イタリアの風に吹かれて ~con te partiro~

前世(かこ)から未来(いま)へと紡がれし時の記憶
あなたと交わした約束の欠片を辿る遥かなる愛しき旅

真心のこもったクリスマスプレゼント

2013年12月22日 11時24分52秒 | 感動

    朝9:30過ぎ、インターフォンの音に出てみると
           「お届け物です」の声。
   「お届け物??? 何か頼んでいたっけ???」

差出人を確かめると、いつもブログにお立ち寄り下さり
   そして作品を愛して下さるある方からでした。


          中を開けさせて頂くと・・・・
   淡い桜色の品のある包みがふわっと姿を出し、
小豆の絵と共に あずき処 京下鴨 宝泉堂、の文字が
           印刷されていました。
       そして、包装紙をそっと外すと・・・・・


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    素晴らしい書でかかれた お箱が顔を出し・・・・

    なんて 素晴らしい 美しい書なのでしょう・・・・
     この書をかいた方、どんな方なのかしら・・・・
   大好きです・・・・憧れます・・・・見惚れてします
     この書の たおやかさ 美しさ 気品・・・・
       ずっと、ずっと見ていたいほどです。
       私は昔から テレビ画面に出る書や、
         ポスターなどに書かれた書を
         いつも目で追ってしまいます。
         書がきっと好きなのでしょう。


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         そして、そして・・・・・・・

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賀茂葵の包みをあけてみると、ハート型をした水飴寒天が
       (氷砂糖のように白濁したかんじの)、
   しぼり豆 大豆の寿は、大粒の黒大豆が・・・・・
 いずれも、すぐにお抹茶と共に 美味しく頂きました。
       どちらも とても上品なお味でした。

      E美さん、いつも細やかなお心遣いを
          本当に有難うございます。

   今日という日にお届け下さったのも E美さんの
  温かなご配慮をヒシヒシと感じさせて頂いています。
     気にかけてくれる方がいるということは 
      何にもかえがたく 有難いことです

        おもいがけない、本当に嬉しい、
    クリスマスの贈り物を頂き 心は冬の寒さを
    一瞬 忘れてしまうほど ポカポカしています

 どうぞ、素敵なイヴ&クリスマスをお過ごしくださいね

      (ブログが先になってしまい恐縮ですが、
     この後、お礼のメールをさせて頂きます)

          心から 感謝を込めて

               SHOKO


Thank you very much indeed 

2013年12月22日 06時47分02秒 | 感動

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    2013年11月13日のブログにupした記事は
 「見えてきた真実(ほんとう)」というタイトルの書でした。

       それをfacebookでご覧下さった、
        大切なお友達の紗枝さんから、
      「譲って頂くことは可能ですか?」と 
         嬉しいご連絡を頂きました。

多才な紗枝さんはセルフインザユニバースの代表であり
    語学も堪能でいらっしゃり、国内外を問わず、
    多くの方々に求められる中、ミディアムとして
   大変素晴らしいご活躍をされていらっしゃいます。
  紗枝さんの素敵だな、と思う所は沢山ありますが
    元々備わっている素養を活かしながらも
    その才能におぼれたり 過信することなく、
  好奇心を持ち 色々なジャンルの書籍を読まれ、
日々真摯な姿勢で研鑽を積まれていらっしゃる所です。



    また、震災後は東北の地に定期的に赴かれ
      ボランティア活動をされていらっしゃる、
  思いやりに溢れる チャーミングで素晴らしい女性です

   今年始め、ボンティア活動のお話を頂きながらも
     自身のこれからが定まらず、手一杯であり 
     ご
遠慮させて頂いたのですが、いつの日か、
         紗枝さんとご一緒に東北の地で
     セッションをさせて頂けたらと思っています

    お仕事として その方に必要と思われる書を、
   インスピレーションで書かせて頂くようになってから、
  震災後、仮設住宅で暮らし、日々大変な状況の中、
   お目にかかったことのない 東北の皆さまから
書のご依頼を頂く事が多く身が引き締まる思いでした。

  書をお届けさせて頂いたあと、環境が整いにくい中、
 ご丁寧にメールで書のご感想や
感謝をお伝え下さり
 日々の暮らしについて そして今後について前向きに
  お話し下さろうとする皆様に胸がつまる思いでした。
 同時に力強く
明日を生きようと決意なさるお気持ちに 
       私の方が血の通った多くのものを
          受け取らせて頂きました

