自転車のサドルの上で・・・

サドルの上での気ままなひとりごと

体調転換のサイクリング

2023-11-30 | Weblog
 のど風邪の方も、ようやく昨夕になって、ちょっと乗ってみるか?という気分になってきた。
 ということで、今日は寒いので、少し暖かくなる9時過ぎまで待って、サイクリング。行先は亀山南野町にある宗英寺の大イチョウ。今年の1月だったか?どんなものかと見に行ったことがあるので是非黄葉時には来てみたいと思っていた。
 体調はまだまだ完治していない、病み中だ。家から15㎞程度だが、西風が強いのか体調不良の為か進まない。
 こうやって運動し、体の内部で体温が上がれば、風邪の菌もやっつけられるのではないかとの算段もある。体調転換のサイクリングだ。
 宗英寺のイチョウは樹齢600年、高さ40mと公称している(さすがにその高さはないと思うが)幹は太く、見事だ。紅葉も入れて下から撮ったのが見出しの画像。

 大きな木に元気をもらったのか、体の調子も良くなってきたので、少し足を延ばす事に。
 先日行ったコビアンの前を通過して、農免道路で楠平尾~林~河内渓谷へ。
 河内渓谷の紅葉は既に散紅葉。遅かった。

 雲林院~フランスベッド下~グリーン~朝摘み前経由中勢BPで帰宅。なまった体を動かすと気分も良い。明日からは絵も描こう。走行50㎞
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自転車が通れば車?も引っ込む??

2023-11-28 | Weblog
 5日目となったが、のど風邪がなかなか治らない。熱はないので、疲労感はないが、手先は冷たい。絵を描く気にもなれず、テレビや本を読んで過ごしていた。
 今日は以前から予約していたランチのお店に行く予定があり、家族で永源寺経由の紅葉狩りのドライブとした。体調は回復基調なので、運転を務める。まずは、国道1号で、猪鼻(蟹が坂)の火頭古神社へ。10日ほど前のサイクリングで寄ったが、今日は散り始めの最盛期。天気は雨模様の天気でしっとりしているが、濡れた感じが良かった。
 次は長松禅寺。ここの紅葉もきれいだった。時間に余裕があったので、平子峠を降りて、西明寺(湖東三山の西明寺ではない。日野町の西明寺)へ立ち寄ることに。サイクリングで行こうと考えていて、行く機会もなく、ルートは大体頭に入っていたが、ナビを頼りに行くことに。
 歴史は綿向山の信仰と結びついて古そうだ。永源寺の末寺でもある。こういうところかと、合点して、永源寺へと山道をたどる。今日の車は山の神の今年購入した新車のN-one、山の神の「戻って広い道を走れ」という指示を無視したが、この先の県道188号がひどかった。進入口には「通行困難」「大型車は通行できない」などと書かれた看板が(あったそうだ)。県道だが、道路敷1.8m幅の「農道」だった。路肩はところどころ崩れているので有効幅員は1.6、7m程度ではないか。スパイク号だったら直ぐUターンしていたと思う。「軽」で良かったと安堵したが、向こうから軽トラがやってくる。天の助けか丁度退避できる場所だったので(1.5㎞程の区間で、ここの1か所だけ)事なきを得たが、山の神はおかんむりだった。事前の調べは、サイクリングで通れるかだけで判断していたからなぁ・・・。
 無事、永源寺に着き、岡本こんにゃく店で、しこたま「こんにゃく」を買い込んで、永源寺紅葉狩り(見出しの画像)今年は紅葉も少し遅いようで、ちょうど良かったかと。
 ランチは、石榑トンネル抜けて、大安町の両が池を望む「Kozzo」で。平日ランチが予約で一杯というお店。大変良かったです。帰途に片倉温泉(アクアイグニス)に浸かって、のど風邪も治ったか?という気分で帰宅。車が無事で良かった・・・(汗)。
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旧友の訃報

