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『あるがままを受け入れ、決してそれを評価しないこと』(クリシュナムーティ)
自分の目で見て確かめたことだけを書いた『昆虫記』(ファーブル)
同様のスタンスをとった「種の起源」(ダーウィン)
彼らは、自分の考えを決して法則や理論によってまとめたり単純化したりしなかった。
何より「観察」であると。
我々歯科医がそうあろうとするとどうなるのか。
臨床で起こっている事実をつぶさに観察することで大事なことは学べる。
それゆえ「適応症」、「予知性」と称して医療者としての
保身となる線を可能な限り引かないこと。
出来る限り歯を残したいということを患者が真に望むならそれに無限の努力をすること。
このことは何の保障もないので悩むこともあるが、
そこに臨床医としての面白さ、楽しさ、進歩があるのだ。
そういう姿勢でいれば、万一上手くいかなくてもそれがトラブルになることはまずない。
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このエッセイは西東京市開業の押見一先生の書いたものである。
昨今の歯科界への警鐘であるこのお話。素晴らしい考え方である。
欠損があるから、予知性が乏しいから歯を抜いてインプラントだの、
アンチエイジングを考えた審美治療だの、
金属アレルギーを予防するために、やれメタルフリーだの、
全ては医療側の利得からくる保身の表れではないだろうか。
例えば金属アレルギーを予防するためにっていっても本当に金属アレルギーが
ある患者ならまだしも、来る患者すべてにそんな話をしても、
歯科の歴史をみると問題とされている金属修復を何十年も口に入れてる人で
健康極まりない人は数え切れない程いる。
我々臨床家の使命とは、線引きをしない歯科治療であり、
個々の患者においての生体のあるがままの状態を受け入れ、
その中で歯をできる限り少しでも長く残す努力をすることである。
それは洗練された地味な基本手技の集合体によってのみもたらされる。
私は地味な医療こそ本来の医療であると信じてやまない。
押見先生の名言には他にも、
「名刺交換?必要ないよ。先生の症例を見たい。レントゲンだけでも
先生の臨床に対する姿勢や性格、すべてがみえるもんだよ。」 と、
特に押見先生はレントゲン画像にこだわっている。
術前術後のレントゲン写真だけでもその治療の流れや質や難易度などは
見えてくるからである。
ちなみに提示する2症例、術前術後のレントゲン画像所見だけでもプレゼンはできる。