一昨年はイエスのクリス・スクワイアー、昨年はEL&Pのキース・エマーソンとグレッグ・レイクと、往年のプログレバンドの重鎮が死去した。そして、先月末にはジョン・ウエットンの突然の訃報が、、、クリスもグレッグもジョンも皆60歳代。まだまだ音楽活動ができただろうに、本当に残念でならない。ウエットン氏については、キング・クリムゾンへの加入が一番印象に残るが、その後もロキシー・ミュージックやユーライア・ヒープ、ウィッシュボーン・アッシュなどにも参加し、プログレのみならずロック・ミュージック全般にわたり存在感を示した。最近でもスティーブ・ハケット・バンドへのゲスト参加、そしてエディ・ジョブソンとのU.K.再現ライブでの活躍などは先月のこのブログでも紹介したばかり。1月11日の本人の声明では、2月のCruise to the Edge(クルーズ船でのロック・フェスティバル)と3~4月に北米で開催するジャーニーとのジョイント・ツアーに治療に専念するため参加を断念したこと、その代役は仲間のビリー・シャーウッドが行うこと、年の後半のエイジアのステージには必ずカムバックを果たすことなどが盛り込まれていた。(http://www.johnwetton.com/より。写真も)私としても先月の当ブログにてU.K.来日時のジョンの勇姿に思いを馳せたばかりだったので、少なからずショックである。心より冥福を祈ります。
注目したのはジョブソン記載による全曲の解説である。まず、バンド結成当時はヤマハ初のシンセサイザーCS80のサウンドに触発され愛用していたことが随所の記述でわかる。79年の日本公演でもメインに使っていた。次に、「憂国の四士」収録の「ソーホーの夜」「瞑想療法」の2曲はライブで演奏するのが難しい曲で、オリジナル・ラインアップで演奏されたことは一度もなかったとのこと。特に後者は今後の演奏もあり得ないが、今回の披露に対しメンバーは良くやってくれた、と記載している。テクニシャンの集まったスパーバンドでもそうした難曲があったことを面白く思った。もうひとつは、「デンジャー・マネー」のNOTHING TO LOSE。「これはエイジアの初ヒット作だったか?ジョンはその後この手の曲をたくさん作り…この曲のおかげで自分は今後何をしたくないのかがはっきりわかった。」と明確に言っている。つまりポップな路線をジョブソンは好まなかったということなのだろう。私もその後生まれたスパーバンド「エイジア」のアルバムをあまり好きにはなれなかった。非常に共感できる部分だった。
UK UK UK UK…!延々とわき起こる冒頭のU.K.コール。これはライブの主催者側がアーティスト登場前に観客に依頼し発生したものだ。国内盤ライブアルバムNIGHT AFTER NIGHTの解説にも述べられている。ということはそれを書いた川上史郎氏はその時その会場にいたに違いない。そして私自身もそうだった。U.K.の日本公演は今まで私が見た中で間違いなく最高のライブのひとつであった。
さて、冒頭の話しだ。私達が行った2公演(79年5月30日中野サンプラザ、6月4日日本青年館)とも公演前に主催者がステージに登場し、本日の公演はライブ録音されますと宣言した。当然のことながら観客は大喜びである。そこで求められたのがU.K.コール。後日日の目を見たライブアルバムには私と友人の声も含まれているはずだ。そしてライブのオープニング曲はDANGER MONEY。このイントロが凄かった。ジョン・ウェットンの弾く(踏む)Moog Taurus Bass Pedal(ジェネシスでもおなじみ)の重低音が座席にまで響いて来たのである。それは椅子が震えるほどだったと記憶している。初めて聞くボジオの重たいドラミングも印象的だった。40年近く過ぎた今でも強烈な印象を忘れていないその曲は残念ながらアルバムには収録されていない。そこで後年西新宿に多くあったブートレッグの専門店で当時の日本公演の海賊版を探し求めた。今手元にはDANGER AFTER NIGHTという大阪での録音盤がある。比べると公式アルバムは多少のオーバーダビングを施しているかもしれないと思えるほど、サウンドは厚くて乱れがない。しかし当時実際に目にしたのは、たくさんのキーボードに囲まれて弾いたりヴァイオリンソロを奏でるジョブソンの勇姿、ウェットンの張りのあるヴォーカルと時おり伴奏楽器のようにも聞こえるベース・ギターさばき、そしてたくさんのタムとシンバルに囲まれ運動選手のように力強くたたきまくるボジオのドラムから成る迫力満点の素晴らしいステージだった。
本公演で初披露された新曲Night After Nightはイントロの難しそうなフレーズをジョブソンがいとも簡単に弾く驚きの曲だったし、4人編成だったファースト・アルバムの曲をどのように演奏するのかという興味もあり、本当に堪能したライブであった。その後定番となったウェットンの「キミタチ、サイコーダヨ」のフレーズもこの時が初出だったはず。