2023-11-24 | Weblog
 夜中からのどが痛くなって、調子が悪い。のど風邪かな。仕事をリタイアしてからはストレスもなくなって、風邪など引かなかったし、引きかけで治していた。
 今日も午後から布団に入っていたが、電話があり、それは旧友の訃報だった。5年ほど会っていなかったが亡くなったのは10日も前とのこと。末期癌で入院5日で亡くなったという。
 連絡を頂いた方とは、電話口で、お互いそういう年齢だと話をしたが。
 高1の同級生で、当時、最も影響を受けた男だったので、その頃の手紙や写真を見て思い出にふける夕べ。
 合掌
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気晴らしサイクリング

2023-11-23 | Weblog
 朝はゆったりと庭木の剪定などしていたので、出るのが9時過ぎと遅くなったが、天気も良いし、中3日の気晴らしサイクリング。
 11月4日の「竜が池」のブログ記事で気になっていた、伊船新田の真弓神社を訪ねることに。(見出しの写真)思っていたより立派な建造物。勿論、建て替えをしているためだろうけれど。
 竜が池から流れる用水路に架かる橋が正面となっている。ただ、真新しい狛犬の台座には「400年祭記念」と彫ってあり、裏には平成28年とある。これの400年前といえば1616年、新田開発のため池である竜が池の完成は1665年、用水路は1667年で、祠はその前の創建だ。つまり、稲作のための利水は後でできたという事で、農民はある程度、先に住んでいて畑作などをしていた、ということかと想像した。(よく考えれば、耕作人もいない所へ水を先に引くというリスクはしないのが当然かと)祠はもともとその頃からあり、村民は庄屋の徳を鑑み祠に祭っていた、ということかな?それが幕末に神格化し、真弓神社となった、と。
 さて、ついでに竜が池に再度立ち寄って、例の碑の裏側を確かめてみる。やはり、「昭和31年 建立之同志一同」とあり、「鈴鹿市史」の記述は誤りだった。まぁ、「同志一同」と誰が建てたのかあやふやな書きぶりではある。そういう碑だ、と思う。
 伊船の北から八島川を渡り北畑から南畑へ抜け、両尾から白木へ抜ける。腹もすいたので、白木のうどんや「いけだ」へ寄ってみるも、祝日、予約で一杯と断られ、何年ぶりかの「コビアン」で「チキンフライ定食」注文。これを食べるのは10年ぶりぐらいか?当時は500円しなかったと思うが、現在は660円(税込み)。

 このランチ、いささか少分であるけれど、想定済み。今度来るときは日替わり(1100円)でも、と思う。
 さて、今日の目的は亀山歴史博物館で開催の「亀山刀剣鐔」を観ることにある(無料)。市の自主企画で無料なのは結構だが、興味を持ってもらうため又は勉強のためには、手間だけれど、もう少し解説(目録)を詳しく書いてほしい、かなと感じた。
 帰途は、旧東海道、国府経由で帰宅、走行54㎞。
 
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楯が崎

2023-11-22 | Weblog
 昨日は午前中、料理教室、午後から先生のアトリエで油絵作業。料理教室では作業しながら、洗い物が苦にならなくなった等と料理教室の効果を楽しく談笑。
 午後のアトリエでは、「これまでの細かく描くような事を離れたいのだが・・・」と悩みを話すと、「会でも独自の描き方であり、自分の描き方で良いのではないか」と先生。「いや、他の描き方を知らないだけなので・・・」と返答。
 まぁ、今描きだしたこの「楯が崎」の絵は仕方ないので、これまでのように描こうかと。海の荒波の景色を海面の高低差を写実的に表現してみるのも初めてだし、挑戦のしがいはある、と思うこととする。(現在は下書きの段階)
 さわさりながら、写実的に細かく描くのはしんどいのだよね。
 この楯が崎、この絵の視点からは、一枚板の屏風のように見える。ところが、実際はそうではない。屏風は例えば6曲というように折れ曲がっているものである。
 実はこの楯が崎、海の方から船で、方向を変えて観れば、そのように折れ曲がっている。少なくともこの絵の範囲内で、4か所は凹部がある。その表現ができるかどうか、写真ではよくわからないので、写真を越えねばならないのだが・・・。苦心するだろうと今から思う。
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新そばを食しに・・・

