自転車のサドルの上で・・・

サドルの上での気ままなひとりごと

眼は球体

2020-09-30 | Weblog

 迷わず成仏していただくために(爆)、婆さんの絵の修正作業。
 眼白を白一色のままだと、白目過ぎて怖い表情になる。眼は球体なので、真正面からフラッシュでも焚かなければ必ず影ができる。また、血管などもあり、赤、青色が眼白のなかに存在する。眼は真正面を向いているというより、わずかに下向きについている。瞼もあり、影はできやすい。
 ということで眼に少し手を入れた。(衣装も)

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このままでは成仏できん・・・

2020-09-28 | Weblog

 今日は絵のサークルの日。「中村川」は少し手づまり状態なので、婆さんの絵の制作とする。
 しかし、小さな写真(昭和22年)を拡大して見本としているが、当然白黒だし、なかなかそのようには描けない。自分が生まれる4年前の姿なので、実物の想像もつかない。髪型も髪の毛の流れが写真ではぼんやりしていてわからない。大体絵の方が表情が悪すぎ・・・
 と、婆さんに見せたら「このままでは成仏できん」と言われそうだ。南無阿弥陀仏

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彼岸花サイクリング

2020-09-27 | Weblog

「彼岸花」と書くと、小津監督の映画を思い出す。しかし、あの映画に彼岸花って出てきていたかな?あまり覚えがない。「赤」が好きな監督好みの花なのかもしれないが・・・
 ということで、サイクリング。2度寝して起きたのが遅かったので、のんびり近場サイクリングとして、安楽途中にある両尾の白い彼岸花を見にいった。
 場所は和菓子屋さんの上手の土手の所に地域の方が育てている。(写真)今日は日曜とあって沢山の人が見に来ている。写真撮影や絵を描くようになるまで、花など興味もなかったが、近頃は植物も気がかりだ。絵をものにしようと思ったら植物を描き分けられないとアカンので、一にも二にも観察ダ。
 さすがに彼岸花を描こうとは思わないのですぐに立ち去り、安楽を登る。
 昔なら口笛を吹いて登っているような速度が今の限界で、へろへろとなりながら峠へ。滋賀県側は曇りで、なんと雨まで降ってきた。今日は鈴鹿峠越えなので多少の雨は問題ない。
 国1に出て、鈴鹿峠のトンネルを越えると三重県側は晴れだ。関駅11時半となって巻き寿司ランチ(500円)。
 シャープ横の直線となった新しいフラワー道路を通過して、往路に戻り、帰宅。走行70㎞

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ピアノロス

2020-09-25 | Weblog

  昨日、サイクリングから帰宅すると、14畳の広さのLDがガランとしている。サイクリングに行っている間にピアノが娘夫婦の家に搬送されたためだが、28年間ドンと居座っていたものがなくなると、やけにだだっ広い。
 楽器としてのピアノは一番好きなものだが、残念ながら弾けない。なので無くなっても良いのだが、豊かな音色を奏でる楽器は良い。先日、8年ぶりに調律をしてもらって、よみがえったように響く音には驚いた。が、今は無くなった。若干ピアノロス・・・
 ということで、ジャイアン号を置いてみる。これが実にこの場所にふさわしい。なんて素敵なんだろうと、見入っていたが、帰宅した山の神から即撤去の命を受けてしまった。まぁ、こんなもんだ。 

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本し希也

2020-09-24 | Weblog

 毎夜くずし字に取り組んでいる。が、先生もいないし、独学では、はかいかない。ご先祖様の書いた文書ということで戦中以降、誰もちゃんと読んでいなかった文書である、自分が読むしかないかと、との思い。
 古文書解読は、コロナがなければ、博物館などで講座もあるのだが今年はない。昨夜も1字の読解ができず1時間呻吟していた。
 ということで、気晴らしサイクリング。今日はピアノの東京の娘宅へのお引越しで駐車場を空ける必要があるというので、御園スポーツガーデンまで車でデポ。近場の伊賀越えを目指す。
 薄曇りの天気で、錫杖湖を過ぎて、山間に入るとずいぶん涼しい。秋の涼しさを味わいながら峠へ。しばらく休んで、誰もいない慣れた山道を下る。新トンネル開通で廃道となった国道に出ると、山手から草木が伸びて道幅が狭くなっている。段々こうなっていくんだろうな、と思い、前を見ると、芭蕉の句碑。
 いつもは通過するだけだが、この句碑も人目に付かなくなったなぁ、と思って今日は停車。「初しぐれ 猿も小みのをほしげなり」の句碑だが、最後は「本し希也」とある。希に点がないので「ほしけなり」と書いて濁って読むのが良いのか?と思う。これもくずし字だぁ・・・。やれやれ。(なお、くは「久」が使われている)
 国道に出て、長野トンネルを抜け、快調に下って、今日のランチはいつもの一粒庵、11時過ぎ。弁当を買って、近くの農道に座っていただく。ごちそうさまでした。帰宅はグリーンで安濃まで中勢BPに抜けて出発地点へ。走行63㎞。