実はその当時、新生イエスがほぼ同時に新作90125をリリースし、私は1曲目Owner Of The Lonely Heartを聞いてその素晴らしさにぶっ飛んでしまった口なのである。友人からもジェネシスとイエスの新作、どっちが良い?と聞かれて即座に「イエス!」と答えたことをよく覚えている。ジェネシス・ファンを誇示してきた自分としては大変不本意な出来事であった。しかし、イエスの新作はギターがトレヴァー・ラヴィンに交代してサウンドがよりタイトになり、また収録されている曲も素晴らしく良かったから無理もないと思う。紛れもなくロックなアルバムであった。一方GENESISの方はMamaやHome By The Seaなどプログレぽい曲もあるが、That’s AllやB面のIllegal Alien 以下4曲はほぼポップな曲調でイエスの新作とは質が違うと、私としては煮えきれない思いで受け止めていたのが事実だ。当時ソロでフィル・コリンズは「恋はあせらず」をヒットさせていたという先入観もあったかもしれない。
しかし、それは当時の思いであり、今改めてこのアルバムを振り返ると、彼らの2度目の来日公演と印象が重なってくる。87年、インヴィジブル・タッチ・ツアーによる武道館ライヴのオープニングはMamaだった。メンバーの登場前からあのオートメーション工場のような独特のリズムが流れ、曲が始まるとフィルの独特の歌い回しとバリライトの動きによる絶妙のライティングで一気に彼らの世界に引き込まれた。それだけの力を持つ曲だったのである。Home By The Seaも縦横無尽に動くバリライトが効果的に使われ、曲の良さを引き出していた。ちなみに幽霊を扱ったこの曲の歌詞は初期の怪奇趣味を思い出させ、単なるポップ・ロック・バンドではないことを示している(と今思った)。自身のスタジオにてヒュー・パジャムをエンジニア兼共同プロデューサーに迎えて制作した最初のアルバムで、3人がセッションしながら創り上げた曲も多いと聞く。全曲のクレジットは3人の連名だ。メンバーのコンビネーションがひとつのアルバムを成したという意味でストレートにGENESISとアルバムを名付けたのだろう。
とりわけタイトル曲のAbacabとDodo/Lurkerの2曲はインストルメンタル部分もあり、プログレバンドとしてのジェネシスを感じさせる曲である。シンセソロが重厚で歪んだ音色に変わっていて叙情性は薄れたが、テクノ風のリズムとノリが新鮮であった。しかし何と言っても特徴的なのがNo Reply At All でのホーンセクションの導入、Me and Sarah Janeのレゲエ・リズム、そしてニューウェイブ的なWho Dunit? やKeep It Darkなど新境地を拓いていることである。フィル・コリンズのソロ活動での成果がバンドに強くもたらされたという側面もあるだろうが、トニー・バンクスやマイク・ラザフォードの作曲への新たな一面が開花し、バンド・サウンドに化学反応を与えたと見たい。私はMe And…の中間以降の展開に彼ら特有の美しさを感じ、親しみやすいメロディとゲートリバーブのスネア音が印象的なWho…も大好きな曲である。前作同様英国1位となり、新たなジェネシス・ファンも得たのだろう、アメリカでも7位に入り、シングルカットも4曲されたそうだ。
曲においても徐々にポップ化路線を進行させている状況が感じられる。3から5分程度の短めでいわゆるシングルカットできそうな曲が全12曲中7曲ある。一方、従来のプログレ路線を踏襲した曲も併せ持つのがこのアルバムの特徴だ。オープニングの長尺のインストルメンタル・パートを含むBehind The LinesからDuchess 、Guide Vocal、変則拍子のTrun It On Againを間に挟み完全なインストルメンタルのDuke’s travels、 Duke’s Endへの流れはジェネシス・ファンとしては彼らの力量を再認識するに充分なものである。ジャケットの人物がDukeだとすればイラストとも連動しているのだろう。さらに、初来日時に贈られたと言われるローランドのリズム・マシーンを導入し、テクノ的要素が加わったことも見逃せない。これらを総合すると、新たにプログレ・ポップというジャンルで呼びたいほどの作品だ。当時プログレバンドを結成していた私はこのアルバムからの曲を演奏したいとメンバーに提案したものだ。結局採用したのはDuke’s Endのみだったが、この曲もBehind The LinesとTurn It On Againをミックスした、つまりアルバムの曲を再現した終曲でジェネシスらしい構成となっている。ちなみにジェネシスは2007年、ロンドンのウェンブリー・スタジアムで開催されたEarth Liveに登場したが、その時Behind The Linesの歌なしヴァージョンからDuke’s Endに繋がるメドレーを披露している。そのようなアレンジもなかなか良いなと思ったのでぜひ一聴を。(YouTubeサイトへリンク)
