■ ビフォア・レース
雨は覚悟していたがまさか雪になるとは思わなかった。大みそかかクリスマスみたいにしんしんと雪が降り積もっている。わが目を疑った。
スタートは8:30だが荷物を預るリミットが8:05。ビッグハット近くの駐車場からだとスタート会場まで20分くらい。ウエアにゼッケンも付けて、会場では上着を脱いで靴をレース用に履き替える程度なので、雪を考慮して6時にホテルを出ることにした。
駐車場に入るのに多少並びはしたが想定の範囲内。
他の大会と比べてもストレスは少ない方だと思う。
しかし、雪はとどまるところなく降り続いていて、足元はひどい状態。シャトルバスの列に並ぶも先が思いやられた。
このシャトルバスのシステムは特筆すべきスムーズさだった。大型バスが次々とやってきて、満員になったら次々出発する。気をつけないといけないのは一番遠い駐車場からは会場まで小一時間かかるところもあるということくらい。
ただ、
選手以外の人は乗れないので、たとえばクルマ1台で家族一緒に応援にきてた場合なんかとても困るんじゃないかと思う。
バスから見える景色は4月も下旬のそれではない。道路は水浸し。歩道はかなり雪が積もっている。
会場に着いたがここでちょっとしたトラブル(忘れ物です)が発生。大会事務局に足を運んだりしてちょっと大変だった。
そんなこんなで時間に余裕もなくなってきて、その間も雪はまったくやむ気配がない。足元も視界も悪くて、晴れていれば問題ないようなスタート前の準備にも相当手間取る。
こういう大きな会場だとままあることだが、移動がおもいのほか大変だったりする。ましてやこの天候。更衣室まではかなり遠くて、荷物預け近くにとにかく移動して軒下を探したが、「ない」。
常連らしいランナーたちが主だったところは占拠しており、新参者の入る余地はない。
ここでも弱肉強食のルールは横行している。とくに、こう状況が悪いと、残念ながら他人の大変さまでおもんぱかる余裕がなくなるのはやむをえないところだろう。自分はそうなりたくないと思って注意してるつもりだが、たとえば自分の軒先を譲れるかと言えば、なかなか自信を持って答えられない。
やむなく、建物沿いの少しでも雪を避けられそうな場所を探して、まあほぼ雪に降られながら上着を脱ぎ、靴を履き替え、荷物を整理して預ける準備。とにかく寒くて、できるだけぎりぎりまで上着を着ていたかった。
大会運営サイドとしてはどうにもやりようもないのかもしれないが、やはり何がしかの工夫は欲しかった。もちろん、安全な運営のために関係者が努力されていることをこれっぽっちも疑うものではない。今回の運営は実際大変だったと思う。
荷物預けも広くて自分の番号を見つけるのが大変だった。これも天候のせいもあったと思う。なんとか時間ギリギリに預けて、スタート位置へ向かう。
■いよいよスタート
※コース前半(以下コース図は
長野マラソン公式HPからお借りしました)
雪はやむ気配なし。定刻通り8:30にスタート。気温はほぼ0℃。もともとコース幅があまり十分でない上に、雪でできた大きな水たまりが途中いくつもあって、いきなり集団がとまることが何度もあった。かなり危険だった。
最初の1㎞はほぼ渋滞。ラップは6'32。
5㎞くらいまでは、思うように走ることができなかった。少々我慢が足らず、ちょっと動きすぎたとあとから反省。
5㎞をすぎたあたりからようやくあまり苦労せずに走れるようになる。前半は市街地を走る。JRを超えて長野駅の北側へ行き、善光寺近くから昨夜歩いた参道の一部を通過。駅前を右折して再びJRを渡って、受付会場だったビッグハットへ。JRの跨線橋が最も高い地点となり、あとは折り返しとなるエムウェーブまで下り基調。
コース沿いはほぼ観客が途切れることなく熱い応援を送ってくれる。スタートからしばらくは長野市の中心街を走るので、ここはとりわけ元気をもらえる。
長野の応援は本当に素晴らしかった。みんなの顔が輝いていて、このレースを誇りに感じ、ランナーにも敬意を払い、なにより、このお祭を楽しんでいた。それがこちらにも伝わってくるから、走っていて、ハイタッチをしながら、あるいは声を返しながら、こちらもうれしくなる。
試走を一度しただけで、ほぼおろしたてのスカイセンサーはスタート前から水が入ってきていた。前半すでに水たまりにいくつも踏み入れざるを得ず、最初は気にして走っていたが、途中から
ええいままよ!気にせず走った(ほかにどんな方法があるだろう?)。
長野マラソンの給水は、それはもう完璧だった。2~3㎞ごとに給水所がある。十分な長さに十分な数のコップ。ゴミ箱の位置と数、表示(「最後のゴミ箱です」)、どれも的確だった。終盤いくつか飛ばしたが、取ろうと思ったところではほぼ問題なく給水を確保できた。寒い中、ありがとうございました。
エムウェーブの手前あたりだったろうか、ゲストランナーの
浅井えりこさんを見つけて、追い抜く際に「おつかれさまです」と声をかけたら、「頑張って走りましょう!」と返してくれた。思っていた以上に小さい。この身体で現役時代はあれほどの活躍をしたのか、と。
「LSDをキロ9分で走られるって本当ですか?」と聞いてみたかったが、先を急いだ。エムウェーブ付近もそれは賑やかな応援だったな。
エムウェーブをぐるっと回って再び五輪大橋まで登り基調となる。橋を越えるとすぐ中間点。そこから先は千曲川にかかる橋をいくつか渡ったりくぐったりと小さなアップダウンはあれど、まずまず走りやすいと踏んでいた。
だから五輪大橋までは無理せず抑えめに行く作戦だった。そのせいかどうか、結果的には30㎞すぎまで
4'50前後のラップであまりペースは上がらない。25㎞すぎまではほぼ4'50/㎞ペースを維持。
雪がやんだのは何時頃だったろうか?