2023-11-19 | Weblog
 昨日は寒かった。真冬の気温だったが、今日は緩んだ。ということで、中3日のサイクリング。
 安楽越えて、鹿深の道を油日神社まで。安楽越えだが、先月末に通過したときは林道工事があるのかと思ったが、無い様子。問題なく通過できる。
 今朝は2度寝して、起きたのが7時半。体調はお疲れモードだ。安楽の登りも、あまり景色を見る余裕もなく、485mの峠を越える。前回、上着を秋ジャージにして寒かったので、今日は半袖ロビロンに冬用ジャージ、寒くなくちょうど良かった(午後はやや暑いぐらい)。タイツは秋~初冬用で脚は動かすので、最初は涼しい感じだが、そのうち、ちょうど良くなる。
 国1号蟹が坂の手前の火頭古神社のカエデはまだ早く、見出しの画像のような状況。長松寺も同じようで、まだ早いと、立ち寄りはしなかった。
 今日のランチは、上馬杉の「いしばし」ざるそば定食(1200円込)土日のみ営業で、地元産の新そばで、今日は特に美味しく感じた。11時半になっていて腹が減っていたためかもしれないが。イナリ2個と野菜(小エビ1)のかき揚げがついていて並サイズで満腹になる。

 帰途はいつもの道、上馬杉から県境の旧道の坂を越えて、東湯船~小杉~柘植~加太・関。西の追分で休息して、旧東海道~鈴鹿川右岸堤防道で阿野田、下庄で2時頃帰宅。走行96㎞。
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寒さに慣れる

2023-11-15 | Weblog
 この1週間でずいぶん寒くなった。初冬のような気配だ。正直、寒くてかなわない。
 年を取ると基礎体温が低くなるので寒さに弱くなる。若い頃は高齢の方が寒がるのを少し冷ややかに見ていたが、今は自分の身だ。おまけに体脂肪も10~11台と現役時代より少なめだ。
 この1週間の寒さで、体の内部で脂肪を作ろうと、余ったエネルギーをすべて脂肪として蓄えようと、脳が働きかけたのか、昨夜は12%台と増えていた。という事で、1週間ぶりのライド。
 行先は、伊賀越えコース。装束も、ロビロン半袖に秋用ジャージ、下は初冬用タイツにトゥカバー。11月中旬ではなく、12月初旬のいでたち。ウィンドブレーカーを着込んだが、それでも寒い。気温は9度。
 河内渓谷から錫杖湖へ登る。モミジも色づき始めている。

 乗るのを1週間空けると、体も脚もなまる。深まる秋景色を愉しんで、負荷はかけずに回して登る。
 峠を下るが空気が冷たい。長野トンネルの伊賀側は気温9度、津側は11度と温度差がある。快調に下って、さぁ一粒庵の弁当と思ったが、前回もそうだったが、店の様子がおかしい。幟も片づけられ長期休業中のようだ。
 ランチは久居のラ・ミシェットのパンにするかと、久居へ向かうも、なんと、店のあるスーパーぎゅうとら自体が改装中(11/17まで)ということで食にありつけず。時刻も11時半となり、次は久々に「十徳」で温かい蕎麦かうどんでも、と店に向かう。ところが益々人気店となったのか、既に駐車場は一杯、待合に人が待つ状況。
 あきらめて、コンビニめしとする。腹を満たせば帰るのみ。時々は追い込んで中勢BP経由で帰宅。走行82㎞
 寒い寒いと思っていたが、こうやって自転車に乗ってくると、寒さもあまり感じなくなる(血の巡りがよくなったのか)体が寒さに慣れたようだ。
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ブラタモリ 鯖街道

