■ 美濃赤坂駅にて。
走り始めて1時間ちょっと。美濃赤坂駅に到着。

なかなか趣のある駅舎、駅名を掲げる看板に歴史を感じる。

駅の中もきれいに保たれている。列車の到着を待つ人は1人もいない。
どこからか何かをくちばしにくわえてツバメが一羽やってきて、天井近くにとりついた。

どこにも巣などはないようだ。やがてもう一羽がやってきて同じくとりついたが、距離を置いて違う面にとまった。わたしを警戒してかまもなく2羽とも外へ飛んでいってしまった。
無人のホーム。花壇はわりときれいに手入れがされていた。

一応終着駅。先はない。そういう駅の数はそう多くないだろうと思う。たいていはどこかへつながっているのだ。

「駅」「鉄道」というと、いまどき、村上春樹の最新小説「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」が思い浮かぶ。
駅はたくさんの人の人生と深くかかわる、毎日のように人が行き来する(今はともかく少なくとも以前はしていたろう)。駅にはその街の匂いや風景や住む人の心根が分かちがたく結びついてしまう。
この駅のたたずまいは、悪くない。
駅舎のすぐ前にあるトイレを借りた。新しくて清潔だった。このあたりを走るランナーは覚えていて損はない。
■ 赤坂宿も走る
駅から赤坂宿のメインストリート(旧中山道)まではもう目と鼻の先。距離にして300mほど。県道に復帰するとまもなく左に木製黒塗りの長い壁が続く。でかいお屋敷だ。右側には、まるで飛鳥時代を思い出させるような朱塗りの土壁。鮮やかな日本らしい赤(朱色)に目を奪われる。

いずれ中山道の宿場町として栄え、明治以降は金生山でもって富を得た富豪か名士の屋敷なのだろう。
旧中山道と突き当たった角に「赤坂宿」の碑があった。

初戦昔の宿場町。おもだった史跡を見てもあっという間だ。上の写真の左に見えるマップ。

さきほどの黒くて長い壁を持つお屋敷のほうは、観光地図にも案内のある矢橋家の屋敷だった。でかい。

せっかくなので、東の端にある赤坂港まで行ってから道を引き返して昼飯大塚古墳に向かうことにする。といってもここから300mほどだけど。
途中、赤坂宿本陣跡にも立ち寄る。ここも本当に「跡」しか残っていない。

右の黒い石には「和宮之碑」とある。小説やドラマなどにしばしば登場する和宮(考明天皇の異母妹。NHK大河ドラマ『八重の桜』で市川染五郎が演じていたのが考明天皇。公武合体のためのいわば人質として徳川家茂の御台所となるべく降嫁した)が嫁入りのため京都から江戸に向かう際に宿泊したのが赤坂宿で。その際、古い家屋や空き地などが見栄えが悪く畏れ多いとして建てなおされたそうで、「嫁入普請」と呼ばれ今もそのあとが残っている(鍵がかかっていた)。
この皇女和宮の降嫁の行列を再現する「中山道赤坂宿まつり」というのが秋に行われる。YouTubeにそのようすがアップされていて、この町の様子を見ることができるので、興味のある方はどうぞ。
第20回(2011年) 中山道赤坂宿まつり(皇女和宮行列)
赤坂港跡は親水公園になっていて、ほぼ昔の面影は残っていない。

ちょっとモダンな建物の資料館がある。

港とは関係ないが、道の反対側には古風な「火の見やぐら」がある。

正直に言うと、ちょっと拍子抜けがした。連休中にもかかわらず観光客はほぼいないのもやむをえまい。まあでも、これといった素晴らしい「見もの」がなくても、初めての場所に足を踏み入れるのは、それなりに面白くもある。まして歴史のある場所なら尚のこと。
すでに走り始めて1時間半が経過してしまった。見るべきところもさしてないので港で折り返して、少しスピードを上げて昼飯の古墳を目指す。

港から400~500m、右に妙法寺を過ぎてすぐ、子安神社へ向かう案内板がある。その同じ道を行くと、化石館、さらに「初こくぞう」とよばれる火渡りの護摩供養で有名なこくぞうさん(明星輪寺)にも行けるようだ。金生山の山頂にあり、なかなか急な坂道を登っていかなくてはならない。
子安神社まではわずか100m。化石館までは400mあまり。明星輪寺への行程はさすがに修行の道で1.2kmほどある。坂錬にはもってこいかもしれない。
ちなみに『化石館』も一度訪ねてみたいと思っていて、今日も時間があれば本当は寄ってみたかった。金生山は昔から化石の宝庫としても知られているのだ。
が、今日はどれもやめて、古墳への道をひた走る。
〉その4へ続く
走り始めて1時間ちょっと。美濃赤坂駅に到着。