  また、今は亡き 愛猫ミーシャがある病ということを
   電話でお伝えした時、一度 会ったことのある
    ミーシャのことを「ミーシャちゃん可哀そう・・・」と
     もらい泣きしてくださり、そのあとすぐに、
    「shokoさん、私もミーシャちゃんの為に
祈らせて頂きますので pcにミーシャちゃんのお写真を
     送って貰えますか?」と、仰って下さり、
    1年に渡って 日々、祈って下さいました

 2012年12月27日、ミーシャが天に召されたその日、
   セッションで仙台に滞在してらした紗枝さんは、
     夜のセッションまでの数時間を宿泊先で
        仮眠をとられていたそうです。
  すると、黄金の光に包まれたミーシャが現れ、
 紗枝さんはハッとして目覚め、もしや・・・と思い
  私のブログを読み、やはりミーシャが天に召され
   ご挨拶にきてくれたと認識されたそうです。
 

        すばらしいご友人、お仲間に
囲まれていらっしゃる紗枝さんは、いい意味でお仕事や
  プライベートで ご多忙の日々をお過ごしなのですが
 そんな中、更に師走という忙しいさなかの12月20日、
ご自身の大切な聖域、ブログで素晴らしい言霊と共に 
    お気に召しご注文下さった「真実」の書を
            ご紹介下さいました。
   とても感動したことは、いうまでもありません

      冬至の今日、心からの感謝と共に、
   信頼のおけるミディアム紗枝さんのブログを
        ここにご紹介させて頂きます。

セルフインザユニバース代表 澤田紗枝さんのブログ
     
       ~ 輝く日々 光への旅路 ~


         どうぞ、ご覧くださいませ

( こちらのブログでは12月20日、「シンクロニシティ」
    というタイトルで書をご紹介下さっています。)

    紗枝さん今年も一杯 有難うございました。

        心からの感謝を込めて
           
             SHOKO

 

 

 


冬至を迎えおもうこと

2013年12月22日 03時42分37秒 | スピリチュアル

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  どこか夏至を彷彿とさせる作品ですが、
 冬至間際に大元から
 インスピレーションで受け取ったのは
    この模様であり、温かさや 南国を感じさせる 
  オレンジ色や赤色であり鮮やかな黄色い紙でした。
   (淡い黄色に写っていますが 実際の紙の色は
   鮮やかな濃い黄色です

   描き終えた作品を見ていた時 
   感じさせられたのは、

 【温かさを忘れずに大事に大きく育ててゆきましょう】
      
   でした。

   冬至の今日、思ったことがありました。

 様々な引き出しを持っているということは
 プラスにこそなれ
決して無駄になることはないと。
(私はそう思っています)

   誰しも 皆、 得手 不得手はあり、
   元々備わっていないものに思い悩み、固執して
    駄目だしをしてワナワナするよりも、
    自分の得意なこと、持ち味を伸ばし 
   育てることに重きを置くことは 
  とても大切と思います。
 けれど、同じくらいに
 大事にしたいなと思うのは
知らないからこそ
  学びたいと思う、学び続ける姿勢です。
    
この世の中には
 一生かかっても 私達が知りえない 
    莫大な真理、言霊、叡智、
    神秘が溢れていると思います。

 けれど、時々 
  あり余るほどの自信に満ち溢れた方の
  粗い 乱暴な言葉を見かける時、
   私はとても不思議に思い違和感を覚えます。

   「いいの。いいの。所詮、信じられるのは
自分だけなんだから、

自分が得意な事だけを
極めれば
 特別 困ることも 問題もないし、
  人の言っていることに

    イチイチ感化されるのなんてまっぴらごめん。
    耳にしたことも、目にしたことも 
   自分には関係ないし

   たまたまなんだし、得意なコト
   興味あるコトだけを

    及すればそれでいいジャン」という様な
    エナジーを醸し出す 強気な思いは、
    語弊があるかもしれませんが、
   お山の大将であり、
   井の中の蛙、大海を知らず を
     地で行くような気がして、
    どこか危うさを感じさせられます。

   どこそこの有名な先生の高い講義を
     受講することだけを学びというのか、
     と言えば 決してそうではなく、
     平凡に見える 日常生活の中にこそ
     沢山の大切なものごとが鏤められ 
     溢れていると思わされます。

   そして大切なことほど
       鮮やかな演出も煌びやかさもなくて
       なんのへんてつもない地味で淡々としている
       特別な顔をしてやってこない、
      そんな気がします。

       お友達から紹介された書籍にピン!ときたら
       あーでもない、こーでもないと 言い訳せずに
        素直にそれを手にして読むこともまた
       大事と思います。