2023-11-12 | Weblog
 昨夜は、NHKのブラタモリ「鯖街道」を観た。小浜をスタートして京までたどっていた。
 2日に小浜へ行ったばかりだったので楽しく観た。往路は距離が一番短いおにゅう峠越えで、復路は国道で熊川宿、朽木谷で。鯖街道はもう1本名田庄経由があるが、この熊川宿を通る道がメインだった。道が比較的なだらかで、牛馬が使える。鯖ばかり運んでいたわけでなく、日本海側の様々な産物が小浜に揚げられ、京へ運ばれたとの解説。この道は小浜の断層と朽木谷の断層がプレート同士の圧力で直角にぶつかってできたとの解説はなるほどと思った。
 さて、小浜西組の街路から番組は始まったが、番組で紹介された、港近くの市が立っていたという鯖街道の始点を訪れなかったので心残り。
 江戸時代、どこで荷揚げされていたのかという知識はなかったので、河川(河口)を利用したとの解説はなるほどと思った。
 ただ、もう少し、昔の地図を出して、説明してほしかった。ということで、調べたら、なるほど、当時の河川は北川と南川が河口手前で合流し大きな川だったことが明治26年の地図でわかった。地図を見れば、江戸時代に城のあったところは堀のように海岸近くまで回り込んでいるが、大雨になれば、海へ直接流れる放水路であったのだろうとも思われる。(現在は河川改修で流路が異なっている)
 ということで、国土地理院のHPから明治26年の小浜の地図と、googleの地図を比較できるように画像をアップ。
 なお、番組で紹介された、朽木谷の道の駅から500mほどの所のお寺(足利将軍が6年避難していた所)もサイクリングでは見過ごしてしまったのも残念。
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竜が池 補足

2023-11-09 | Weblog
 昨日のブログ、竜が池などについて、我が家にある「鈴鹿市史第2巻(昭和58年刊)」をよく読んだ。
 それによると、そもそも、竜が池(龍が池とも)は、寛文5年(1665年)大庄屋真弓長左衛門は亀山藩に願い出て、村の東の谷間をせきとめ、私費を投じ、1万人余を使って築堤工事をしたが、決壊したり難工事であった。人柱を立てることにして、お龍という女性がその犠牲になって完成したという「伝承」から、池の名を「龍が池」という。と記載されている。また、2年後、水源を御幣川に求め工事を行っている。これにより、伊船新田83石余りが成立したとある。
 なお、伊船新田と伊船の間にある伊船野田は16世紀にすでに開墾された集落である。
 この用水により、広瀬、津賀、汲河原、庄野、高宮(加佐登)にも恩恵をあたえているという。
 明治の当初、士族の生活の為、広瀬野の開墾がされたがその際は竜が池の築堤のかさ上げも提案されたという。
 長左衛門は寛文8年(1668年)に没したが、幕末の慶応元年、亀山藩主は長左衛門に「神号」を贈り、伊船新田に村民が彼の徳を敬い建てた祠は「真弓神社」と称することとなった。

 鈴鹿市史によれば、お龍之霊碑は昭和35年の建立とあるので、自転車に乗っている間に記憶間違いをおこしたのかもしれない。思い起こせば、確かにこの話を聞いたのは4,5年生の時だったので、建立時期の1,2年あとで一致する。そういう事かと。
 
 
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竜が池

2023-11-08 | Weblog
 午前中は絵も描かず、ゆったりと過ごす。あまりの良い天気にもったいなく、昼から少し乗ることに。
 昨年末に自転車の乗り方を教えた小6も中1となり、元気に通学しているとか。ただ、通学路の坂を登れず、押している、という話を聞いた。5段変速と聞いていたので「ゆっくり登れば乗ったままいけますよ」と伝えてもらうよう頼んだ。そうは言ったが、さて、どんな坂かと、試してみる事に。
 椿へ行く、いつものコースから少し離れてその坂はある。延長は400m程度、勾配は予想より緩やかで平均5%程度か?、ただ、最後が20mが10%と言う感じ。結局アウター・トップ通しで自分は登れたが、これが、通学自転車の負荷とよく似た感じかな?最後の部分はやはり脚力がいるが、急登にかかるまで足を使わなければいけるであろうと。
 次は深溝の藁人形の所によって、パンダのお顔を拝見。何人か見に来ていた。

