三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

トイレ前の「前室」

2011年11月11日 06時57分48秒 | Weblog





一昨日、その前日と十勝に行っておりました。
で、住宅見学などしておりました。
そのなかから、帯広の広岡建設さんの現場です。
こちらでは、トイレの前にちょっとした空間が装置されておりました。
上部にRのついた間仕切り壁開口があって、
そこからトイレまでの1畳ほどのスペースであります。
どうせドアが開閉するのでモノを置いたりはできない。
それならいっそ、個室的なスペースにしてしまおう、ということなのか。
広岡さんに確認することが出来なかったのですが、
用としては、たいへん素晴らしいなぁと思いました。
トイレというのは、ひとりっきりになって、
なにか、瞑想的な時間ではある。
その前室として、結界というか、心理に句読点を付ける、という意味合いが
そこはかとなく伝わってくる。

どうも最近の家には、
ひとが句読点を付ける場所、という概念が乏しいように思います。
ある設計者から昔、
子どもがさめざめと泣けるような空間を作っておきたい、
っていう考えを聞かされた経験がありまして、
そうだよ、そういった空間こそが住まいだ、という思いがあります。
なんと言えばいいのか、まぁ、人間に「深み」をつくる、
心を涵養する場所、っていうようなことでしょうか。
住まいは文化現象であり、
人間の精神性を育んでいく場所であるわけで、
そういった部分は、抜けがたく存在すると思います。
昔の日本家屋では、床柱の立てられたハレの間があって、
神棚があり、仏間もあった。
そこにたたずめば、おのずと「家」というものを意識させられ、
己、ということについても人間の絆という形で
そういう連続性の中の事象として、
自らもまた抽象的に存在を自己認識できる場所として機能していた。
己が死を迎えたとしても、その家の連綿の中で、継続していく形が具体的にあった。
先祖があり、子孫がある中で、
自分一個を対象化して考えさせる、そういう場所が
家の中には存在していた。・・・ってまぁ、飛躍しすぎかなぁ(笑)

この家はツーバイフォー。
ちょっとインターナショナルなんだけど、
そういう部分も、なんとなく感じられた住宅見学でした。
コメント
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