私は中学生の頃、写真部に所属していた。写真を撮るだけではなく、フィルムの現像や暗室での焼き付けも行っていた。その作業がとても楽しかった。その時、私のカメラとして活躍してくれたのがこのキャノンのCanonetである。これは父が買ったものだったので調べてみると、1961年(昭和36年)発売とある。当時で2万円程度の価格だからかなり高級だったと思う。そして1週間分の台数がわずか2時間で完売しCanonetブームを引き起こした、ともある。かなりの人気商品だったのだろう。同じ部活にいた友人は、やはり父親から借りていたニコンの一眼レフを使っていたので少しうらやましい気がしたが、私はこのカメラで十分満足だった。
これを片手にいろいろな場所に撮影に行ったものだ。一番覚えているのは、近くにあった丘珠空港に部員と行って飛行機を撮影したことだ。空港ビルの外から中の飛行機を撮っていたら、パイロットらしい人が寄ってきて、飛行機を撮るならあっちの方に行ったらいいよ、飛んでる下の方から撮れるよと自衛隊の方を指さした。札幌の丘珠空港は自衛隊の管轄であるが、行って頼めば撮影可能だと教えられた。その言葉を信じて正門に行って申し出たら、内部とやり取りし始めなかなか入れてもらえない。何のために撮影するのかなど根掘り葉掘り聞かれ、何だか悪いことをしている気がして結局退散した。そんな重苦しい経験をしたのが初めてだったのでよく覚えている。
今もこのカメラはシャッターもきれるし、フィルムの巻き取り部分もスムーズに動く。だが一部ねじが外れているところもあり何とか修理したいと思う。父なき今、大切な形見のひとつである。
これを片手にいろいろな場所に撮影に行ったものだ。一番覚えているのは、近くにあった丘珠空港に部員と行って飛行機を撮影したことだ。空港ビルの外から中の飛行機を撮っていたら、パイロットらしい人が寄ってきて、飛行機を撮るならあっちの方に行ったらいいよ、飛んでる下の方から撮れるよと自衛隊の方を指さした。札幌の丘珠空港は自衛隊の管轄であるが、行って頼めば撮影可能だと教えられた。その言葉を信じて正門に行って申し出たら、内部とやり取りし始めなかなか入れてもらえない。何のために撮影するのかなど根掘り葉掘り聞かれ、何だか悪いことをしている気がして結局退散した。そんな重苦しい経験をしたのが初めてだったのでよく覚えている。
今もこのカメラはシャッターもきれるし、フィルムの巻き取り部分もスムーズに動く。だが一部ねじが外れているところもあり何とか修理したいと思う。父なき今、大切な形見のひとつである。