本格的な船体整備を行っていた帆船海王丸は7日、約3カ月ぶりに射水市の海王丸パークに戻ってきました。青空の下、「海の貴婦人」と称される姿を披露しました。
(1930年に造られた海王丸は、建造から82年がたち損傷が目立っていたため、管理する伏木富山港・海王丸財団が整備を決定。昨年11月末から新日本海重工業のドックで、外板に開いた穴の補修、船体の塗装などの工事が行われていた。)
9時半ごろ岩瀬のドックを出発、3隻のタグボートに引かれた海王丸が午後1時15分ごろ、約15キロ離れた同パークに到着。200人以上の見物客が出迎えました。
お迎えに行ってきました。後ろ向きに入ってきました。
向きを変えて、新湊大橋の二本の主塔をバックに。
船上で指揮を取る責任者は、<ドックマスター>と言われる人ですって←過ってのマドロスさんのナ同期のMさんに教えてもらいました。
船幅13m 係留場所の入口の幅が16m 両側2本のロープを巻き上げながらゆっくり引っ張ります。
半分ほど入るのに2時間近くかかりました。カモメも歓迎!
斎藤重信船長は「船が100歳を超えても機能できるよう、十分な整備ができた。一般公開(20日)などで多くの人に触れてもらいたい」とニュースで話しておられました。
ところで、今日は22.5℃と、五月下旬の陽気になりました。
富山湾で、<ホタルイカの身投げ>?が昨日の朝行われた写真を、先ほどのMさんの写真です(使用の了解を得ました)
昨年より20日ほど早いとか。4月いっぱいの新月頃の暖かい風の吹く夜から明け方にかけてみられます。
富山湾の春の風物詩「ホタルイカの身投げ 」: この頃、ホタルイカは産卵のため岸に接近しようと浮上してきます、海が満潮を迎えるころ、月明かりがない新月の夜は水面の高さがわからなくなり、波にさらわれ浜辺に打ち上げられてしまいます。いつしかこの現象が「身投げ」と呼ばれるようになり、今生の別れを告げるがごとく放たれた青い光が、海岸を幻想的に彩ります……
(1930年に造られた海王丸は、建造から82年がたち損傷が目立っていたため、管理する伏木富山港・海王丸財団が整備を決定。昨年11月末から新日本海重工業のドックで、外板に開いた穴の補修、船体の塗装などの工事が行われていた。)
9時半ごろ岩瀬のドックを出発、3隻のタグボートに引かれた海王丸が午後1時15分ごろ、約15キロ離れた同パークに到着。200人以上の見物客が出迎えました。
お迎えに行ってきました。後ろ向きに入ってきました。
向きを変えて、新湊大橋の二本の主塔をバックに。
船上で指揮を取る責任者は、<ドックマスター>と言われる人ですって←過ってのマドロスさんのナ同期のMさんに教えてもらいました。
船幅13m 係留場所の入口の幅が16m 両側2本のロープを巻き上げながらゆっくり引っ張ります。
半分ほど入るのに2時間近くかかりました。カモメも歓迎!
斎藤重信船長は「船が100歳を超えても機能できるよう、十分な整備ができた。一般公開(20日)などで多くの人に触れてもらいたい」とニュースで話しておられました。
ところで、今日は22.5℃と、五月下旬の陽気になりました。
富山湾で、<ホタルイカの身投げ>?が昨日の朝行われた写真を、先ほどのMさんの写真です(使用の了解を得ました)
昨年より20日ほど早いとか。4月いっぱいの新月頃の暖かい風の吹く夜から明け方にかけてみられます。
富山湾の春の風物詩「ホタルイカの身投げ 」: この頃、ホタルイカは産卵のため岸に接近しようと浮上してきます、海が満潮を迎えるころ、月明かりがない新月の夜は水面の高さがわからなくなり、波にさらわれ浜辺に打ち上げられてしまいます。いつしかこの現象が「身投げ」と呼ばれるようになり、今生の別れを告げるがごとく放たれた青い光が、海岸を幻想的に彩ります……