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中村川リベンジ

2020-09-21 | Weblog

 3週間と少し前、8月末に熱中症の酷い痙攣にやられた「中村川サイクリング」のリベンジ。
 まぁ今描いている油絵のモデルでもある中村川には敬意を表して一月に一度は顔を出して、との思いもある。
 天気も素晴らしく、サイクリング日和。8時過ぎに家を出て中勢BPを快調に津まで。久居を経由して島田橋から中村川沿いに登る。風が涼しくて気持ちが良い。
 絵の現場まで45km近く。お決まりのカメラ撮影。今日は描いている絵とよく似た水量で少し嬉しい。光線は晩秋とは大違いの強さ。昨年の秋と違って、左岸の草木がうるさいぐらい繁茂している(写真)。できれば刈り取ってやりたいが、ロッククライミングの道具がないと無理な場所。手が出せないナ。
 続いて、50mほど上手で川の様子、木々の様子を、フレームにまたがったまま、のぞき込んで観察していると、後ろから来たカブに乗った高齢の方から「大丈夫か?」と声かけられた。合ケ野の休憩所で休んでいたら自分が通り過ぎるのが見えたので、と。てっきりくたばっているものと思われたらしい。この方、心臓手術で「心臓取り出して一度は死んだ」と話す。そこで自分も心臓談義。つらい思いをした人は優しい。
 細野峠からの下りも快調に飛ばせたし、前回とは大違い。久居のラ・ミシェットでパンランチして13:30帰宅。気温、湿度の違いは大きい。走行110㎞
 

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くずし字にうなされる

2020-09-19 | Weblog

   昨日は一日、古文書のくずし字読解に取り組んだ。しかし、なかなか手ごわい。1時間掛かっても分からない字もあり、ストレスが溜まる。
 今日の明け方には夢を見た。自分の携帯に義弟からメールが届く。ところが、文面を見ると、へんやつくりだけの文字で全く読めない。そこへ義弟が通りかかったので「これでは読めやんやんか」と言うと、「辞書引いて」と答えてきて、そこで目が覚めた。(そういえば、携帯所持廃止して1年が過ぎていた・・・のに夢では携帯を持っていたのがおかしい)
 そういうことで、気分晴らしに、天気も良いしサイクリング。午前中の予定で、椿~西山~和無田~国分~楠と回ってきた。
国分町には古墳時代から奈良時代にかけての豪族大鹿氏の塚がある。前方後円墳の富士山古墳もその一つで近頃竹藪を刈り込んで綺麗になったというので見に行った。(写真)道路際なのでわかりやすい。
 楠は漁港や吉崎海岸を見に。絵の題材として使えないかナという気持ちもあった。走行64㎞。

 

 

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稲100円銀貨

2020-09-16 | Weblog

 現在使われている100円白銅貨は昭和42年からであるが、それ以前は昭和32,3年発行の鳳凰100円銀貨そして、その後昭和34~41年に発行された稲100円銀貨である。31年以前は100円玉はない。
 現在の白銅貨に切り替わるとのことで、親父は商売をやっていたので、銀貨をため込むことにした。中学生であった自分も店番している時はレジに区分してため込みに協力した。
 現在、100枚を超える銀貨が残っている(写真は一部)。発行枚数が極端に少ない昭和36年は無い。当時もそれは分かっていて、お客からの自然流入ではそういうのは集まらん、と思っていた。これも遺品整理ででてきたものだ。懐かしい気もするが、くたびれもうけの残骸のようなものである。今では価値はない。銀貨なので価値がありそうだが、銀60%の含有割合。銀だけ取り出せれば1枚につき純銀価値で200~300円近い価値はある。取り出せれば、の話。
 今のお店のレジでは使えないし、自販機でも使えない。(銀行へ持っていけば良いのだけど・・・)
さて、懐かしの100銀貨、欲しい人はいませんか?10枚でたったの1000円です。ご連絡を(爆)

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涼しくなってきた

2020-09-15 | Weblog

 ということで、サイクリング。8時半過ぎに家を出て、久しぶりの安楽へ。
 安楽越えも、この頃ではすっかり安楽には登れなくなっている。以前ならゆったりと登っているような速度が精いっぱいだ。ともあれ、こうやって登れるだけでも幸せか?
 国1号から鹿深の道へ左折して、走り慣れた道を行く。神集落からの登りで、道路改良で廃道となった道を横目にその頃は一所懸命走っていたな・・・と思い出す。
 今日のランチは油日の「宇奈月」。開店5分前だが、女性二人が立って待っていたので、お店が入れてくれた様子。後に付いて3人目の客となる。いつもの中華並みセット830円(写真)。こういう寿司があるというのは和歌山ラーメン系なのかな?店名は宇奈月だけど。
 食後店を出て、和田集落へ。6月に立ち寄った「和田公方屋敷跡」をもう一度眺めてみる。NHK「麒麟が来る」では来週兄の将軍義輝が殺害される。興福寺にいた弟覚慶(後の義昭)は逃げるわけだが、この和田の地に数か月留まり、各地の大名に書状を出している。和田城跡の下に当たる場所。
 後は小杉、柘植、加太といつものコース。関の街道筋をポタリングして13時半帰宅。走行90㎞。

