暑くなりそうな天気。8時半過ぎに家を出て、まずは安楽越え。帰途のエネルギー確保のほどほど登坂。国道1号からは鹿深の道。油日神社まで2時間。以前は1時間50分で納まっていたが、この頃は2時間を超えることが多い。
この先を右折して向かうのは中華そばの「宇奈月」であるが、今日はそこではないし、まだ、開店前の時刻だ。
五反田の富士スタジアムゴルフ場の急な小坂を登って田んぼ道へ右折し、高嶺から三重県に入って、モクモクの前を通過して、阿山道の駅へ11時。今日はここで中華そばランチとする。前回は「こってり」を頼んだが、今日は「あっさり醤油」(写真:750円)を頼む。あっさり、と言ってもなかなか豚骨のコクがあって旨い。ご飯は各自自由で有難い。店主の話では、中華そばの「日向家」は甲南と水口に店があり、ここは3店目だとか。
道の駅にはチャリダーが多くいて、緊急事態解除の土曜とあって、走行中のチャリダーにも多くすれ違う。
11時20分過ぎには帰宅の途へ。湯船集落から中友田へ通じるショートカットの道で小杉、柘植、加太と、いつもの帰宅コース。(電池切れのメーターのため、走行約100㎞)
暑くなる、との予報だが曇り空で丁度良い感じ。今日は、久居榊原の奥にある「谷杣」地区をサイクリング。
榊原から白山に抜ける県道28号の西側に当たる地区であるが、行ったことがない。9時半前に出発。まずはグリーンロード。ジェットコースター坂の手前でう回路に回って、家所を南下、榊原温泉地区へ入る。榊原(東海)自然歩道と書かれた案内を右折して、少し走り、脇道を登り、まずは一の坂集落へ。(写真)谷あいにへばりつくように家がある。町の喧騒からみれば別天地。
次はこの地区を一周するために高度を稼ぐように細い道を回り込む、予定だった。しかし、「杉田土木」という事業所前から登る道はひどく荒れている。舗装が割れ割れでロードで登るのはいささか問題。しばらく登ったが、不安になって引き返すことに。幅10㎝しか舗装が残っていない箇所もあり、慎重に。すると、なんと杉田土木のキャタピラーユンボが登ってくるのに出くわした。このあたりをわが物のように開発しているが、キャタピラーで公道を走るのは違反では。舗装道の荒れているのもこのせいだ。私道かと勘違いしたほどだ。
で事業所の少し手前から左折して谷杣の中心地へ出る。このまま帰るのもどうかと川上の方へ登る。上田集落の屋並みが切れて山中を少し登るが急勾配となり、時間も気になり、ここで引き返す(その先300mで周回する予定の道にタッチするのであったが)。
グリーンに戻り、一粒庵でお弁当購入(11:45頃)今日は玄米ご飯にしてもらった。近くの農道端で食べる。ここのお弁当は美味しく満足感が高い。食べて後は帰るのみ。津から中勢BPで、走行80㎞。
R-sysに履き替えて、サイクリングに行こうと準備したが、カセットコグを外していたので、それを探すのに時間がかかった。 コグを入れている箱を次々開けて、枚数を数えてみれば、10速のカセットコグばかり4個もあった。思いもよらないところに9速のコグを発見したが、15分ぐらい探していた。先日外して、すぐ嵌めるつもりでありあわせのプラスチックケースに入れて、ポイと置いといたのを忘れていた。まぁ、こんなもんだ。
今日の行き先は、錫杖湖から伊賀越え、ランチは一粒庵の弁当と決めていた。9時半と出るのが遅くなったが、まぁ丁度良い頃に弁当を買えるのでは、と思いなおした。
伊賀越え途中の渓流では、絵の参考にと写真撮影、しかし、メモリーカードをパソコンに差し込んだままで、忘れてしまって、ダメだった。まぁ、こんなもんだ。
伊賀越えの峠は日蔭なので、今日は薄曇りでやや肌寒い。陽のあたる峠のすぐ下で羊羹休憩。周りを見ると、藤の花が何本も満開。大きい木が多く、山藤なれど良かった。
長野トンネルを抜けて下りを楽しんだ後、一粒庵、11時半頃。この時刻は配達弁当作業もひと段落ついて買いやすい。今日はお店でなく、近くの畦畔に座って食べる。(今日のおかずメニュー;写真600円)弁当のカラをお店に返却して、中勢BPで帰宅の道へ。走行73㎞。