前回78年の来日記念EP盤を紹介したが、このアルバムはやはり来日記念盤として来日後の12月20日に発売された日本独自の2枚組ベスト盤である(日本フォノグラムSFX-10061~2)。TrespassからAnd Then There Were Threeまでのアルバムから選曲されている。事前の宣伝チラシには選曲をジェネシス自身が行ったこと、自叙伝をフィル・コリンズが書いていること、そして先着3万名のみ8ページから成るアルマンド・ガロ特撮のカラージェネシス・ストーリーが付属することが明記されていたのだが、結局フィルによる自叙伝は実現していなかったし、8ページのブックレットも写真集であった。私としては全てのアルバムを持っていたので改めて買うまでもなかったのだが、そのブックレットには魅力を感じたことと、やはりファン心理として出たものは手元に置きたいということで多少高価だったが購入した。
まず選曲についてはKnife ~ The Musical Box ~ Watcher Of The Skiesと、セカンドからの3アルバム代表曲がA面に並んでいる。これは妥当なところだろう。ところがB面にはSupper’s Readyが収められた。これによって他の曲が入る余地が時間的に制限され、結局「月影の騎士」や「幻惑のブロードウェイ」からは各1曲のみ。以下、「トリック・オブ・ザ・テイル」から3曲、「静寂の嵐」から2曲、最新の「そして3人が残った」から2曲という構成になっている。長尺の曲に代表曲が多いというジェネシスの実情からベストを構成するのは悩ましいことだろうが、時間的にはピーター・ゲイブリエル在籍時の曲の方が2面+1曲と長くなった。
ジャケットやブックレットのステージ写真が目を引く。鏡に反射した光がスモークの中で様々な方向に走っている。来日公演では厚生年金ホールや中野サンプラザという彼らにとっては小さめの会場だったため鏡は使われなかったが、もっと大きな会場だったらこうなっていたのかと、皆期待に胸が躍ったことだろう。そしてブックレットの中にはゲイブリエル在籍時代の、それも花や箱をかぶったパフォーマンス姿も取り入れており、なかなか楽しめる構成となっている。
その変化を感じた第一弾がAnd Then There Were Threeというバンドの状況をニヒルにタイトルに表した78年発表のアルバムだ。「そして3人でもやっていける」という状況において、ハケットの抜けたギター・パートをラザフォードがどのように穴埋めするのか期待は膨らんだ。しかし音色は似せた感じがしたが当然ながらハケット先生のような独特のフレーズは聞かれない。だから多少の違和感があったのは事実だ。さらに、キーボードについて言えば新たに導入されたYAMAHA CP80というエレクトリック・グランドピアノの独特の音がアルバム全体のサウンドを特徴付けているように思う。しかし曲は実にバラエティに富む。変則5拍子で始まるDown And Outは途中のシンセソロも含めて往年のジェネシスらしい一曲だが、ミステリアスな雰囲気のThe Lady Lies、物語風のSay It’s All Right Joe、などジャケットの暗い雰囲気を感じさせる曲から、ドラマチックなThe Burning Rope、そしてFollow You Follow Meのようなキャッチーなポップ・ソングなども。12弦ギターが使われ、UndertowやSnowboundは美しいバラードだが全体的に叙情性が少なくなり、短くポップな曲調が増えた。何せ3分台の曲が3曲もあるのだからプログレ一本道のジェネシスを期待した私は、本来ならこのアルバムは聞き流していたかもしれない。
当時大学生協ではレコードが2割引で売られていた。従ってこのアルバムも生協で購入し、手元にあるのは国内盤である。ジェネシスのアルバム・ジャケットにはイラストが用いられることが多いが、「幻惑のブロードウェイ」に続いて今回もヒプノシスによる写真ジャケットである。帯の色合いがそれにマッチしており、当時ジャケットのアート性を損なう気がして帯を取り外すことも多かった私だが、これはずっとそのままにしておいた。
併せて来日記念盤として3曲入りシングルがリリースされた。A面はアルバム収録のMany Too ManyだがB面には未収録の2曲(The Day The Light Went Out / Vancouver)がカップリングされており、それらを聞きたくて買ってしまった1枚である。
