4月に走った長野マラソンの記録証が届いた。
いまどきのマラソン大会、しかも長野マラソンのような大きな大会にしては記録証が当日発行されず、1か月もたってようやく送られてくるというのは、人によっては不満であるかもしれない。
個人的には、記録証がいつになろうがあまりストレスは感じない。ラップは必ず手元の時計で記録するからだ。
むしろ、ラップがとれないような距離表示のほうが困る。きちんと1㎞ごとに見やすく距離が表示されてあれば問題ない。
GPSウォッチを使えば、距離表示さえいらないということになるのかもしれないが、いくつかの点で--バッテリー、GPS精度、天候、地形--確実性は劣る気がするし、ラップボタンを自分で押すという行為が嫌いではない。リズムにもなる。ただ、距離表示を見落とすとストレスにもなるけど。
さて、封を切ってその記録証を見た第一印象は「立派だなあ」。実にしっかりできている。内容ももちろん、紙質、印字の美しさなどもおそらくこだわっているに違いない。当日もらう記録証ではこうはいかない。
さらにその印象を強めているのが五輪のマークだと気づいた。「世界で唯一、オリンピック記念を謳った大会」というのが売り文句の一つだが、正直、意味がよくわからなかった。それに何の意味がある?
でも、この記録証を見た今わかった。
五輪マーク--そこには人それぞれ生涯観戦した数々の感動の記憶が刻み込まれている--の人を引き付ける魔力を今回初めて実感した。
そして、なぜ、あれほどまでに五輪招致をしたがる人たちがいるのかという理由もまた少し理解できた気がする。そこには誰もが知っている歴史が--スポーツだけにとどまらない人間の歴史そのものが--刻み込まれている。古代ギリシャ以来、それは富と権力の象徴としても機能してきたのだった。限定的な平和の象徴でもあるにしても。
良くも悪くも、その重みは沁みついてしまっている。自分の記録に対して五輪のマークが記されていることを単純に「すごいな」と思った。と同時に「待てよ。喜んでばかりもいられないぞ」とも思ったのだった。
いまどきのマラソン大会、しかも長野マラソンのような大きな大会にしては記録証が当日発行されず、1か月もたってようやく送られてくるというのは、人によっては不満であるかもしれない。
個人的には、記録証がいつになろうがあまりストレスは感じない。ラップは必ず手元の時計で記録するからだ。
むしろ、ラップがとれないような距離表示のほうが困る。きちんと1㎞ごとに見やすく距離が表示されてあれば問題ない。
GPSウォッチを使えば、距離表示さえいらないということになるのかもしれないが、いくつかの点で--バッテリー、GPS精度、天候、地形--確実性は劣る気がするし、ラップボタンを自分で押すという行為が嫌いではない。リズムにもなる。ただ、距離表示を見落とすとストレスにもなるけど。
さて、封を切ってその記録証を見た第一印象は「立派だなあ」。実にしっかりできている。内容ももちろん、紙質、印字の美しさなどもおそらくこだわっているに違いない。当日もらう記録証ではこうはいかない。
さらにその印象を強めているのが五輪のマークだと気づいた。「世界で唯一、オリンピック記念を謳った大会」というのが売り文句の一つだが、正直、意味がよくわからなかった。それに何の意味がある?
でも、この記録証を見た今わかった。
五輪マーク--そこには人それぞれ生涯観戦した数々の感動の記憶が刻み込まれている--の人を引き付ける魔力を今回初めて実感した。
そして、なぜ、あれほどまでに五輪招致をしたがる人たちがいるのかという理由もまた少し理解できた気がする。そこには誰もが知っている歴史が--スポーツだけにとどまらない人間の歴史そのものが--刻み込まれている。古代ギリシャ以来、それは富と権力の象徴としても機能してきたのだった。限定的な平和の象徴でもあるにしても。
良くも悪くも、その重みは沁みついてしまっている。自分の記録に対して五輪のマークが記されていることを単純に「すごいな」と思った。と同時に「待てよ。喜んでばかりもいられないぞ」とも思ったのだった。
