昨日よりは風も収まりつつあって、良い天気だ。9時に家を出て、午前中のライドとする。
家所近くの日南田集落に、前から気になっていた、「七体地蔵」の案内板がある。地道を歩かないと行けないようなので、あらかじめクリートカバーを用意する。
真っ直ぐ往復はつまらないので、椋本から「巨椋」の樹を見て、県道28号で高座原まで行き、田舎道を下り、グリーンを横断して日南田集落へ。
地蔵の場所までに、猪鹿対策の柵が2か所ある。2か所目からは徒歩100m強で到着(見出しの写真)
(穴倉川右岸)
七体は室町時代(南北朝)に新たに伊勢の国守となった土岐頼安側(土岐氏であるので岐阜が本拠)の7人の兵士、迎え撃ったは旧国守側の仁木義長側の兵士。山の上から攻撃して7人は殲滅。(1360年頃と私は推察している)村人が供養に巨石に彫ったといわれる。
この地蔵の上流側左岸にも六体地蔵があり、この後、県道から川に降りて見物。こちらは大きな地蔵の周りに5体の像が彫られている。戦国時代に村人が供養に彫ったと言われている。
帰途は、いつものあの津台経由で帰宅。あの津台を過ぎた所で桜の花が咲いていた。河津桜かな??走行56㎞。
椋本の巨椋(樹齢1500年とも。主幹は明治3年に折れている)
六体地蔵の写真
あの津台近くの桜
家所近くの日南田集落に、前から気になっていた、「七体地蔵」の案内板がある。地道を歩かないと行けないようなので、あらかじめクリートカバーを用意する。
真っ直ぐ往復はつまらないので、椋本から「巨椋」の樹を見て、県道28号で高座原まで行き、田舎道を下り、グリーンを横断して日南田集落へ。
地蔵の場所までに、猪鹿対策の柵が2か所ある。2か所目からは徒歩100m強で到着(見出しの写真)
(穴倉川右岸)
七体は室町時代(南北朝)に新たに伊勢の国守となった土岐頼安側(土岐氏であるので岐阜が本拠)の7人の兵士、迎え撃ったは旧国守側の仁木義長側の兵士。山の上から攻撃して7人は殲滅。(1360年頃と私は推察している)村人が供養に巨石に彫ったといわれる。
この地蔵の上流側左岸にも六体地蔵があり、この後、県道から川に降りて見物。こちらは大きな地蔵の周りに5体の像が彫られている。戦国時代に村人が供養に彫ったと言われている。
帰途は、いつものあの津台経由で帰宅。あの津台を過ぎた所で桜の花が咲いていた。河津桜かな??走行56㎞。
椋本の巨椋(樹齢1500年とも。主幹は明治3年に折れている)
六体地蔵の写真
あの津台近くの桜