 フラワー経由で、伊船の竜が池による。ここに石碑(見出しの写真)があるが、ゆっくり見たことがなかったので読んでみる。「お龍之霊碑」とある。裏の建立年をみると昭和31年、とまぁ新しい。
 地元の伝説では、干ばつに悩んでいたこの地域、大庄屋の長左衛門がため池を作ろうと亀山藩に許しを請う。村人が工事に着手し、完成まじか、大雨で堤が崩れる、数度このようなことがあり、困り果てた長左衛門は占い師に占ってもらう。結果「水神の祟りであり、人柱を立てよ」と。さて、誰を、と相談の結果「朝、一番に、ここを弁当を持って通る者」と決まった。それが、幼い頃村で拾われた身寄りのない奉公人お龍だった。お龍は「村の為やったら喜んで」と人柱になり、工事は完成した、という。
 この伝説は、小学校の時、聞いて、当時は本当の哀しい出来事と信じていた。碑の立った昭和31年は自分が5歳の時だ。その数年後だから、真実の話として流布されたのかしら?と今になって思う。
 よく考えれば、亀山藩が「やむえん」とは判断しないでしょう。(伊船は亀山藩領)本人がいくら世話になったと言え、「喜んで」とは・・・。この話、落ちに、背負った弁当にちなんで、この池の魚にはこぶがある魚が採れるという・・・。
 碑にはお花・供物が添えられ、地元の方々がお龍の霊を慰めているのがわかるのだが。
 帰途は伊船の集落を抜けて、八島川を下るコース。走行46㎞
 
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パンダのお披露目 

2023-11-05 | Weblog
 夜から天気が崩れる予報なので、午前中、乗っておこうと、椿神社~水沢~和無田の定番コース。
 走りながら、そういえば先日の新聞で深溝の「わら人形」が出来上がるような記事を目にしたので、行ってみようと、深溝集落へ立ち寄る。
 ありましたが(写真)、今日がお披露目の日らしく、警備の方に聞くと式典は10時から、という。待っている訳にもいかないので、写真を撮って、フラワー道路に出て、いつもの消防道路に復帰する。
 藁人形、今年はパンダで、中学生のデザインをもとにしたらしい。高さ5.5mとある。大勢の方々が集まって、お披露目を待っていたが、これはお祭りとおなじで、地域の方の結びつきを深める行事ですね。
 椿神社へ行くと、地元のレーシングチーム「ターミネーター」の方々が休憩中。今日は日曜、あちこちでサイクリストと出会う。
 水沢~西山~和無田といつものコースで帰宅。走行52㎞。
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おにゅう峠(後編)

2023-11-04 | Weblog
 神宮寺で道を尋ねられたご老人達、無事に交差点を右折し、トンネル越えて国道へ向かったと思われるが、我々二人は交差点を直進し、小浜市市街へ向かう。
 ご老人と書いたが、我々も後期高齢者と高齢者という、ご老人の仲間だ。S水さんはハンドルにつけたペットボトル用袋にペットボトルを入れ忘れて走り出したし、私は補給用に買ったあんパンを車に忘れて来てしまった(羊羹2つは持っていたが)。人の事は言えない・・・。
 おにゅう峠は小浜からは「遠敷(おにゅう)峠」、久多からは「小入(おにゅう)峠」と表記される。旧街道を走り、峠名にちなむ、遠敷の街並みを抜けて、市街地へ。
 ランチは蕎麦屋「一葉」でおろしそばと焼鯖すし2切れ(計900円)、と軽めに済ませて、石窯パン屋「こころ」でパン購入。


 街並み資料館で地図を求めて、伝統的建造物保存地区の「小浜西組」を散策。室町時代の城下町であり、日本海側屈指の湊町であった名残を残す(見出しの写真)。
 街中ポタリングの後は港へでて、海を見物し、買ってきたパンをかじる。
 締めに、和菓子屋「伊勢屋」店内で本日限りの葛饅頭(栗餡)をいただいて休息。夏場しかない名物葛饅頭が本日限定で食べられたのは嬉しい。

 1時頃となって帰途へ。県道24号へ出るつもりが勘違いし、もう1本北側の方へ行ってしまう。しかし、道はどこかへつながるもの。予定していなかったが、北川沿いの堤防道路を東へ向かい、農道で小浜ICの下をくぐって、県道24号へ復帰、上中から脇道で東へ向かい、JRと国道27号の下をくぐって、国道303号に入る。コンビニで休息したが、午後の気温は26度!朝との温度差は18度と体に堪える。自分はデイバックで持って来たので、やや涼しいアンダーに着替える。
次は「若狭熊川の宿」見物。