オープニングがSquonkなのは意外だった。もっと華々しく始められる曲があるだろうにと思ったが、実はこの曲結構最初からノれることに気がついた。スタジオ版ではフェードアウトだったがエンディングが加味されそれもカッコイイ。だからこの曲も自分のバンドでコピーをすることに(そしてこれも歌は難しかった!)。Cinema Showもエンディング付きになったが、逆にFirth Of Fifthはイントロなしの演奏。現在のハケット・バンドではこのイントロも完全再現しているが、当時の機材なら仕方がないのかも。これも我がバンドでイントロなしヴァージョンでコピー(ただし私のフルートは演奏)。The LambからMusical Boxへのメドレーもライブならでは。それはDance からLos Endosへの繋がりにも言える。この流れはその後定番化する。
中でも一番のハイライトはSupper’s Ready。この一曲を聴くだけでもこのライブ盤の価値はある、それほど素晴らしい演奏である。フィル・コリンズのヴォーカルも表現力豊かだが丁寧に歌い込んで安定感がある。支えるバックの演奏は完璧。サポート・ドラマーのチェスター・トンプソン(一部ビル・ブルフォード)の参加により、所々で聞くことのできるツイン・ドラムはこのライブの売りの一つで、それぞれの高度なテクニックで違った演奏を同時にきかせるところに凄さがあるのだが、この曲の後半部分、Apocalypse in 9/8 でのチェスター&フィルのコンビネーションが素晴らしく、スリリングなオルガンソロを盛り上げている。
ということで本作は申し分のない名ライブ盤である。これに彼らが力を入れていたジャケ写真のようなライティングが加わる場面を実際に見ることができたら、どんなに良かったかと思いを馳せたものだ。ところが、この後、確か初来日の時期だったと思うが、神奈川のローカル・テレビ局の音楽番組がこの時代のライブを放送したのである。ライティングも含め私はジェネシスの動く姿を初めて見て歓喜した。そしてその時フィルが身体全体を使って歌の表現をしていることに衝撃を受けた。そういえば、I Know What I Like でタンバリンをたたく音と聴衆の盛り上がりを聞くことができるが(インナーケースに写真も)、積極的なパフォーマンスを行っていたことを実感し、その後の自分のヴォーカル・スタイルの参考にしたものだ。
76年リリース。ジャケットの色合いのせいだろうか、全体的に地味な印象を与える本アルバムだが、収録された曲には名曲が多い。1曲目のEleventh Earl Of Marはプログレ・バンド少年のコピー魂を煽る要素満載で、実際私の学生時代のバンドもこの曲を演奏した。一番大変だったのはヴォーカルだろう。担当したのは私だ。何せキーが高くて声が出ない、物語を語る歌詞も長くて覚えづらいなど苦戦を強いられた。全く役割を果たせなかったが、他のメンバーの演奏力は凄かった。録音したテープを聴くと今でも鳥肌が立つ。話しがそれたが、この曲はジェネシスの78年初来日公演でオープニングを飾ったことも忘れられない。他にもフィル時代では初の物語風楽曲のAll In A Mouse’s Night、ハケットのナイロン・ギターとメロトロンが 夢見る気分にさせてくれるBlood On The Rooftops、 その後のライブの定番Afterglow 等の名曲が並ぶ。12弦ギターがバッキングでアルペジオを奏で空間的な広がりを感じさせるWot Gorilla? も好きで、ぜひバンドでやりたかった曲である。
さて、特に触れるべき曲がある。この時期に録音された Inside And Out である。これが実に良いのだ。アルバムには収録されず3曲入りEP盤としてリリース(写真はカナダ Atlantic EP1800 青色ディスク)された。前半の12弦ギターによるバラードは美しく、後半アップテンポに変わりシンセやギターソロが入るところもスリリングでカッコイイ。特にハケット先生のギタープレイは特筆に値する。当時のブートレグを聞くとライブでも演奏していたようだ。ジェネシスらしい曲でお勧めである。
「幻惑のブロードウェイ」は当時の混沌としたバンド状況の中で産まれたまさに奇跡のアルバムだったと私は確信する。しかしその後、ピーター・ゲイブリエルが脱退するというとてもショッキングな事態が発生し、その出来事を乗り越えて作られた A Trick Of The Tailもまた奇跡のアルバムであった。私自身もピーターという看板シンガーがやめた時点で、正直ジェネシスは終わったと思っていた。音楽評論家の立川直樹氏もこのアルバムの解説で「ピーターを失ったジェネシスはそのまま崩壊してしまうのではないかと思った」と述べている。当然期待しないで、つまり全く買うつもりもなく店頭でこのアルバムを試聴したのだが、2曲目が終わった時点でもう買うことに決めていた、それほど衝撃的(良い意味で)なアルバムだったのだ。その詳細についてはこちらで触れている。