自転車のサドルの上で・・・

サドルの上での気ままなひとりごと

ドコモダケ

2006-03-31 | Weblog
 4月から近くの子会社へ異動となって新しい携帯がいるようになった。今までのは社用品なので、もう使えない。で、図らずも新品を購入。何でも良いので、0円を仕入れる。維持費がかかるが、気ままに使えるのでまぁ良いか。
 写真の「ドコモダケ」が携帯についてきた。はやっているらしい。今朝の通勤電車の中で、女子高校生じゃあるまいに、かばんにつけている30才台のおじんが目の前に座っていた。いやはや・・・・
 それで、チームの皆さん!携帯の番号も当然変わったので、今までの番号に電話しないでね!!メールいただけたら、番号連絡いたします。
 今月はいろいろ肉体的にも精神的にもつかれたので、明日は少し、サイクリングでもしよう。
 
 
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小女子とバカ貝

2006-03-29 | Weblog
 が、うまい季節となった。この時期限定の夕食のメニュー。
 小女子(こうなご)はいろいろな食べ方があるが、一番の好みは小女子だけで十分、「かき揚げ」である。これからのサイズが旨い。あと、2週間ぐらいが適当なサイズ。揚げ物はどうかと思うが、短い季節の贈り物と考え気にしない。
 バカ貝は気の毒な名前である。すしねたでは青柳と呼ばれ、貝柱は子柱として、高級かき揚げに使われる。浜辺で口をあけて転がっていることがあり、これからバカの名が付いたようだ。スーパーでゆでた剥き身を売っているが、(今夜のおかずでもあるが)残念ながらいまいちである。殻つきの生がここいらでは手に入らないので、自分で掘ってくるしかない。鼓ヶ浦の海岸では4月よく採れる。
 掘ってきたのは、砂がいっぱい詰まっているので、大なべでたっぷりのお湯をわかしゆでる。ポイントはゆで汁の中でひとつひとつ砂を洗い出す。こまめに砂をゆで汁の中でとる事が肝要。こうしてできたバカ貝は全く旨い。貝のスープの中で処理しているので最高である。しかし、残念なことに、掘りにいけるのは年に一度ぐらいだ。
 今日は8月の「乗鞍」に申し込んだ。3日配達指定の書留である。
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再び、大黒屋光太夫

2006-03-27 | Weblog
 岩波新書、山下恒夫著「大黒屋光太夫」読了。面白かった。史実と、著者のフィクションを織り交ぜながら出帆から帰国のその後まで、数奇の出来事が綴られている。光太夫は根っからの船乗りと思っていたが、28歳まで江戸の米屋で奉公、地元に帰って賄い(帳簿付け)で船に乗り込むことに、勘定の才能を発揮し30歳で雇われ船頭。船頭として集荷、荷さばきと船員のマネジメントで、その才能を十分に発揮していたようだ。32歳の冬、船長27mの千石船「神昌丸」で出帆、遭難、8か月漂流する。
 江戸で働いていただけあって、知識才覚も備えた偉丈夫である。雇われ船頭であるが、漂着後、降ろした積荷の中に大垣藩奥方の雛人形一式や錦の衣装、朱塗りの台、什器があり、ロシア人は裕福な商人と光太夫を勘違いしたようで、その後の対応を決めたという。
 帝都ペテルブルグの遊郭では逆に金貨銀貨のプレゼントもあった由、たいしたものだと感心、感心。
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長太の大楠

2006-03-26 | Weblog
 今日も朝から仕事場。家に帰ったのは3時半ごろ。
 まだ時間はあるもののそうは走れない。4時から、楠の吉崎海岸へ。この砂浜は広く、春にはシロチドリの営巣やハマヒルガオ、夏にはハマゴウなど、自然豊かな海浜で好きなところである。しかし、まだ冬の気配が残っている感じだった。
 帰途、長太の大楠に寄ってみた。久しぶりだが、往時よりだんだん枝振りが貧相になって、弱ってきている感じが痛々しい。2年かけて養生の工事が始まるらしい。樹高22m枝張り35mの天然記念物の大木。近鉄の電車から良く見える。
 千代崎の堤防を白子まで走って帰宅。走行33km。
 昨日の転倒で、左手をついてしまい、今日も少し痛い。腫れてきていないので骨折ではないだろうが、ハンドルの振動がこたえる。
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グランドフォンド鈴鹿