なかなか趣のある駅舎、駅名を掲げる看板に歴史を感じる。

駅の中もきれいに保たれている。列車の到着を待つ人は1人もいない。
どこからか何かをくちばしにくわえてツバメが一羽やってきて、天井近くにとりついた。

どこにも巣などはないようだ。やがてもう一羽がやってきて同じくとりついたが、距離を置いて違う面にとまった。わたしを警戒してかまもなく2羽とも外へ飛んでいってしまった。
無人のホーム。花壇はわりときれいに手入れがされていた。

一応終着駅。先はない。そういう駅の数はそう多くないだろうと思う。たいていはどこかへつながっているのだ。

「駅」「鉄道」というと、いまどき、村上春樹の最新小説「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」が思い浮かぶ。
![]() | 色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 |
村上 春樹 | |
文藝春秋 |
駅はたくさんの人の人生と深くかかわる、毎日のように人が行き来する(今はともかく少なくとも以前はしていたろう)。駅にはその街の匂いや風景や住む人の心根が分かちがたく結びついてしまう。
この駅のたたずまいは、悪くない。
駅舎のすぐ前にあるトイレを借りた。新しくて清潔だった。このあたりを走るランナーは覚えていて損はない。
■ 赤坂宿も走る
駅から赤坂宿のメインストリート(旧中山道)まではもう目と鼻の先。距離にして300mほど。県道に復帰するとまもなく左に木製黒塗りの長い壁が続く。でかいお屋敷だ。右側には、まるで飛鳥時代を思い出させるような朱塗りの土壁。鮮やかな日本らしい赤(朱色)に目を奪われる。

いずれ中山道の宿場町として栄え、明治以降は金生山でもって富を得た富豪か名士の屋敷なのだろう。
旧中山道と突き当たった角に「赤坂宿」の碑があった。

初戦昔の宿場町。おもだった史跡を見てもあっという間だ。上の写真の左に見えるマップ。

さきほどの黒くて長い壁を持つお屋敷のほうは、観光地図にも案内のある矢橋家の屋敷だった。でかい。

せっかくなので、東の端にある赤坂港まで行ってから道を引き返して昼飯大塚古墳に向かうことにする。といってもここから300mほどだけど。
途中、赤坂宿本陣跡にも立ち寄る。ここも本当に「跡」しか残っていない。

右の黒い石には「和宮之碑」とある。小説やドラマなどにしばしば登場する和宮(考明天皇の異母妹。NHK大河ドラマ『八重の桜』で市川染五郎が演じていたのが考明天皇。公武合体のためのいわば人質として徳川家茂の御台所となるべく降嫁した)が嫁入りのため京都から江戸に向かう際に宿泊したのが赤坂宿で。その際、古い家屋や空き地などが見栄えが悪く畏れ多いとして建てなおされたそうで、「嫁入普請」と呼ばれ今もそのあとが残っている(鍵がかかっていた)。
この皇女和宮の降嫁の行列を再現する「中山道赤坂宿まつり」というのが秋に行われる。YouTubeにそのようすがアップされていて、この町の様子を見ることができるので、興味のある方はどうぞ。
第20回(2011年) 中山道赤坂宿まつり(皇女和宮行列)
赤坂港跡は親水公園になっていて、ほぼ昔の面影は残っていない。

ちょっとモダンな建物の資料館がある。

港とは関係ないが、道の反対側には古風な「火の見やぐら」がある。

正直に言うと、ちょっと拍子抜けがした。連休中にもかかわらず観光客はほぼいないのもやむをえまい。まあでも、これといった素晴らしい「見もの」がなくても、初めての場所に足を踏み入れるのは、それなりに面白くもある。まして歴史のある場所なら尚のこと。
すでに走り始めて1時間半が経過してしまった。見るべきところもさしてないので港で折り返して、少しスピードを上げて昼飯の古墳を目指す。

港から400~500m、右に妙法寺を過ぎてすぐ、子安神社へ向かう案内板がある。その同じ道を行くと、化石館、さらに「初こくぞう」とよばれる火渡りの護摩供養で有名なこくぞうさん(明星輪寺)にも行けるようだ。金生山の山頂にあり、なかなか急な坂道を登っていかなくてはならない。
子安神社まではわずか100m。化石館までは400mあまり。明星輪寺への行程はさすがに修行の道で1.2kmほどある。坂錬にはもってこいかもしれない。
ちなみに『化石館』も一度訪ねてみたいと思っていて、今日も時間があれば本当は寄ってみたかった。金生山は昔から化石の宝庫としても知られているのだ。
が、今日はどれもやめて、古墳への道をひた走る。
〉その4へ続く