当日の長野の気象情報を参照すると
降り続いていた雨は、深夜0:30にみぞれとなる。2:30には雪に変わった。3:00での強度は0なので、さほど激しい降りではない。みぞれになったり、また雪になったりしながら降り続いた。5:30時点では依然雪が降っていて水平視界は1㎞以内。以降11:10みぞれに変わるまで雪はしんしんと降りつづけた。スタート直後9:00の時点で強度は1となった。1というのは実はかなり激しい。
・降水量:瞬間の強度が1.0mm/h以上~3.0mm/h未満
・視界:おおよそ0.2km以上~1km未満
・降り方:数分間屋外に出ていると、着衣などに雪片が一面につき地面がほとんど見えない
というのが強度の判断基準だ。
その後、11:30には雨に変わっている。スタートから3時間。わたしは36~37㎞あたりを走っていた。一番きつかったあたりである。
スタート時の正確な気温は0.4℃。1度を超えたのが10:30、2度を超えたのが11:20。ちょうど雨に変わる頃だ。わたしがフィニッシュテープを切ったお昼頃には2.8℃。つまり
一日中寒かったというわけだ。
後半、とくに
川沿いなどではかなり風が強いと感じていたが、記録上も9時過ぎから瞬間最大風速が3mを超え
終始3~4mの最大風速で推移している。お昼までには5mを超える時もあった。
そんなわけで、湿度が高い以外は、気象条件的にはけっこう厳しかった。途中で空が明るくなってきたのでかぶっていた
ビニール袋を脱いでゴミ箱に捨てたのだが、あっという間にまた暗くなってきたり、びしょぬれの
手袋が冷たくて、絞って苦労して尻のポケットに入れたのだが、いっこうに気温があがらないようで素手ではやはり寒くて、ふたたび引っ張り出したり、最後まで天気の気まぐれに振り回されつづけた。
大転子痛のせいでろくな準備もできてなかったし、この天候だし、出走前からとても記録を狙えるような状態ではないなと思っていた。目標は完走してメダルをもらうことに切り替わっていた(ところがメダルがなかった!)。
5㎞までの混雑もあって、自分としては珍しいがスプリットは全然気にしてなかった。とはいえ、25㎞すぎラップが5秒ほどおちてきて、ついに31㎞すぎ、それなりに脚にも疲れが出てきてラップが
5分台に落ちた。取り戻そうと思い走っていたが距離を踏むごとに少しずつラップは落ちていった。ちょっと焦る。
ただ、もう大した坂もないし、止まってしまうほどの疲労とは感じていなかったし、とにかくねばってラスト何キロからならスパートできそうかと冷静に考えていた。
終盤土手に出ると風も強くなって、風よけも兼ねて目標にできるランナーを見つけては追う。
前を行くランナーの足首を見つめながら走る。実際、この方法はかなり効果的だと思う。大事なのは自分より少しだけペースの速いランナー(リズムが近いとなおいい)をうまく見つけることだ。
出した結論はラスト2㎞。力の出なくなってきた足にムチを打って、
最後の2㎞は死ぬ気で走った(つもり)。しばらくレースの予定もないし、この冬・春シーズンの集大成と思っていたので、準備不足なりに、全力を尽くすつもりだった。
結果、40~41㎞のラップが
4'57、41~42㎞が
4'47。最後の195mは
4'32/㎞のペースで駆け抜けた。自己ベストとはいかなかったが、ネットで
3時間30分切り。
全力疾走でゴールゲートをくぐった瞬間、川内ばりに倒れこみそうになって、息も絶え絶えな自分がいた。これほど追い込んだのも初めてかもしれない。もう、とにかく全力出し切ったという思いがしてタイム以上に達成感があった。
競技場の外へ出たら「
川内日本人初優勝」の見出しが踊る号外を配っていた。「やるなー」
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その3 アフターレース に続く