ヒロヒコの "My Treasure Box"

宅録、DAW、ギター、プログレ、ビートルズ、映画音楽など趣味の四方山話

最近収穫のレコード “MUSIC FROM MISSION: IMPOSSIBLE” 米国盤

2016年05月14日 | ミュージック
 狸小路の中古CDレコード店Fresh Airさんにて以前こちらで紹介した「スパイ大作戦」サントラのLP盤を見つけた。4曲入りEPは国内盤だがこちらは米国盤(Dot Records DLP25831)。収録されている曲はEP盤の4曲に加え全11曲。CDのMUSIC FROM MISSION: IMPOSSIBLEは22曲入りだったが、そちらはこのアルバムと後にパラマウント・レコードから発売された2枚目のLPを合わせたものだそうだ。

 そのCDの解説を読むと、本アルバムは最初にテレビ放送された時にリリースされたらしい。ということは66年頃の発売か?残念ながらジャケット、レーベルなどどこを見ても年代が表示されていない。しかし、一度針を落とすと、ラロ・シフリンによる軽快なジャズ・コンボ演奏が暖かなアナログ・サウンドで流れ、全く古さを感じさせない。加えて「チャーム作戦」「シナモン」の2曲では美しいストリングス・サウンドに酔うこともできる。GWの割引セール20%オフで購入したこともあり、大変良い買い物をすることができた。

 制作者Bruce Geller氏のライナーノーツに「なおこの演奏は自動的には消滅しないので、存分にお楽しみ頂きたい」との記載があるので、これから何度も楽しむことになりそうだ。

追悼!冨田勲:東映アニメ「ガリバーの宇宙旅行」米国盤サントラ??

2016年05月12日 | ミュージック
 子供の頃見た忘れられない映画がある。東映の「ガリバーの宇宙旅行」というアニメ映画である。昭和40年の制作とのことなので小学校の低学年の頃だろう、父に連れられて映画館で見た。あまりに面白くて、もう一度みたい!と駄々をこね、2回連続で見た記憶がある。父はさぞかし迷惑だったろう。そして今手元にDVDがあり、数十年ぶりに見直したが、やはり良くできている。ノスタルジックな想いが蘇ってくる。

 先日、札幌の中古レコード店が割引セールをしていたので行ってみた。サントラのコーナーを物色していると、このガリバーの宇宙旅行と全く同じイラストだが英文字のLPを見つけた。Gulliver’s Travels Beyond The Moonというタイトルで英語版が存在するようだ。これは珍しいと思って迷わず購入。当時、東映のアニメがアメリカに輸出されていたということなのだろう。早速聴いてみると、サントラと称しているが音楽は英語版用にすべて差し替えられて別物。実は日本版オリジナルでの音楽を担当しているのが冨田勲である。英語版サントラには彼の名前は全く記載されておらず、代わりにMusic & Lyrics by MILTON & ANNE DELUGGとの表記が。同じ楽曲を用いて歌詞だけ母国語に置き換えるという場合もあるのだろうが、この作品については冨田氏の素晴らしい音楽が一切使われていない。何とも残念なことである。

 冨田勲と言えば、「ジャングル大帝」や「リボンの騎士」のゴージャスな音楽は大好きだったし、何と言ってもシンセサイザーで作り上げたドビュッシー作品集は衝撃的だった。今でもその作品と「惑星」の4チャンネル・サラウンドCDをよく聴く。「展覧会の絵」や「火の鳥」などの選曲も、ELPやイエスとつながりプログレ好きのロック少年を充分惹きつけるものであった。

 という記事を書いていたら、何と冨田氏の訃報が届いた。この5日に突然倒れ、帰らぬ人となってしまったのである。やりかけの仕事もあったそうだが、3月にリリースされていたアルバムが「オホーツク幻想」というタイトルで、私がこの3月まで住んでいた地域もオホーツク。勝手に親近感を感じながら、日本を代表する音楽家の逝去に心から哀悼の意を表すものである。

追悼!キース・エマーソンとジョージ・マーティン~その2

2016年05月09日 | ザ・ビートルズ
 ジョージ・マーティンが第5のビートルズと言われていた人物なのはここで触れるまでもない。3月9日に亡くなった時、もう90歳だったとのこと。そして、彼について4月13日付け北海道新聞が大きく取り上げている。和久井光司氏の追悼寄稿文に加え、マーティン氏と北海道の関わりについて述べられている。

 それによるとビートルズのプロデュース以外にプロデューサーやエンジニアを派遣する会社AIRを設立し、その後カリブ海の島にAIRスタジオを創設するなど経営者としての手腕を発揮した彼は、実は北海道とも大きな関わりがあった。AIRスタジオが89年にハリケーンにより被害を受け閉鎖に追い込まれ、その時無事だった機材一式がマーティン氏の手により札幌南区の芸術の森に建てられた「ファンハウス札幌スタジオ」に提供されたのである。スタジオの内装に用いられた寒冷地の松や札幌軟石の効果で「バランスが最高だ」とも語っていたそう。完成したスタジオに実際にマーティン氏も訪問していたのだ。この事実はこの記事を読むまで知らなかった。5人目のビートルズが札幌の地を踏んでいた、ファンとしてはとても喜ばしいことだ。そしてこのスタジオは今「芸森スタジオ」と変わり、昨年10月にここでも紹介した大貫妙子&小松亮太のアルバムTINTなど名作が録音されている。あのアルバムもとても音がよい感じがした。なるほど、そういうことだったのか、と妙に納得した私である。亡きジョージ・マーティン、札幌の音楽文化に多大に貢献してくれた。ありがとう、ジョージ!

 以上、二人の音楽偉人を追悼し、次の話題に触れようと準備していたら、まさにその人の訃報が届いた。冨田勲氏が亡くなったのである…。


追悼!キース・エマーソンとジョージ・マーティン~その1

2016年05月08日 | プログレ
 この度転勤のため11回目の引っ越しとなり、その対応で本ブログも2月の書き込み以来長らく中断していた。この間音楽関係で私にとっての二人の偉人が相次いで亡くなってしまった。キース・エマーソンとジョージ・マーティンである。

 エマーソン・レイク&パーマーは私をプログレ好きにしてくれたバンドのひとつである。当時、初来日の来日記念盤としてリリースされたアルバム「トリロジー」がよくラジオでかかっていて、それが初めて買ったELPのアルバムだった。もちろん、その後ファースト・アルバムや「タルカス」「展覧会の絵」も何度も聴いたものだ。そして、中学3年生の頃だったか、NHKテレビで彼らのライブが放映され、初めて動く彼らを目にして大興奮したものだった。その時のエマーソンは「石をとれ」の流麗なピアノを弾く一方、オルガンの上に載ったりナイフを鍵盤に刺したり、モーグのコントローラーを股間に擦りつけたりと、私にとってはかなり衝撃的な映像であった。ELP以外では後年アニメ映画「幻魔大戦」のサントラをエマーソンが担当し、とても印象深い良い作品だった。地味な存在であった鍵盤楽器奏者に存在感を与えパフォーマーとして一流だったが、コンポーザーとしても素晴らしい作品を産み出していたと思う。

 4月に来日予定だったそうだが、報道のとおり自殺だったとしたらあまりに残念である。71歳、まだまだ活躍してほしかった。キーボード奏者としてプログレの表舞台に立った第一人者キース・エマーソン、憧れのプレーヤーがまた一人旅立った。3月10日のことだった。ありがとう、キース!