週刊誌は発売1週間前には本人への取材をするので、先週14日のブログ記事を書いた時には、すでに官邸は週刊文春の取材を知っていたと言うことだ。法案取り下げは「民意を考慮し」と言いつつ、秋の国会で再提案とは、「国民に丁寧な説明をし」と言いつつもなにかひっかり釈然としなかったが、そう言うことだ。なにしろ、検察庁職員にも説明ないのだから。
しかし、こういう渦中の人が、検察番記者の接待賭け麻雀が恒例、しかも戒厳令下でもやる予定、という極秘の情報が誰から誰へ伝わり、文春編集部へ伝わったかだが(ずるずると短期間に漏れるのがふさわしいので、直接ではまずなかろう)ネ。色々想像するのも楽しい・・・。
つくづく、己の出世、栄華しか興味のない人間がゲスであることの見本となったということだ(出世が悪い事ではないのだけれどね)。同類は同類を呼ぶ。
絵の方がはかどらない、ばかりか、修正の連続。色についても次女からアドバイスを受ける。大体「デッサンはともかく、色の使い方は私の方が上手い」などと公言してはばからない娘なので、アドバイスは的確だ。色を使う絵は高校生ぐらいから、この歳になるまで描いたことがほとんどない。つまり、筆を使っていないためで、色彩感覚はおぼつかない。混色の本など買って、勉強中。
そういうことで、今日は午前中、気晴らしサイクリング。いままで走ったことのない道をなるべく通過しようと近場を走る。
まずは、石薬師から鞠が野の農道、例のユーカリの木付近に到達する。次は和無田の集落を抜けて、堂ケ山へ。この途中左手にため池がある。ふと水面を見ると河骨の黄色い花がたくさん咲いている。ジャイアン号を置いて、近くまで行って鑑賞。ため池の真ん中には島があって、ふとその付近を見ると睡蓮がたくさん咲いている(写真)池の中ほどで、近くでは見ることができないが、良かった。
堂ケ山から水沢に向かって、牧場の横を通過して、スポーツランドの前の道を下る。ミルク道路交差点から小山産廃施設の南側の道で小山集落へ出て、少し旧道を散策し、山田へ出て、石薬師から元の道で帰宅。走行49㎞。気分転換になりました。午後から絵の作業。
きゃりーぱみゅぱみゅさんは気の毒だったが、SNSなどカンケーネェ自分としてはブログで発信。
「 嘘つきは泥棒の始まり」などとも言うが、モリカケ問題、知らぬ存ぜぬをつきとおし、奥さんのことはカンケーネェと突き放す。まぁ「権力は腐敗する」の見本ですな。
ロシアのプーチンも北京の近平も自らの権力の長期安泰強化しか念頭にない。そのための法改正などしたい放題だ。
検察のトップ人事を握ることで政権に都合の悪いことを排除する。国家公務員の事務次官などトップ人事を官房が握ったしくみをつくり、忖度の良さを身に染みてわかった結果、今度は検察だ。
まぁコロナ対応が果断にできなかったのは、役人の萎縮などもあるのでは、と思っているが。この国はどこへ向かうのでありましょうな。国家公務員法との抱き合わせ販売で「管轄外」の大臣答弁などあきれたものだ。大体、司法は三権分立。検察のトップ人事を一般公務員と抱き合わせにする法改正がおかしい。
「火事場泥棒」って、とっくに泥棒なのだから、当然か。
午前中、椿~八島川コース、50㎞。久しぶりに「しらかわ」で担々麺でもと思ったが、お休み。定休は水曜のはずなのだがネ。
今日は暑くなりそうだ。早めに出ようと思っていたが、家を出たのは9時近く、いささか行程を危惧する。どうも上の空で漕いでいたようで、中勢BPへ左折せず、直進してしまった。家の近くでミスをするときは要注意だ。慎重に稲生ランプから乗り直す。
まずはグリーンへでて、先月の崩落現場調査。
なんと、まだ、草生で通行止めだ。しかし警備員もいないし、向こうからは地元車がくる。とうことで、ジェットコースター坂まで行き、さすがに次の信号では封鎖していたので、県道に迂回して、家所から現場を眺めれば、センターラインにそって擁壁(矢板)ができていた。これから工事だ。工事が始まれば、相互通行だな。