      ( 情報が高い と言われる昨今、
           本来 自分では 知りえなかったことを 
       広い気持ちでシェアし、無償で報せ、教えてくれる人が
       いるということは有難し、と私はですが、
         常々そう思っています。)
  
     ドキュメンタリー映像や映画、DVDを観る事も、
   音楽を聴くことも etc・・・・
      心が豊かになる大事な感性の学びと思わされます。
    
      「どうせ、嘘ばかりだから」と、勝手に決めつけ
        「もするし漫画も読むけどは一切見ません」と、
      頑なに情報を遮断することに重きをおくのではなく、 
       「もしかしたら、私にとっての必要なことやヒントが
       そこにあるかもしれない」と、謙虚に心 開放して
      見聴きし手にしてみることは本当の意味で
      柔軟性のある素敵なコトの様に思うのです。
     見たもの、聞いたことが
      「自分に合わないな~、納得できないな~」
     と思ったら、それはただの情報として
      篩にかけ手放せばいいだけなので
   
      どんな時もそれを選び取る権利、そして自由は
       他でもない自分にあるのですから

     この世の中には 私達が知らないことは 
      それは それは 沢山あるという事を、
      先ず認識すること、素直にそれを認めることから、
      叡智という引き出しを 真摯に増やしたいと、
       魂は切望するような気がします。

    色々な方々が目にする場に顕す言葉も、
    その時々によって粗かったり、丁寧だったり、
    ジェットコースターのアップダウンの様に危うくうねり、
    一貫性のない状態だと どうしちゃったのだろう?
    どちらが本当?と思ってしまいます。

    特に相手の気持ちに寄り添うお仕事、
    言葉を伝えるお仕事をされている方は、
    言葉の重要性を認識し 意識され
     大切に
使われた方が宜しいかと思わされます

     妙な自信と無知故に必要のない余分な言葉や
      キツイ一言を無意識に相手に放ってはいませんか?
 
       神ではない私達は 間違いを沢山するけれど、
      相手を傷つけてしまった、また傷つけられた
      その苦い痛み、辛い傷みから、
      「もう二度と同じ過ちは繰り返すまい」と
     心
に誓い魂に刻むこともまた出来るのです。

     肝心なことほど目には見えないものですよね。
 
     満員電車に松葉杖をついている方がいらしたら
      心が反応し思いやりを持って自然に席を譲れても、
     人の心の中、抱えているもの、哀しみ、問題、
     繊細さなどは目に映らないからこそ分かりづらく
     だからこそ妙な自信を持って繊細な相手の心に
      余分な弊害を産ませてはならないと思うのです。

   私達は肉体を纏っているからこそ 
      言葉で確かめなければ何も分からないのです。

       多面的な相手の思いを100%正確に感じ取り、
     理解することなど出来はしないのです。

       知らないから、分からないからこそ聴く、
       確かめることは人間関係の中で
       最も重要なことのように思えてなりません。

      私は、です
が、言葉においても、
      知らないことがそれはそれは沢山あるからこそ
      日々調べ学んでいます。

       予備校時代先生の影響で歴史が好きになり、
        ある時代についてはチョッピリ詳しいですが、
       地図帳も持っていたので、小学生時代、
        確実に学んだ筈の地図なのですが、
        授業中寝てはいないのですが、
       空想でもしていたのか??? 
       恥ずかしながら大人になった今も地図、
        地理はチンプンカンプンで地図も苦手です。
         そう遠くないうちに子供用の日本地図を買い、
      それをマスターできたら世界地図も購入して
         勉強しようと本気で思っています。

       話が脱線してしまいましたが・・・・

        素敵な語彙を持ち、
          聴いていて心地よい表現をされる方、
         私の知りえない世界観をお持ちの方と
          やりとりをさせて頂く時、自身の心に、
         また新たな引き出しが増えたようで
         嬉しくて有難く思います。

        今年の4月末迄書をご注文頂いたお客様には、
      自身の鍛錬の意味もあり無償で
      霊査をさせて頂き、視せられたヴィジョン、
        感じさせられた言霊をお伝えさせて頂きました。
 
      ある時、一度だけお目にかかったことのある
     「初めまして」のご挨拶を交わした程度で
      お互いのプライベートをお話しすることもなかった
      ある方から数か月後、
ご自身とご主人分の書(2点)を
       ご注文を頂きました。お二人に必要と思われる書を
      それぞれ書いたのち、頂いたお名前と
       生年月日に集中していると、素晴らしい庭園と光景が
       視せられました。それは以前CMで見た事もあった
       京都のある場所と 思わされました。
        そのあとにもパーッと鮮やかな情景が視せられ、
       その場面でも京都であると強く感じさせられました。
       (私自身は京都には3度訪れた事がありました。)

