■ 昼飯大塚古墳に到着
とうとう着いた。だが実は県道216号(旧中山道)からは住宅に遮られて古墳の姿が見えなくて、少し通り過ぎて、ぐるっと回るようにして南側の入り口にたどり着いたのだった。

想像していたよりは小さな印象。すっかり公園として整備されていた。
全体図はこんな風。

前方後円墳は、前が「方」すなわち□(四角)で後ろが「円」すなわち○(丸)いわけだが、頭の中では前円後方墳としてイメージされてしまう。わたしだけだろうか?
で、というわけでもないが、たどり着いたのが「方」のほうだったので、階段を上って前の「方」部に登る。

写真奥が後方の「円」部。かぎ型の形がわかる。
円部まで歩を進める。

古墳の上からは360度四方を見渡せて気持ちがいい。伊吹山、関ヶ原も一望できる。
古墳は3段になっていて、中段にはいにしえを再現して円筒埴輪が並べられている。埴輪のように伸びた自分の影。


こんな風にしてつくられたのだろうという想像図。

古墳の上は原っぱになっていて子どもが2人遊んでいた。

正直言って、歴史的な価値はともかく、わざわざ遠方から観にいくほどのことはない(特に古墳好きというわけでなければ)と思う。
けれども、こんな風に自分の脚で走って回るポイントとして1度くらい立ち寄る分には悪くないのではなかろうか。トイレもある。
そろそろ太陽もだいぶ傾いてきた。ボチボチ帰るとしよう。家を出てちょうど2時間後、古墳を後にした。
■ 家に帰ろう
帰りは、写真もあまり撮らず、わりとわかりやすくて遠回りしない道を選んで走った。走り始めから23℃と少し汗ばむくらいの気候で陽射しもあったがパックに積んだボトルの水も何度か少し口にした程度。ほかに補助食品のお菓子風なバーとアミノバイタルのゼリーを1つずつ、何回かに分けて食べた。
古墳公園の南側の道路を、そのまま東に突き当たるまで走って右折し、南へ向かい国道216号をめざす。すでに書いたとおり、この道は新しく広くて立派で、歩道もある。行きに通った安楽寺前から美濃赤坂駅に続く県道214と美濃赤坂線の線路を真下に見ながら東へと走る。
赤坂新田の交差点を右に折れて南へ向かうとまもなく、たまに行くTSUTAYAの前へ。この近くには西濃エリアでもっとも人気が高い(たぶん)ラーメン屋、真屋(まことや)がある、鳥そばが有名だ。面白い店で、開けてる時間が短いし、休みも頻繁で長い。行かれる方は、事前によく調べてから行かれたほうがよい。
時間的なこともあるかもしれないが、連休のさなかだし、案の定店はやっていない。
熊野の交差点で国道21号を渡り、さてどうしようか迷う。とりあえず近鉄養老線・北大垣駅前に続く勝手知ったる道を東へ走る。が、どうもそのまま行くのもつまらない。
杭瀬川(赤坂港もこの杭瀬川を使う港だ)を渡ってすぐ、笠木町西なる交差点を右に曲がってほとんど通ったことのない道を行く。
東海道本線の下をくぐるとすぐ細くて小さな橋があった。木製でかなり古い。

名前も刻まれてない。なにより渡った先が行きどまりである。もちろんこの川も杭瀬川である。
橋をとってかえして100mほど行くと、近鉄養老線の踏切があった。警報機がけたたましくなり始め、ちょうど遮断機が下りてきた。ラッキー! 1時間に何本も走ってないはずなので、こういうことはめったにない。ちょうど北大垣駅を出て大垣に向かう列車を間近に見ることができた。向こう側でも列車が通り過ぎるのを待ち若いランナーが1人いた。