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くずし字読解

2020-09-12 | Weblog

 盆過ぎからくずし字の読解に努めている。くずし字とは古文書などに見られる筆で書いた文字(木版でもあるが)だ。全く読めなかったが、少し親しんでくるようになった。くずし字辞典なるものも買って、後は図書館で読解入門書などを借りている。
 婆さんが他界して、色々整理すると江戸時代のご先祖様の書いた文書が出てきた。時代は1800年前後、寛政、享和、文化、文政、天保年間(1789~1844)であって、この間の文書のみ残っている。父方の先祖は名古屋で商売をしていた。内容は借用書がメインで諸届書類と領収書ぐらいで50点あまり、なかには下書きのままの文書も数ある。。実はこの期間商売上は当主が若くして亡くなったりして、女性だけで家業を維持していた期間が多い時期なのだ(書類を整理して判明)。
 一旦婿養子を迎え継がせたものの、役立たずか素行が良くなかったか、離縁しているなど、細腕繁盛記のような苦労の時期だった。それゆえ、下書きの借用書まで残したのかと、ご先祖様の思いを今よみがえらせようと思っている。
 写真は、文化5年(1808)小牧町の町代(自治会長のような方:江戸時代は住民統制上今より厳しい)から引っ越し先の米倉町町代に出した文書と、同居先の妹「みな」による口上。小牧町(現在の泉1丁目)の異母姉妹の姉(紫雲35歳)が妹みな(22歳)の家(米倉町上の切東側(伏見通に面し錦通りを上がったところの「キャノン」の対面辺り)に同居する時の文書である。紫雲の菩提寺は東寺町の西連寺とあるが江戸時代は切支丹対策もあり寺にすべての住民が属していた。この時みなは家督をついで、結婚し子どももいた。家屋敷を夫に譲渡するのは1812年、離縁するのは1819年(家屋敷を返還している)と家屋敷の譲渡文書で判明した。こういう話は聞いたことがなかったので、少しまとめてみようと思っているが、くずし字は難しい。(伏見通は戦後拡幅されたが、この当時は3間道5.4mである。
 (江戸時代の名古屋城下は、現在の丸の内、錦は町民・庶民の街で、中級、下級の武士はその周りに住んでいた。上級武士は城内またはお城近辺)

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オフシーズン終了

2020-09-08 | Weblog

  油絵の方は9月の展示会が無くなったが、一応展示会までにと考えていた描く範囲は出来つつある。一部は展示会後に描くと考えた部分があるので、完成はまだ先だ。まぁ、じっくり、と。
 という事で、午前中サイクリング。サイクリングを楽しむだけのチャリダーにとって、盛夏のオフシーズンは終わったので、少しは走らないと、と。
 行き先は、椿~東海自然歩道~両尾~フラワー道路~井田川経由で帰宅の56㎞。この道沿いの近くには、かって仕事で部下だった方のお墓がある。仕事のできる良いやつだった。手をあわせるだけだが、お参り。

 写真は先日サイクリングでの「伊勢国分寺跡」。天平13年に詔により全国に国分寺が造られたが、この地に決まったのは、この地を治めていた豪族大鹿氏(近くに古墳がある)の影響かと。史跡は県内には伊賀と鈴鹿の2か所である。(志摩国分尼寺は後で伊勢国分尼寺に統合、志摩国分寺は場所等良くわかっていない)

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台風前のサイクリング

2020-09-05 | Weblog

 夕刻までは良さそうな天気。超大型台風前にサイクリング、1週間ぶり。前回の熱中症の痙攣は、前半薄曇りの中で水補給が不足していたかと。細野峠を越えるころには体に蓄えが無くなっていたのではないかと思っている。それとミネラル分の補給。冷蔵庫で眠っているTOPSPEEDのミネラルタブレットは夏こそ使用すべきだったナ、また午後走りは控えた方が、と反省。
 で、8時過ぎに家を出て、椿~西山~和無田の50㎞コース。土曜とあって、何台もロードが走っている。このコースには和無田池もマンボもあり、しばし佇み癒される(写真)。説明板にはここのマンボは350年前につるはしで掘った、とある。江戸末期ではなく、中期でしたね。
 帰途は自由が丘団地の東側を通過して、旧東海道を走って、国分町へ。南側に広がる草地は伊勢国分寺跡で、そういえば、南端に立つ博物館は何度も行っているが、伽藍跡には行ったことがない。というので寄り道。奈良時代には僧20人が配置されていた等という説明文を読みながら伽藍跡を一巡りして帰宅。

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