       受け取った言葉をメモ書きしワードでA4 1枚に纏め、
      書と共にご送付しました。

       後日、ご丁寧にお礼のメールを頂きました。
       そこには京都とのご縁や京都がお好きであること
       などが綴られてあり答え合わせではないのですが
       「あぁ、そういう事だったのか」と、感慨深く
     読ませて頂きました。その時思ったことは、
          もし私が京都に詳しかったら視せられた庭園の名を
           お伝えさせて頂けたかもしれないということでした。

       人にはそれぞれ得意分野があるので、
       分からないこと、知らないことは勿論、
      分かりませんでいいのですが、知らないことを
         そのままにするのではなく知識として
       知っておいて損なことは無いように思うのです。
       分からないことは「別にいいや」ではなく、
       ふんぞりかえり そのままにせずに謙虚に調べたり、
       学んだりして引き出しを増やすということで
         自分も磨かれるように感じるのです。


音が飛ぶほど繰り返し聴きよく歌う曲

2013年12月21日 01時44分19秒 | 好きな音霊

石田純一さんの娘さんすみれさんが金スマで披露した
 懐かしの大好きな曲(今でもカラオケでよく歌う
ダイアナ・ロスの IF WE HOLD ON TOGETHERは、
 (当時タイムリーに見てはいないのですが)
1990年にヒットしたドラマ 「想い出にかわるまで」の
主題歌でした。繰り返し聞くうちに数あるcdの中で
初めて音が飛び最後は聴けなくなったcdでした

すみれさんの歌声に耳を澄まし、口ずさみ、
画面の日本語訳を追いながら 感慨深く
 胸が一杯になりました。

皆さまもよくご存じのように訳者によって
 日本語訳も微妙にニュアンスが異なりますが、
 金スマの画面に出ていた訳をそのままご紹介します ↓
  歌い手、作曲家が素晴らしいのは勿論の事、
 琴線に触れる歌詞を生み出される
   作詞家の方もまた 本当に素晴らしいなぁ~と
  改めて思いました。


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   ~ IF WE HOLD ON TOGETHER~

 日々のうつろいに心くじけそうになっても 
 どうか、自分を見失わないで

  遥かな道をここまで生きてきたのだから
   決してあきらめないで

  信じて生きていれば夢はきっと叶えられる
  素晴らしい未来がきっと待っているわ

  思いのままに生きて 信頼 希望 栄光

   あなたの信ずるものをどうか見失わないで
     
  力を合わせて困難に立ち向かえば
  夢はきっと生き続けるわ
           
  全てを越えていつか、
   永遠の高みへと いざなってくれる
  そこではきっと輝く雲が遥かにたなびいているわ
  二
人のために


  たとえ闇に閉ざされても 
   私達は輝く太陽を想う事ができる。

   漆黒の闇の中にあってさえ 
   心を暖かく照らす陽の光を感じられる
   全ての人に

   心を合わせて困難に立ち向かえば 
   決して絶えることのない夢が
   遥かな永遠へと誘ってくれる

  それは魂が到達しうる最高の高み
   輝く雲の波が果てしなく広がり
   二人を迎えてくれるわ


   曲を聴いた直後、
You Tubeでダイアナ・ロスの歌う
   IF WE HOLD ON TOGETHERを聴き、
      スーザン・ボイルの歌う 「夢破れて」や 
      (レ・ミゼ、ファンティーヌのナンバー)
    ポール・ポッソの歌う、「誰も寝てはならぬ」、
   セリーヌ・デュオンの「タイタニックのテーマ」、
      「To Love You More」、更に
  ケルテック・ウーマンの「You raise me up」を
    歌い、心あらわれました

    お正月明けすぐ日比谷シアター・クリエで開催される
ミュージカルの名曲が一流の役者さんにより
   繰り広げられる楽しみにしている
   コンサートがありますが今からテンションが上がります。


言葉に出してお願いをするということ

2013年12月20日 02時23分22秒 | 愛してやまないSHOKOさん

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何かお願いごとがあるとき、様々な相手のご事情で
 断られてしまうこともあるかもしれないけれど
「~をお願いできますか?」と言葉にすることは大切な気がします。

 産まれたての赤ちゃんが言葉を駆使し 
 思いを伝えられないのとは異なり

 言葉でコミュニケーションをはかれるようになったなら
 勇気はいるのかもしれないけれど、
 言葉にのせて伝えることは、
 大事なのではないかしら?と思うのです。

時々、核心には触れず何となくさわりだけ
 自分の思いをほのめかす方がいらっしゃいます。

 敏感な私は以前は
相手の欲していることに対して、
  相手からお願いをされる前に「~しましょうか?」と
 自ら提案することもありました。
 頼みづらかったのでしょう、
相手は嬉しそうに
「いいんですか?」と仰り、