踏切を渡るとまもなく、オレンジ色のラインの入ったJRの列車がいくつも左手に見える。東海道線の線路とこの道の間に大垣駅から引き込まれて列車が待機しメンテナンスを施される基地がある。
大垣(岐阜もそうだが)あたりは水の都と言われるだけあって、縦横無人に川が流れている。小さいのも大きいのも、飛びきり大きいのも。合わせて、この辺りは特に線路が川と同じくらいあちこち勝手に走っていて、道はなかなかまっすぐ目的地には向かわず、下手に知らない道を走ったりすると、まったく訳のわからない場所に行き着き、自分がどこにいるのだかさっぱりわからない血うような羽目に陥ることもないではない。まあ、この日はiPhoneのGPSが使えた--といってももうバッテリー残量は10%に近付いていた!--からその心配はなかったが、それでも予想しないほどの遠回りをしなくてはならないこともありる。
その一方で、強引に川や線路をまたぐ橋や跨線橋などがあったりもする。
列車の整備工場の前を通ってしばらく走ると、大垣を代表するグローバル企業イビデンの事業所が東海道線の向こう側にあるのだが、やはりこんな風景が。

バッテリー残量を気にしながら、さらに道なりに走る。養老線の室駅の前へ出た。
今回初めて知ったけれど、養老線は大垣駅を起点に北へ延びる路線と南へ向かう路線とがあるんだな。やっと違和感が解消した。
この室駅前で北へ向かう線路と南へ向かう線路と2つの踏切を渡る。ややこしい。踏切を無事渡り切れば、間もなく、大垣の文化の拠点施設とも言えるスイトピアセンター。図書館、文化会館などがある。
興文中学校の前を走り、鳩部屋町、番組町、鷹匠町と歴史的な名を持つエリアを通って大垣公園へ。イベントでもあったようで家路につく人たちがたくさん歩いてくる。
全行程16kmあまり、約3時間のファンランも無事終わりを迎えた。
けっこうおもしろかった。
最後まで読んでいただいた奇特な方にはお礼を申し上げます。
ありがとうございました。
《おしまい》
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とうとう着いた。だが実は県道216号(旧中山道)からは住宅に遮られて古墳の姿が見えなくて、少し通り過ぎて、ぐるっと回るようにして南側の入り口にたどり着いたのだった。

想像していたよりは小さな印象。すっかり公園として整備されていた。
全体図はこんな風。

前方後円墳は、前が「方」すなわち□(四角)で後ろが「円」すなわち○(丸)いわけだが、頭の中では前円後方墳としてイメージされてしまう。わたしだけだろうか?
で、というわけでもないが、たどり着いたのが「方」のほうだったので、階段を上って前の「方」部に登る。

写真奥が後方の「円」部。かぎ型の形がわかる。
円部まで歩を進める。

古墳の上からは360度四方を見渡せて気持ちがいい。伊吹山、関ヶ原も一望できる。
古墳は3段になっていて、中段にはいにしえを再現して円筒埴輪が並べられている。埴輪のように伸びた自分の影。