2006-03-25 | Weblog
 愛知県サイクリング協会から、ツールドあいちの案内が来た。9・24開催のグランドフォンド鈴鹿はコースが気になっていたが、多度役場7時集合で、二の瀬、鞍掛で多賀まで出て、愛東から永源寺、石ぐれ峠、多度の127kmだ。恐れたほどではないが、楽しみは十分。予定することにしよう。
 昨日からの危機管理のお仕事も昼過ぎには一段落。おかげで他の仕事ができず、明日も行かなくてはならない状況。
 で、3時から椿神社往復。時間のない時のお手軽コース。と、油断したのが運のつき、ペダルがはまってないまま交差点を漕ぎ出したら、足が外れて、勢いで前輪と接触、ひどく転倒。ヘルメットのおかげでなんとか擦り傷、打ち身のみ。しかし、ITMのハンドルが内側へ1cm以上曲がってしまった。ブラケットの角も大きく削れてしまった。
 この際、ついでに10段にでも変更するか悩むところ・・・痛い出費。
 走行42km
 
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みかん大尽

2006-03-24 | Weblog
 仕事場で危機発生だ。明日か、あさっては対応のお仕事だ。まったく、危機ばかりは突然発生する。
 遅く家に帰ると、晩飯にみかんが付いている。「清見」オレンジだ。ダイヤオレンジもついていた。温州がなくなると、ポンカンを取りよせていて、その次は三宝柑だった。そろそろ切れてきたかと思っていたら、新手の登場。熊野・御浜地区に3箇所の取り寄せ農園をかかえる「みかん大尽」の山ノ神の贅沢である。5kg入りというのがいささか小さく、すぐなくなりそうなのが心配だが、自転車のUパーツからの荷物よりは安いので文句は言うまい。もうすぐ4月でみかんも終わりだ。
 えっ、甘夏が始まるだって??御浜町は「年中みかんがとれる町」を標榜していたっけ!
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「女性の力」

2006-03-23 | Weblog
 と、題して先日の日経夕刊に同世代の長谷川眞理子氏(大学教授)がコメント。
 彼女が国際シンポで面白い話を聞いたという。
 都市生活ではなく、「伝統的な狩猟採集生活をしている人々の間では、女性の筋力や持久力は30歳から65歳ぐらいまで、ほとんど変わらない」、というのである。
 「このような体力の維持には、若いころからの訓練が基礎にあるのだが」、体を常につかう肉体労働を続けているからこそ、であろう。最後に氏は「女性はか弱くなどないのである」と結ぶ。
 まぁ、か弱き男性としては、この種の話には、あやかりたい。そうか、65歳までは、か。
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めでたさも中くらいなりおらが春(一茶)

2006-03-21 | Weblog
 長女の就職が「内内定」してしまった。いかにも早い。就職は一年後である。大学推薦枠とやらにのっかって一発で決めてしまった。本社東京の大企業だ。
 青田刈りなんて言葉があるが、まだ、もみも蒔いてないぐらいなのに、どういうことなのか。正式には秋に内定となるらしいが。
 本音のところ、なにもめでたくない。山の神も東京行きには「うーーん」と悩んでいる。会社にどういう了見で採用するのか、と聞いてみたい気もする。本人の前では余り言えないから、名古屋ならしょっちゅうこれるのにと、せいぜいここで愚痴るばかりである。
 昼過ぎまで仕事場にいて残務整理。3時前から東急ゴルフ場横の坂へ。向かい風強く、めげる。ピスト5、6人ぐらいが練習していた。椿は時雨れて、あたふたと帰宅。走行53km。
 
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大黒屋光太夫のことなど

2006-03-20 | Weblog
 大黒屋光太夫は、92年、井上靖原作の小説「おろしゃ国酔夢譚」で緒方拳、西田敏行ら出演で映画化された。光太夫については、吉村昭も書いている。岩波新書でもあるらしい。今度読んでみようと思う。
 思うに、江戸の時代に、難破漂流し、アリューシャンの極寒の地で生き延び、シベリア横断、エカテリーナ女王に謁見、日本に帰ることができた、ということはすごいことだ。漂着した離れ小島で、ロシア語を習得し、最後まで諦めず、命の限りを尽くした郷土の先人には頭が下がる。
 日本に帰ってから本人の書いた、ロシア文字の書などを先日見た。苦労して帰国し、10年江戸に軟禁され、故郷に帰れば、妻はすでに再婚もしており、伊勢には居場所なく江戸で亡くなったが、その思いやいかになどと墨色濃き書を拝見した。
 こういう生き様を思えば、自分の今をありがたくさえ思う。
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光太夫供養碑