(どんな時も先ず自分ありきなので
本当はあまり宜しくないのですが・・・・)

自分が本来優先にすること、すべきことを
後回しにしても、自分の意志と判断で

そちらを優先にして差し上げたことも多くありました。

 昔から不思議だなと思うこと、神秘的な世界について
知りたい、という思いがあり、
独学というほど素晴らしいものではありませんが

10代後半から20代前半にかけて
 こまめに書店に足を運び、色々な書籍を購入し、
 関心のある講義など受け自己探求を続けてきました。
    
 20代初頭、ある方から紹介頂き 
 のちに師匠となる方と出逢います。

数年前、信頼できるその師の元で世の中で不思議、
と言われる現象について科学的考察も含め
 学ぶ機会を頂きました。

どんな時も見放すことなく私達の魂の成長を
見守ってく下さるという守護霊と呼ばれる存在は
 わたしたちの生き方に口だしをしたり
  手出しすることはなく、
「~の方へ行き、~をしたらいいですよ」と
 教え 諭すこともまたなく、
 「~をしないと駄目ですよ」などと、
  断言することもなく 
 その人間の人生に影響を与えよう、
などということも一切なく、
 「聴かれなければ答えない」という立ち位置です。

  英国スピリチュアリズムを学問的にも 
 しっかりと学ぶ中でそうしたシンプルな
 「聴かれなければ答えない」という
  守護霊のありかたを知った時、
  心が大きく深く揺さぶられました。

  そうだった・・・・。

相手から聴かれ、言葉に出して
お願いをされたら
その時にはじめて
 を差し伸べればいいんだ、と気付かされました。

    以前 

「貴方はは痒い所に手が届きすぎるので
  気付かない、やらないくらいが丁度いい」
    
    と、伝えられたことがありましたが、
  地に足をつけスピリチュアリズムを学ぶ中で
   その意味がはたと分かりました。

   ◆◎◆◎◆◎◆◎◆◎◆◎◆◎◆◎◆◎◆◎◆◎◆

 
     先述した話しに戻りますが・・・・・

  相手にして欲しいことをちゃんと言葉にしないまま
   何となく自分の気持ちを「ほのめかす」というのは、
   そこに計算は働いていないかもしれませんが、
   それを察知した勘の良い相手のほうからいつも、
 「~しましょうか?」と言わせる流れになるというのは
    言わずして 人を動かすという、ある意味、
    高度なコントロールのような気がするのです。
 
 人に何かをして差し上げることは喜びでもあるので
   本質の部分では苦ではありませんが、
  困っている人の為には深く考えずフットワーク軽く、
   ホイホイ動いてしまう反面、自分はと言えば
  同じように人に甘えたり、
  気軽にお願いをするということは殆どありません。

  つい、相手の状況やあれやこれやを考えてしまい、
  「こんなことをお願いしたら悪いかな」など
   色々と思ってしまいます
  それでもどうしてもお願いしたい事がある場合は、
   相手に自分の思いを何となく ほのめかし、
  自分の思いを察知して貰おう、などという
   姑息な(?)ことはせず 
  ストレートに言葉にしてちゃんと相手の方に 
   自分の言葉でお願いをします。
  (お付き合いの深さにもよりますが)
  私のお願いに対し、割いて下さる
貴重な時間以外は極力負担をかけないよう
 例えば お願いした物を送って頂く際の
  封筒や切手、
    
お願いした物にかかる 備品などは、
   相手からは言いだしづらいと思われるので
     先にこちらから送るようにします。
    勿論、「いいですよォ~」と、言って下されば、
   感謝して受け、後日 ささやかな
    お礼をさせて頂きます。

  相手からお願いをされて はじめて動く
  ということは、
   聴かれなければ答えない】という 
   守護霊の立ち位置と
   どこか似ているように私には思えました。

 何でもかんでも察知して頼まれてもいないのに
  チャッチャカやりすぎてしまうということは、
  相手の今生のテーマが 
  【怖れず自分の思いを言葉にして相手に伝える】
  という学びだとしたら、その成長を
   奪ってしまうことにも なりかねないので、
  過ぎたるは及ばざるが如し、を念頭に
   最近は正式にお願いされるまでは
   ジッと待ち、むやみに動かないようにしています。
    様々感じ取ってしまうので中々難しいですが。