グリーン終点は直進して、田んぼ道を使って、猫座坂にでる。算所の交差点から家城へ抜けてコンビニで水補給。ここまで46㎞。
11時となり、ランチをどうしようと思ったが、この時節、開いている店があれば入る、として美杉の谷へ。八知までくると「山里」が営業中。ありがたい。定番「鹿フライ定食」(850円税込み)
「鹿ある?」(猟期は3月まで、しかし有害駆除が年中ある)と大将に聞くと、「あるある、売るぐらいある」と。「鹿も食べたらなあかんでな」などと言って食べれば、しっとりした食感の美味しい鹿肉でした。
鹿肉は運動には良さげな食べ物なのか、いつも食後は元気が出る。このあとは飼坂峠を登り、霧山神社でトイレを借りて、今日の目的地の「足谷峠」へ向かう。昨年12月、波瀬側から登ったので、今回は美杉側から。
県道から約2㎞で寺広集落。家を数えれば、7、8軒というところ.。美杉の谷を望んで(写真)ちょっとした高原の感じ。ここから峠まで数百メートルの距離。峠の両側1kmは10%~の急登だが、峠近くに生活をしている集落があるのはどこかしらなごむ。
峠を降りて、波瀬~大仰~久居~中勢BPで15時頃帰宅。走行124㎞。
※「寺広」 近くの波瀬側の標高400mの山中に神宮寺跡が残り、「寺」はそこから、「広」はひらけたた地形からきていると思われる。
良い天気。今日の行き先は、先月LOOK号が旅立った「福地城跡」現場。なにしろ、そこでサイクリングが中断しているので成就させねばならない。
時節柄、県外は控えていたが、安楽越えて、青土ダム湖畔通過して、頓宮の「玄鹿」(コロナ休業中)を横目に見て、油日神社の横通過して、柘植へ出る。
柘植で11:30過ぎとなったので、LOOK号事件の時コーヒーを飲んだ「杜のカフェいこいこ」でランチでもと思っていたが、「コロナ休業中」。非常事態宣言恐るべし。(飲食店だけでなく、コンビニもトイレが使用禁止になっているのは行き過ぎではないか?コンビニの価値が半減している、と思う。)
仕方なく、近くの商店でパンを買って、「福地城址」へ向かってランチとする。
先月、LOOK号のチェーンをつないだ現場をちらりと見て、城址へ登る。ここは地主の松尾さんから土地を寄贈され、明治の代に「芭蕉公園」となっている。主郭跡の広場には一段高く、「ふるさとや 臍の緒に泣く年の暮れ」の句碑がある(写真)1687年、2度目の故郷帰り、芭蕉44歳の句(2年後、奥の細道へと旅立つ)。兄から(自分の)臍の緒を渡された時の句らしいが、苦労をかけた母親に生前は十分尽くせなかったという思いをこめたのであろうか・・・。(松尾芭蕉の生地は柘植か伊賀上野か2説ある。これは、柘植にいた松尾家が上野へ引っ越しをしたのだが、引っ越しが先か、生誕が先か分からないためである)
城址の周囲も見分して、このような小さな城では天正伊賀の乱時、最初の攻撃目標となって、数万の織田勢に抵抗するなどできないと、裏切ったこともわからないではないな、と思う。ただ、伊賀では有力な城であったわけで、寝返りの恨みは末代まで、というところか。
見物の後は、加太、関、農免道路経由で14時帰宅。走行103㎞。
4日連続で油絵修行。描き直しをしたり、じくじくと進めているので、いささか飽きてきた(写真はその現状、前回掲載は4/20;川の流れを描き始めたので少し進んだ印象)。仕事をしているときなら、GW中に絵を描くなどもったいなくてできない、と思うだろう。天気が良ければ家の中にいることなど考えられない。アウトドアだ。
2年前、絵画サークルに入って、もっと早く絵を始めていれば、なんて思う時もあったが、趣味としての油絵を、働いている時にしなかったのは正解かもしれない、と最近思う。仕事のストレスを解消するには、部屋の中にいるより(絵でも集中で効果はあるが)、外で暴れているほうが良いからネ。ロードに乗り始めたのは管理職になった歳からだが、随分、メンタル維持で助かったし、ヒルクライム練習によって思考が前向きになった気がする。
明日は天気も良さそう、チャリ日にするかな?!
