3月6日にここに書いたのだが、自分が以前行ったコンサートなどのチケットがどこかにあったはずということで探してみた。自分でも忘れていたが、実は写真用のアルバムに張って保管していたのだ。家内がそれを捨てようとしているのを間一髪間に合い阻止した。男はこのように昔のものを律儀に集めてなかなか捨てられない習性があるようで、私もその類に入る。どうもそこのところは、女性陣には理解できないようである(30日放映の「さんま御殿」でそのようなやり取りがなされていた)。
久しぶりにそのコレクション?を紐解いてみると、人生において最初に出向いたロックコンサートは、1975年8月3日(日)開催のWorld Rock Festival、札幌真駒内屋内競技場であった。このフェスは東京、名古屋、京都、仙台でも開催されたのだが、最初の札幌公演の出演者は、内田裕也と1815ロックンロールバンド、ニューヨーク・ドールズ、クリエイション、フェリックス・パパラルディーwithジョー、四人囃子、コスモス・ファクトリー、カルメンマキ&オズ、そしてメインはジェフ・ベックグループ。JBGは当時Blow By Blow の頃で私も大好きなアルバムだったのでやはり彼が最大のお目当てであった。そもそも外タレ(死語?)なぞ直に見たことがなかったのである。しかし、プログレ好き少年の私は、四人囃子、コスモス・ファクトリーもかなり楽しみにしていた。
このフェスにはいくつかの思い出がある。①コンサートの途中で「先ほどジェフベックの乗った飛行機が羽田(?)から飛び立ちました。」とのアナウンスが入ったこと。みんな、ワァーと歓声を上げたが、私は、え、まだ北海道に来てなかったの!?と驚いた。一緒に行った友人もそう思ったらしい。ついでに、千歳に着いた時もアナウンスがあり、それをきっかけに客は興奮状態に。②期待した四人囃子の演奏が予想以上に良くなかったこと。PAの状態が不調だったのと、プログレサウンドの要、メロトロンが鳴らなかった(らしい)。後のインタビューでそのようなことをメンバーが語っていた記憶がある。
③私はアリーナ席の端の方の席だったのだが、ふと気がつくとすぐそばにカルメン・マキが出てきてこっそり他のアーティストの演奏を聴いているではないか。悪いとは思ったがすぐ近くに行ってパンフレットにサインを頼んだ。確か快く引き受けてくれたと思う。だが、それに気がついた他の客が次々やってきてサインをせがむものだからマキさん、早々に退散してしまった。そして、その後、今度はニューヨーク・ドールズのメンバーが二人ほど登場し、やはりサインを頼んだ。一人はグループ名を、もう一人は変な記号のようなものを書いてくれた。(写真)④とうとうベックの登場という時、観客が一斉にステージ前になだれ込んだ。その中に私もいた。実はその日すでに誰かの演奏時に同じような状況が発生し、その時は係員に皆戻されていた。しかし、今度ばかりは誰一人それに従わない。結局最後までその状態のまま、ベックのステージは進行した。当時は安全対策がまだ十分ではなかったのだろう、その数年後、あの札幌のレインボーのコンサートでの悲劇が発生してしまい、当然ながら規制が厳しくなった。そう考えると、あの時私は怪我もなくよく無事だったなと思う。友人は着ていたシャツが少し破れていた。しかし、そのために10メートル程度の至近距離でジェフ・ベックの勇姿を見ることができたのだ。
ちなみに当時のチケット代は、前売りS席2,800円であった。
久しぶりにそのコレクション?を紐解いてみると、人生において最初に出向いたロックコンサートは、1975年8月3日(日)開催のWorld Rock Festival、札幌真駒内屋内競技場であった。このフェスは東京、名古屋、京都、仙台でも開催されたのだが、最初の札幌公演の出演者は、内田裕也と1815ロックンロールバンド、ニューヨーク・ドールズ、クリエイション、フェリックス・パパラルディーwithジョー、四人囃子、コスモス・ファクトリー、カルメンマキ&オズ、そしてメインはジェフ・ベックグループ。JBGは当時Blow By Blow の頃で私も大好きなアルバムだったのでやはり彼が最大のお目当てであった。そもそも外タレ(死語?)なぞ直に見たことがなかったのである。しかし、プログレ好き少年の私は、四人囃子、コスモス・ファクトリーもかなり楽しみにしていた。
このフェスにはいくつかの思い出がある。①コンサートの途中で「先ほどジェフベックの乗った飛行機が羽田(?)から飛び立ちました。」とのアナウンスが入ったこと。みんな、ワァーと歓声を上げたが、私は、え、まだ北海道に来てなかったの!?と驚いた。一緒に行った友人もそう思ったらしい。ついでに、千歳に着いた時もアナウンスがあり、それをきっかけに客は興奮状態に。②期待した四人囃子の演奏が予想以上に良くなかったこと。PAの状態が不調だったのと、プログレサウンドの要、メロトロンが鳴らなかった(らしい)。後のインタビューでそのようなことをメンバーが語っていた記憶がある。
③私はアリーナ席の端の方の席だったのだが、ふと気がつくとすぐそばにカルメン・マキが出てきてこっそり他のアーティストの演奏を聴いているではないか。悪いとは思ったがすぐ近くに行ってパンフレットにサインを頼んだ。確か快く引き受けてくれたと思う。だが、それに気がついた他の客が次々やってきてサインをせがむものだからマキさん、早々に退散してしまった。そして、その後、今度はニューヨーク・ドールズのメンバーが二人ほど登場し、やはりサインを頼んだ。一人はグループ名を、もう一人は変な記号のようなものを書いてくれた。(写真)④とうとうベックの登場という時、観客が一斉にステージ前になだれ込んだ。その中に私もいた。実はその日すでに誰かの演奏時に同じような状況が発生し、その時は係員に皆戻されていた。しかし、今度ばかりは誰一人それに従わない。結局最後までその状態のまま、ベックのステージは進行した。当時は安全対策がまだ十分ではなかったのだろう、その数年後、あの札幌のレインボーのコンサートでの悲劇が発生してしまい、当然ながら規制が厳しくなった。そう考えると、あの時私は怪我もなくよく無事だったなと思う。友人は着ていたシャツが少し破れていた。しかし、そのために10メートル程度の至近距離でジェフ・ベックの勇姿を見ることができたのだ。
ちなみに当時のチケット代は、前売りS席2,800円であった。