私の2師匠の一人である前岡先生に以前からずっと勧められていた
押見先生の研修会に参加してきた。
このセミナー 卒後5年目程度の歯科医が対象のセミナーであるが
卒後17年目の私は、自分自身の臨床の再確認と整理をしたくて参加したが、
結論からいえば参加してよかった。
自分の臨床哲学が間違っていなかったということ。
この押見先生の会は、インプラント治療がどうこう、
アカデミックなペリオ手技がどうこう、咬合がどうこうという
そんな今はやりの研修会でなく、とにかく地味である。
しかし、この地味な内容が重要であり、もっとも医療の根源と
すべきものである。
西川洋二、前岡一夫に師事した私は、この研修会においても
このお二人の臨床哲学についていったことが正しかったと
あらためて思う次第である。
来月も一の会があるが、その時はプレゼンをしなければならない。
西川流臨床を一の会でプレゼンしたいと考える。
押見先生の研修会に参加してきた。
このセミナー 卒後5年目程度の歯科医が対象のセミナーであるが
卒後17年目の私は、自分自身の臨床の再確認と整理をしたくて参加したが、
結論からいえば参加してよかった。
自分の臨床哲学が間違っていなかったということ。
この押見先生の会は、インプラント治療がどうこう、
アカデミックなペリオ手技がどうこう、咬合がどうこうという
そんな今はやりの研修会でなく、とにかく地味である。
しかし、この地味な内容が重要であり、もっとも医療の根源と
すべきものである。
西川洋二、前岡一夫に師事した私は、この研修会においても
このお二人の臨床哲学についていったことが正しかったと
あらためて思う次第である。
来月も一の会があるが、その時はプレゼンをしなければならない。
西川流臨床を一の会でプレゼンしたいと考える。