きのうは、以前からの念願であった
「オホーツク文化人」の復元住居を見学に行きました。
っていっても、場所は札幌を遠く離れた標津町です。
札幌からまっすぐ行っても437.4 kmという距離。
おまけにきのうはついうっかり道を間違えたので、都合80kmくらいはオーバー。
ですからゆうに500kmは走らねばなりません。
しかし、北海道という島に住んでいた人間の住居痕跡を
さまざまに探訪してみたいという欲求からすると、
この謎の民、「オホーツク文化人」の住居痕跡は欠かせない。
それが復元されているのは、この道東・北方領土に面している
標津にしかないのですね。
北海道の固有民族といえば、アイヌのひとたちが思い浮かびますが、
歴史的には、アイヌは日本史の側の鎌倉時代くらいから
北海道で優勢になる民族。
それ以前には、石器時代から続く流れがあります。
しかし、そのなかに特異に存在しているのが「オホーツク文化人」。
かれらは300年間くらい日本のヤマト朝廷側でも存在を認識している。
外交や交易関係も記録が残されています。
しかし、どこから来て、どこへ去っていったのか、
まだその全貌は見えてきていない民族なのです。
海獣捕獲の主要文化を持っていて、
たぶん、北東アジア地域から獲物を追って北海道のオホーツク海側に
たどりついて、そこに多くの生活痕跡を残したのでしょう。
かれらの文化の中に、後の民族であるアイヌの「熊送り」にも似た
風習が認められ、アイヌ文化のルーツのひとつとも思われるのですが、
よくわかっていません。
この復元住居はそういったかれらの姿をかいま見せてくれる数少ない痕跡。
竪穴形式ですが、深さが1m以上と深い。
また、外壁や屋根などに、木の構造の上から樹皮をかぶせたりしています。
樹皮は脂分の多い樹種が使われていて
風に対する防御性を高めていると思われますね。
外観はきれいな切妻ですが、
このあたりは、どうであったか、
やや疑問と思います。
立地的には海から湿原地帯を抜けたやや高台に位置しており、
当時の食料獲得方法が海獣や魚類の捕獲であったとすれば、
まさに好適地に、無数の竪穴痕跡が集中しています。
周辺は、こぼれるばかりの瑞々しい緑が生い茂り、
また、ポー川という豊かな水量をたたえる川もあって、
かれらの生活の場が、生き生きと目に浮かんでくるような気がしました。
遺跡周辺には、「熊出没注意」という看板や張り紙があり
すこし、おっかなびっくりの引けた腰つきでしたが(笑)、
なんとか、念願の遺跡を見ることができまして、
ライフワークのワンピースを得ることが出来た次第です。
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