 熊川は街並みを見ながら通過し、国道を登り、水坂峠の旧道を登る。
 小さな峠を降りて、朽木谷を目指して、檜峠をじわじわと登る。少し脚に来ていたのか、S水さんとの間隔が空く。バックミラーで確認しながらゆっくり登る。
 南側から登ればこの峠は脚にくる道だ。このコース、逆に回れば負荷が増すコースとなると思われる。
 朽木の道の駅で大休憩。残り約13㎞。標高差50m程度などとS水さんに言ったが、これは私の作成したコースプロファイル図の誤り。100m少なくしていた・・・、と気が付いたのか帰宅してから。(下の図:神宮寺~小浜市街間は省略してある)

 残りはだらだらと川沿いを遡行するだけの道。3時半を少し回ってデポ地に無事到着。走行96㎞。強く印象に残る「おにゅう峠」の秋景色でした。
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おにゅう峠 前編

2023-11-03 | Weblog
 2日に、朽木谷から小浜へ抜ける、「おにゅう峠」に、S水さんと二人でサイクリングに行ってきた。朝5時に車で家を出て、JR関駅で待ち合わせ。すでにS水さん到着。おかげで予定より早く、5時45分頃に出発することができた。
 朽木谷の葛川(少年自然家近く)にデポ。登山客なども車を停めている。8時過ぎに出発、まずは2㎞下って、左折、久多への道へ。久多までの間にこの時期、景色の奇麗なところがある。
 
 気温は8度と、指切り手袋では冷たい。
 久多を右折し、小入谷の道をたどる。10㎞ほど走るとようやく陽があたりはじめ、ほっと一息入れることができた。トタンで覆っているが、この谷の家々はかやぶきを維持しており、澄み切った秋景色の中で人々の営みと歴史を感じさせる良いところだ。

 最奥部まで進むと、県道と別れ、林道で登り始める。急なカーブの所で地元の方の車が停まっており、「ここからえらいぞ」と急登を前に声を掛けられる。10%越えの急登が続く道を速度を落として、ゆっくり登る。自分はここ数年、坂が登れなくなったので、S水さんの方が登れるのではないかと思っていたが、そうでもなかった。平坦ではS水さんが引っ張り、坂では私がリードするという6年前に野麦峠、乗鞍へ二人で行った時の関係は変わっていなかった。S水さん76歳、私72歳、すでに緩やかな時の流れにただよう年頃、お互い様なのか・・・。
 林道部分の標高差は400m程度なので、300mほど登った展望所で休息、写真撮影(見出しの写真)おにゅう峠の紅葉はモミジではなく、ブナの黄葉が鮮やかだ。ブナの黄葉は早いので今の時期がベスト。
 さらに100mほど登って、峠到着(標高835m 程度)。ここに来ようと思ったのは5年前だった(母の骨折で断念)ので、ようやく思いを実現できた。日本海側はもやっていたが、小浜の久須夜ケ岳などの山々が望まれる。

 オートバイの二人連れが久多側から登ってきたので、少し話す。「62歳」と話すライダーは我々の年齢を聞いて驚いていた。
 峠の下りは、小石も多く、慎重に。上根来手前の「鯖街道」の石碑前で小休止。上根来の休息所は閉まっているが外から見物(トイレは使える)。
 次は、下根来の集落外れの二月堂のお水取りと関係する「鵜の瀬」に立ち寄る。ここでは、奈良の二月堂へ「お水送り」の神事がなされる。すなわち3月2日に神事を行えば、10日経た3月12日に、二月堂にある若狭井に湧き出すという。お水取りに使われる水である。古代、神々の集会に遅参した若狭の神が、申し訳ないので、水を提供するという約束による、という趣旨の案内版がある。
 山を下りて、神宮寺の自販機(スタートから山道40㎞走って初めて出会った自販機)を利用していると、反対車線に車が停まる。
 窓を開けて、80歳台後半の男性が私に「この道を行って、京都へいけますか?貴船へ行きたいのだけれど」と聞く。助手席には奥様、後ろの窓が開いて、後部座席には90歳台の女性が会釈する。福井ナンバー。地元の方が聞くって・・・、と思ったが、「830mの峠を越える山道。対向できないようなところもある。国道の方が良い」と言うと、「Uターンします」と。
 11時回って、これから貴船行き、というのもいささか心配だが、通常、大原から江文峠越えでしょうな・・・。地図をざっと見れば、この道、直角三角形の長辺で国道の方は短辺二つ分だから、短いのかもしれない・・・。 (後編に続く)
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