学術の世界において、症例発表の意義と本質とは…
自分たちの臨床において、自分が現時点まで研鑽した中で
一生懸命考え処置した内容に関して、事実を自分なりにまとめた内容を
皆の前で発表するという形が本来のものである。
そして事実をもとに報告した内容において、
明らかに間違った見解であると指摘された場合はその事実を認め、
糧としなければならない。
しかし時には予演会などで、上記のように間違った内容があった場合、
本番のために、体裁をつくろうために、まちがってた事実を改変し、
隠したりすることを当然のように平気でする演者もいる。
自身に誇りがあるなら、周囲の人の助言に感化されることなく、
自分の中で自信をもって納得ができるようなプレゼンができるまで
臨床治療で切磋琢磨すればいいだけの話である。何も焦る必要などない。
特に若手は、症例発表において、自分のためにこの姿勢は培うべきである。
そして優劣や選考といった評価をしなければならない場においては
評価する側は、考慮するべき点の基準を明確にするべきであり、
明確にその理由を述べるべきである。
(症例に対する術者の考えと内容を討論し判断基準の一つとするべきである)
このことは名誉や体裁、誇示にこだわってる残念な人たちにはわからないと思うが、
裏打ちされた努力の根拠がなければ虚しいだけである。
私のスタディーグループのメンバーには、学術の世界に身を置くなら、
日常臨床で記録を追って、頑張って取り組んでいる多くの症例の中から
症例の事実をもとにまとめた内容にすること
(自分が本当によく考えた内容なら自然に理路整然と構成されるはず)を
絶対的に守ってもらうよう徹底している。
今回のこの話、何でこんなこと書いたか、
わかる人にしかわからないグレーな話w