三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

【古絵画から建築のオドロキを追体験する】

2019年08月22日 08時07分09秒 | Weblog
ブログ執筆を通して自分の興味分野を再度、探訪しています。
デジタルデータに残っている取材「写真類」は膨大で
とりあえずはその写真データの点検、チェックから徐々に進めている。
おおまかに時間経過、探訪年順に整理整頓しようとしていますが、
少なくとも18年分くらいあるので、
まことに膨大なチェックが必要です。たぶん写真店数は数万点はある。
お盆休みを利用して集中的に時間を掛けたのですが、
なんとその作業をしていると、パソコンに向かい続けるので
背中中央部に激痛が発生してしまった(泣)。
どうも猫背っぽく姿勢が固定されるので、カラダからの悲鳴でしょう。

人間は住宅というものをどう作ってきたのか、
その興味に即していろいろな取材をしてきていることが再確認できる。
いろいろな学究のみなさんの知見にも導かれながら、
具体的な「見える化」可能な表現を考え、手掘りしていく作業。
建築ジャーナリズムというようなものが、
わたしが選択した領域なのだと考えると、
きのうも書いたような建築工事現場の古絵画記録などに
非常に近縁感を持ってしまいます。
きのうはどちらも鎌倉期の春日権現験記と松崎天神縁起を見た。
春日大社には2度ほど見学に訪れている、その体験記憶も重ね、
建築取材というようなバーチャル「体験」を構築してみる。
あるいは青森の三内丸山にはそれこそ4−5回行っていますので
そういう具体的な空間記憶蓄積が濃厚にある。
空間の把握体験があることで、徐々に思惟が膨らんでいく。
木を加工するということの推移、経過、歴史のようなこと、
そうしたことが、非常に興味深くなってきています。

写真絵画は、江戸時代後期の「木挽」たちの仕事姿で、
葛飾北斎『富嶽三十六景』の「遠江山中」1830年ころ。
この絵は大鋸で太い原木から幾枚かの「板」を製材・木挽きしている。
材の上に乗って木挽きする人と、下から見上げながらの2人組。
この材をどうやって立てかけたかも興味津々だけれど、
板に製材加工する大変さに北斎も驚いていることが伝わってくる。
きっとコストも考えた職人としての技量向上から
なるべく用を足せるギリギリの薄さ、軽さを追求したように思える。
木の属性・性質を知って良さを際だたせることも考えただろう・・・
たしか、千葉県の歴史民俗博物館での展示でもこの大鋸による木挽きの
様子が大きくジオラマ展示されていました。
歴史発展は、技術の進化と拡散が同時進行したのでしょうから、
表面の政治史の裏側で、こうした技術革新が基盤を作ったという表現。
鎌倉期の図を見ていて、製材作業の様子にも気付いた次第。
「板」というものの製造の歴史というものに興味が深くなる。
鋸や工具がどのように進化して、工事現場がいかに変化してきたのか、
その結果から、工事のコストを推定して、
その歴史社会のなかで当該建築が占めていた重要度なども
大きく想像することが可能だろうと思います。
たぶんそれぞれの歴史年代の人々は、そうした建築に「驚かされた」。
そのオドロキをしっかりとジャーナリズム的に再構築したくなるのです。
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