酒が切れたので、安田酒店へ買い出し。
年金生活となって、金の回りが極端に悪くなり、高く美味い酒はなかなか飲めない。安くて良い酒を探して飲むしかない。
お店に行けば、名張の瀧自慢酒造が並んでいる。店主いわく「何度もお伺いし、名刺を置いてくるだけの時もあった。ある時「ウンと言わんと帰らんやろ」と言われ取引できるようになった。」
瀧自慢の大吟醸は美味く、15年~ほど前にもなるか、赤目口の蔵元へ2回、お取り寄せで3回ほどで飲んだことがある。チャンスを逃すと手に入らない酒だった。また、「はやせ」や「名張乙女」などもついでに買って飲んだことがある。
お店には大吟醸(4200円)を筆頭に美味そうな酒が並んでいたが、まだ飲んだことがなく、まだその中でも一番安い「純米生」を購入(2200円;税別)「これは限定酒です」と店主。
早速晩酌でいただいたが、なんともコスパの良い美味い酒だ。限定であることも頷ける。
昨日は外出自粛の戒厳令下のサイクリング。それも知人に会いに行くという、医療崩壊の恐れを知らない不届き千万振る舞い。
しかし、首都圏並みの考えで全国一律対応はないね。無症状感染者が跋扈する都会とリスク度合いが田舎は違う。東京都の感染者数は人口比で三重の13倍だ。「三密」的感覚で人口密度を見れば、例えば娘夫婦の住まう西東京市は12000人/km2、三重は306人/km2これでは比較にならないので、人口集中地区基準の半分2000人/㎞2と仮定しても6倍の差。13×6=78倍。リスク差は最低これくらいあるのではないかと、どんなべ氏の持論。従って、東京、愛知、大阪、外国などから人が来ないようにするのがとりあえずの対応として一番だ、と思う。
こんな雰囲気の中、車の運転にもストレスが溜まっているようで、昨日はサイクリング中に車に幅寄せされた。「この!」と思って追いつこうと踏んだが、先の信号が赤になって追いついた。なんとガードレールにギリ近づいて停車し、横に行けない。ということで、優しく車のバンパーにコンチのタイヤを押し当て聞いてみた(あくまで想像の会話)。
コンチ「どうして幅寄せするん?」、車「外出自粛でしょ!」、コンチ「あんたは?」、車「お前のような遊びとちゃうの、買い物!」、コンチ「幅寄せは、道交法違反やで、あかんやろ(ぐりぐりと押し当てる)」 ここで信号が変わり、車は直進。自分は左折。これ幸いと「×××××!」などとののしって、後続車を怯えさせてしまった。
今日は多気町までお見舞いサイクリング。「あちこち山花さん」のご自宅まで。1月以来お顔を拝していないので、気になっていた。予定時刻より早く着きそうになったので、本居宣長の奥墓へ登ってみる。ところが、施設の子どもたちがたくさん来ていたのでこの時節遠慮と、駐車場でUターン。ビーフロードのトンネルを抜けてから、マスク着用して訪問(すぐ外したけれど)。
お昼はご主人に、ホンマグロ刺身ランチをふるまっていただき、大変美味しく頂戴しました。奥様は1月よりは回復。しかし、まだまだリハビリと介助が必要、ご回復をこころからお祈りいたします。 ご主人はコロナが落ち着いたら、土日だけでも営業を再開したい・・・と話されていました。奥様の指導の下ご主人が作るとなると、メニューは限定でないとネ。再開となったら、時間に余裕をもって出かけましょう・・・。
帰途は、牧集落を抜けて、櫛田川の潜水橋を渡り(写真)、根木峠経由で往路に出て帰宅。走行105㎞。往路は時間に余裕があったので、ゆっくり走り、体力温存、午後暑くなった復路が楽だった。