コロナ騒動もいよいよ酷いことになってきた。「緊急事態宣言」にあわせたのか、5月6日まですべての公民館は休館となり、絵の会の活動も中止、5月に市民ギャラリーでの展覧会も中止となった。
さて一昨日のLOOK号であるが、愛知県のカーボンドライへ簡単な見積もりをお願いした。修繕はできるが、2回の配送料、部品(ハンガー)購入など考えると9万程度になる。8年落ちのLOOk586SL、これはその前に乗っていたオルカ号の事故補償費内でフレーム購入したもので、オルカ号の部品を換装したもの。オルカ号から通算すると来月で丸13年だ。フレームは傷傷だし、10速だし、まぁ、いいか、という気分。当面、9速ジャイアン号があるし・・・部品をジャイアン号へ換装し、10速化しようかな、とも考えている。
残ったフレームをシングルフラットロード化できないかと、サンコーさんで相談。チェーンテンション装置がいるが、QR軸だけで固定するようなものはあるのかしらん。ネットで検索するとやはりハンガーの変速機取付穴を使うのばかりのような気がしてはいたが、一縷の望みで。
結論をいえば、方途は無い。緊急用リアエンドハンガーはあったが、あくまで緊急用。とても常時は使えないし、LOOkには装着できない。変な部品を付けても、乗っていて楽しくないとアカンからね。
なお、チェーンの駒(プレート)が捻じれたときは、6角レンチを突っ込んで平行に戻すことも可能と教えて頂く。なるほどね、もう経験したくはないけれど。
また、LOOK586SL(595)のエンドがカーボンでできていて、通常のハンガーと異なり、ハブ軸にハンガー金具がタッチせず、カーボンフレームの末端でハンガー金具とつないでいるため、転倒時にフレームエンドへ直接ダメージを受ける構造になっていることも教えて頂く(写真:右が通常)。どうも、このモデルの時だけのようだ(数年前からそうなっていた?)。当時の設計者は軽量化成果に有頂天になっていたのでありましょうな・・・LOOK ダメじゃん。
(つづき)柘植の福地城址の説明板を読んでから、もう少し高い所まで自転車で行ってみようと漕ぎだした。クランクを3,4回転したところで、音とともに緊急停止。
自転車を見ると、なんと後輪変速機が千切れて、後輪に絡まっている。茫然自失。実は今朝家を出てから、5分程度の所で、道路わきの植え込みに当たって転倒している。伊賀越えで気が付いた変速機と後輪スポークの干渉もそれが原因だ。
千切れた変速機はなんとも仕方ない。幸い、チェーン切りとリンクピンを2本持っている。
まず、変速機のケーブルを外す。この後、つなげば良いんだからと、よく考えずに、チェーンを切ってしまった。前アウター後ろ大き目のギアでの長さにチェーンを切って、つなぐ。これでできたと良く見れば、チェーンプレートがねじれて歪んでいる。「なんてこった」と歪んでいる駒の近くで再度チェーンを切る。短くなったので、前インナー、後ろ小さめのギアで再度つなげようと、チェーンの長さを調整しようとすると、なんと、もう1か所歪んでいる。これでは回らない。「さて困った」ピンは残り1本。歪んでいる駒周辺を切り落とし、残ったチェーンでつなごうとすると、2本のピンが必要。
結局、1か所は抜き落としたピンを再利用してつなぎ、もう一方は正規のピンでつないだ。(写真)一連の作業で両手は真っ黒になったが、仕方なし。草で汚れを少しは落とし、再出発。
下り坂は漕がないので良いが、登りで漕げば立ちどころに再利用のピンがほとんど外れそうになる。やはりダメでした。万事休す。家まで35㎞程度あるしね。
ということで、押して柘植の街中へ戻り、商店で電話を借りて(携帯持ってないから)山の神に「緊急事態宣言」。迎えに来てもらうことに。お店の方に近くの自転車店を教えてもらい、行ってみると「お休み」。まぁ、しばらく待つことに。保育園跡地の「杜のカフェいこいこ」で手を洗ってコーヒー(230円)を飲む(豆を挽いて入れてくれる)。そんなこんなで17時には帰宅できました。走行63㎞。
なお、カーボンフレームのリアエンドが千切れましたので、8年近く使用したLOOK586SLは旅立ちました。まぁジャイアン号も12年選手で後輪は23Cしか嵌まらないフレームだけど、当面、サイクリングには困らない。さわさりながら、今後どうしようかと思案の日々が続くだろうな・・・。
該当地域では、不要不急の外出は自粛しなければならないのだが、この地域はそうでもない。
ということで、サイクリング。しかし、これが後々大事件に続くのであった。
まずは、花見気分に浮かれて錫杖湖。花見客もそこそこ楽しんでいる。チャリダーもいる。自分は停車もせず、伊賀越えに向かう。登坂は我慢我慢の走行。楽しんでいたころが懐かしい、というかはるか彼方の別人だ。峠近くで、後輪から擦れているようなチャリチャリという異音がする。2度停まって車輪を回してみるが良くわからない。3度目にディレイラーがスポークと擦れているようなので、少しディレイラーを外に出してみる。これで異音がなくなった。
大山田側に降りて、12時前に到着した「瑞福祥」でランチ、この店は鈴鹿に支店があるのだが。日替わりランチで簡単に済ます。
店を出て、前から気になっていた、川東地区の忍者屋敷を見ることに。忍者屋敷と言っても「からくり」は無い様で、現在も人が住んでいるので、外から眺めるだけ。この地区には藤堂藩に仕え、幕末にはペリーの船を探索した「澤村氏館」があり、他、集落内には土塁で囲まれた家がいくつか残っている。澤村氏館の裏手に回ると、高い土塁の外には堀が周囲をかこっているのがわかる。
次は旧大和街道沿いの西の沢地区(壬生野IC近く)の桜並木を見物(写真)。なかなかきれいだ。
桜見物の後はそのまま旧大和街道の道をのんびりと下柘植まで。ここで、伊賀の乱の時、伊賀を裏切った(信長に味方した)「福地城址」を見物に行こうと思い立つ。
城址への坂を登って、さて本丸へ、という所で事件は起きる・・・(つづく)