こんな風にしてつくられたのだろうという想像図。

古墳の上は原っぱになっていて子どもが2人遊んでいた。

正直言って、歴史的な価値はともかく、わざわざ遠方から観にいくほどのことはない(特に古墳好きというわけでなければ)と思う。
けれども、こんな風に自分の脚で走って回るポイントとして1度くらい立ち寄る分には悪くないのではなかろうか。トイレもある。
そろそろ太陽もだいぶ傾いてきた。ボチボチ帰るとしよう。家を出てちょうど2時間後、古墳を後にした。
■ 家に帰ろう
帰りは、写真もあまり撮らず、わりとわかりやすくて遠回りしない道を選んで走った。走り始めから23℃と少し汗ばむくらいの気候で陽射しもあったがパックに積んだボトルの水も何度か少し口にした程度。ほかに補助食品のお菓子風なバーとアミノバイタルのゼリーを1つずつ、何回かに分けて食べた。
古墳公園の南側の道路を、そのまま東に突き当たるまで走って右折し、南へ向かい国道216号をめざす。すでに書いたとおり、この道は新しく広くて立派で、歩道もある。行きに通った安楽寺前から美濃赤坂駅に続く県道214と美濃赤坂線の線路を真下に見ながら東へと走る。
赤坂新田の交差点を右に折れて南へ向かうとまもなく、たまに行くTSUTAYAの前へ。この近くには西濃エリアでもっとも人気が高い(たぶん)ラーメン屋、真屋(まことや)がある、鳥そばが有名だ。面白い店で、開けてる時間が短いし、休みも頻繁で長い。行かれる方は、事前によく調べてから行かれたほうがよい。
時間的なこともあるかもしれないが、連休のさなかだし、案の定店はやっていない。
熊野の交差点で国道21号を渡り、さてどうしようか迷う。とりあえず近鉄養老線・北大垣駅前に続く勝手知ったる道を東へ走る。が、どうもそのまま行くのもつまらない。
杭瀬川(赤坂港もこの杭瀬川を使う港だ)を渡ってすぐ、笠木町西なる交差点を右に曲がってほとんど通ったことのない道を行く。
東海道本線の下をくぐるとすぐ細くて小さな橋があった。木製でかなり古い。

名前も刻まれてない。なにより渡った先が行きどまりである。もちろんこの川も杭瀬川である。
橋をとってかえして100mほど行くと、近鉄養老線の踏切があった。警報機がけたたましくなり始め、ちょうど遮断機が下りてきた。ラッキー! 1時間に何本も走ってないはずなので、こういうことはめったにない。ちょうど北大垣駅を出て大垣に向かう列車を間近に見ることができた。向こう側でも列車が通り過ぎるのを待ち若いランナーが1人いた。

踏切を渡るとまもなく、オレンジ色のラインの入ったJRの列車がいくつも左手に見える。東海道線の線路とこの道の間に大垣駅から引き込まれて列車が待機しメンテナンスを施される基地がある。
大垣(岐阜もそうだが)あたりは水の都と言われるだけあって、縦横無人に川が流れている。小さいのも大きいのも、飛びきり大きいのも。合わせて、この辺りは特に線路が川と同じくらいあちこち勝手に走っていて、道はなかなかまっすぐ目的地には向かわず、下手に知らない道を走ったりすると、まったく訳のわからない場所に行き着き、自分がどこにいるのだかさっぱりわからない血うような羽目に陥ることもないではない。まあ、この日はiPhoneのGPSが使えた--といってももうバッテリー残量は10%に近付いていた!--からその心配はなかったが、それでも予想しないほどの遠回りをしなくてはならないこともありる。
その一方で、強引に川や線路をまたぐ橋や跨線橋などがあったりもする。
列車の整備工場の前を通ってしばらく走ると、大垣を代表するグローバル企業イビデンの事業所が東海道線の向こう側にあるのだが、やはりこんな風景が。

バッテリー残量を気にしながら、さらに道なりに走る。養老線の室駅の前へ出た。
今回初めて知ったけれど、養老線は大垣駅を起点に北へ延びる路線と南へ向かう路線とがあるんだな。やっと違和感が解消した。
この室駅前で北へ向かう線路と南へ向かう線路と2つの踏切を渡る。ややこしい。踏切を無事渡り切れば、間もなく、大垣の文化の拠点施設とも言えるスイトピアセンター。図書館、文化会館などがある。
興文中学校の前を走り、鳩部屋町、番組町、鷹匠町と歴史的な名を持つエリアを通って大垣公園へ。イベントでもあったようで家路につく人たちがたくさん歩いてくる。
全行程16kmあまり、約3時間のファンランも無事終わりを迎えた。
けっこうおもしろかった。

最後まで読んでいただいた奇特な方にはお礼を申し上げます。
ありがとうございました。
《おしまい》
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