2006-03-19 | Weblog
 今日は昼から呼び出しがかかって仕事。午前中は母の希望もあり、お彼岸のお墓参りをする。お彼岸に墓参りをするのは、昼夜の長さが同じとなるこの日は現世と彼岸の接する日として、真西に太陽が沈むことから、西にある極楽浄土に手をあわせるためだ、そうだ。(よくわからんが)
 昨日サイクリングから帰って、左足首が痛く、今日は乗らないつもりでいたが、夕刻家に帰って、風が強いが天気も良いし、ローラーよりは、と思って、5時から千代崎コース12km。
 若松で、大黒屋光太夫の供養碑を見る。供養碑は集落の中の墓地にあった。この碑は、光太夫一行が天明2年(1782)12月白子港を出帆、2日後遠州灘で嵐に会い、漂流。2年後に地元の人が建てたものだ。お彼岸らしく、きれいな花が供えられていた。(写真は借り物)
 
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鹿深の道

2006-03-18 | Weblog
 朝のテレビの天気予報で、雨雲の移動が早くなりそうだったので、車に積み込んで能褒野神社のPまでデポして、私にしては珍しく早く、8時過ぎから走り出す。自走より往復で22kmのカット。
 これは、雨が12時過ぎから降り出したし、下りの寒気で頭が痛いなど、調子が悪かったので良い判断だった。
 1月以来の安楽~鹿深の道は、調子が悪いこともあり、また、日が差さないこともあって薄ら寒く、あまり楽しめなかった。好きなコースだけど、こんなこともあるさ、と思いつつ、加太、関からフラワーを通って帰る。走行67km。
 のぼの神社までデポすると、ずいぶんと楽だ。
 明日は仕事。まったく!!
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名利を求めることなく

2006-03-17 | Weblog
 生きていこうと、考え出したのは何時からのことか。
 まぁ人生にも少し先の見えたこともあるが、そうなると大事なのは家族である。
 今日明日と山の神は京都のお茶の総本山?へ行っている。「楽しんで行ってらっしゃい」とやさしく声をかけられるようになったもんだ。
 自転車も乗れる限り乗っていこうと思うし、これからはやっぱりゆっくりだな。
 明日は午後から天気が悪い予報。昼過ぎに帰るようにサイクリング。久しぶりに安楽越えの鹿深の道とするかな。
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異動の季節

2006-03-16 | Weblog
 人事異動の季節である。予感はあったが、変わることとなった。
 まったく未知の分野で、どうなることやら。おいおい状況も判ってくるだろうが、貧乏暇なし生活はこれまで以上になりそうだ。楽はさせてくれない。
 実のところ、今の仕事場では「沖縄」参戦予定はすでに業務の予定が入ってきて、暗雲が漂っていたが、これで状況は変わった。まぁ、新たなところでどうなることか判らないが。
 異動といえば、とうとう、ACA(愛知県サイクリング協会)会員に申し込んでしまった。団体会員制度(JCAはACAとみなすような)がなくなったこともあるが、たびたび会員誌を送られてきては親しみも増すというもの。M(三重)CAから異動です。
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乗鞍ヒルクライムの案内

2006-03-15 | Weblog
 実行委からのお手紙。やけに早い、案内だ、と思って封をきると、今年は4月3日から受付だ!!
 もう決断しなければならない。しかし心は決まっている。4/3に着くように送金だ!!昨年は4分近くタイムを落としてしまった。その週の木曜日は風邪で仕事を休んで寝てたなんて言うのは、言い訳としても、悔しい限り。
 リベンジだ。88分切りを目標にする!!
 諏訪圏縦断サイクルマラソンの案内なども同封されていたが、これは、富士ヒルクライムと重なっているため参加できない。富士山で90分を切るというリベンジできたら来年参加しても良い。いや、それより先に栂池が待っているか?
 
 
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寒の戻りか名残り雪

2006-03-13 | Weblog
 3月も中旬というのに、えらく寒くなったものだ。朝、雪が舞っていた。
 3月になってからでは、遅いのであるが、昨日自転車雑誌を整理していて、気が付いた。マルコ・パンターニが亡くなって丸2年が経っていた。命日は2月14日だ。アドリア海に臨むリミニの町の滞在型ホテルで、何種類かの精神安定剤とともに死亡しているのが発見された。
 パンターニは98年ジロ、ツール2制覇、しかし、それまでに不運な事故に何度も遭遇している。また、ヒルクライマーとして、日本でも絶大な人気。自転車レースに対する求道者のような姿は信仰の対象のようである。
 結局99年のジロにおけるドーピング疑惑以来精神的に不安な要素を持つにいたったといわれる。
 写真は、私のスクラップから。00年11月の朝日の記事。自転車雑誌には載らない。マルコが自宅近くの進入禁止の路地を入り、駐車中の車など5台にぶつけ、警察に調書を取られたとある。記事は「禁止薬物使用の疑いで裁判中」と最後にコメント。
 冥福を祈りたい。
 
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