MとAのミュージカル・ラン日記 ♪♪♪

音楽を聴きながら走る市民ランナーのブログです。ランと音楽以外のスポーツについても書きます。今は大谷翔平に夢中です!

オリンピックの魔力 ~長野マラソンの記録証を巡って

2013-05-15 | 走らずに考えたこと
 4月に走った長野マラソンの記録証が届いた。
 いまどきのマラソン大会、しかも長野マラソンのような大きな大会にしては記録証が当日発行されず、1か月もたってようやく送られてくるというのは、人によっては不満であるかもしれない。

 個人的には、記録証がいつになろうがあまりストレスは感じない。ラップは必ず手元の時計で記録するからだ。
 むしろ、ラップがとれないような距離表示のほうが困る。きちんと1㎞ごとに見やすく距離が表示されてあれば問題ない。
 GPSウォッチを使えば、距離表示さえいらないということになるのかもしれないが、いくつかの点で--バッテリー、GPS精度、天候、地形--確実性は劣る気がするし、ラップボタンを自分で押すという行為が嫌いではない。リズムにもなる。ただ、距離表示を見落とすとストレスにもなるけど。

 さて、封を切ってその記録証を見た第一印象は「立派だなあ」。実にしっかりできている。内容ももちろん、紙質、印字の美しさなどもおそらくこだわっているに違いない。当日もらう記録証ではこうはいかない。
 さらにその印象を強めているのが五輪のマークだと気づいた。「世界で唯一、オリンピック記念を謳った大会」というのが売り文句の一つだが、正直、意味がよくわからなかった。それに何の意味がある?
 でも、この記録証を見た今わかった。
 五輪マーク--そこには人それぞれ生涯観戦した数々の感動の記憶が刻み込まれている--の人を引き付ける魔力を今回初めて実感した。

 そして、なぜ、あれほどまでに五輪招致をしたがる人たちがいるのかという理由もまた少し理解できた気がする。そこには誰もが知っている歴史が--スポーツだけにとどまらない人間の歴史そのものが--刻み込まれている。古代ギリシャ以来、それは富と権力の象徴としても機能してきたのだった。限定的な平和の象徴でもあるにしても。

 良くも悪くも、その重みは沁みついてしまっている。自分の記録に対して五輪のマークが記されていることを単純に「すごいな」と思った。と同時に「待てよ。喜んでばかりもいられないぞ」とも思ったのだった。

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5月6日~12日(2013年) 週間ランニング・ダイアリー

2013-05-13 | ランニング・ダイアリー
量より質

 思うように走れない1週間だった。だけどまあ仕方がない。そういう時もあると思って(忘れずに)、思うように走れている瞬間を充実させよう。
 短い時間しかとれなければ、スピード練習にしてみるといった工夫は、それが思い付くと、意外と面白かったりする。こういうのがアマチュアの面白いところだし、あまり追い詰められないで楽しく続けられるコツでもあるだろう。
 暖かくなって走りやすくなった。週末は大垣祭りで賑やかだった。日曜の夜、夕涼みの時間が実に気持ちが良かった

週間走行距離:58.3㎞前週比 +8.5km)
5月間走行距離:108.0㎞
週間走行時間:5時間04分59秒
週間平均ペース:5'14/㎞ (前週比 -0'03/km)


 5月6日~12日(2013年)ランニング・ダイアリー

「月」:11㎞(58分)
 合間を縫って10㎞ラン。アップ1㎞。脚が重いが、ジョグスピード向上Pジョグ。ラスト3㎞は少しペースアップ。「つもり」と違ってあまりスピード上がらなかった。
 GW最終日は夏モード。ただ本当の夏とは空気の清涼感が全然違う。一番走りやすい季節だ。
「火」:6㎞(32分)
 ジョグの感じが良かったのでビルドアップ走。時間もなかったのでスピード練習は効率がいい。
 ただ、いきなり走り始めて(やや本気の)ビルドアップはきつかった。
「水」:休足
「木」:8㎞(40分)
 2日ぶりのラン。そのせいかどうか脚の状態はまずまず軽い。
 このところ取り組んでいるジョグスピード5’10~20/㎞ペースの意識で走り始めたが、今日もあまり時間がなくて目標の12㎞は走れそうもなく、ではということで少しだけビルドアップの意識でもって走ることにする。
  5’8 4’54 4’49 4’47 4’40 4’41 4’38 4’25
 4'40/㎞だと自分の走力ではジョグとは程遠くて、自動的に「はあはあ」という呼吸音が聞こえるくらいになってしまう。それでも足の運びはジョグベースなつもりでいた(が、ピッチも上がっていた)。
 ジョグペースがこのくらいなら3時間10分くらいで走れそうなんだけど。
「金」:休足
「土」:16km(80分)
 最近では一番の夕焼けだった。空の半分が燃えるような赤に染まって、「これは天地の始まりか、それとも・・・」なんて思ったりした。
 と、ふと東の空を見たら、これがまた見事な虹。半円どころか、馬蹄形かと思うほど空に大きく弧を描いていた、とぎれることなく。かなり得した気分。
 ランは、今日もジョグスピード向上Pに準じて5'10/㎞のラップを念頭に走りだす。 ペースキープを意識してたら、少しずつペースが上がり、キロ5をキープしようというつもりに。
 しかしこれはもう、ジョグとは言いがたく、普通にペース走と化し、やや息を切らしながらペースが落ちないように踏ん張り、ラスト3㎞は、「どうせなら」とさらにペースアップ。最初の1㎞はアップののち15㎞のラップ。
  5’27 5’07 5’10 5’05 5’03
  4’58 4’58 4’59 4’54 4’52
  4’48 4’48 4’41 4’44 4’28
 1㎞目のラスト200mくらいと2㎞目は、昼間LIVEで見た横浜でのトライアスロンの世界大会で優勝したブラウンリーの走りを真似て踵をつけないで走ってみた。とても走れないと思ってたが、やってみたら意外とできないこともない。それにしても彼のラン10㎞はすごかった。腕の振りも強く大きくて、スイムとバイクのあとの10㎞を実質28分台で走った。
「日」:16㎞(93分)
 時間に追われつつもなんとか2時間確保し、今日はゆるランで20㎞なんて思いつつ走りはじめる。
ところがまもなくiPod Shuffleのバッテリーがなくなり音楽がきけなくなってしまい、テンションが大幅にダウン昨日のペース走のダメージか脚も重い。
 中之江川コースはとても2周目を走る気にならず、中之江川沿いを水門川(大垣にはどこにでも水門川がある)と合流する方向に走り武道館、クリーンセンター脇を走り抜け、約2㎞の直線を戻るという新たなコースを開発。
 いいコースだったがこの時期草むらに埋もれそうな川沿いのコースでは小虫が多くて手で振り払わなくてはならなかった。
 いわば「輪中コース」(このあたりは輪中だらけだけど)。1周4.9km。もう少し走ると水門川は揖斐川と合流する。
 「ジョグペース向上プロジェクト」の成果か、後半は思ってるよりペースは速かった。

世界トライアスロンシリーズ横浜大会2013 TV観戦(LIVE)(2013/5/11)

 バイクの最後のあたりからトランジットを経てランのほとんどを見ていた。優勝したジョナサン・ブラウンリー選手のランはすごかった。解説者が「彼はかかとかないんです」と言うので、じっと見てたら、本当に着いていない。
 腕も高い位置で、マラソンランナーではあまり見たことがないくらい強く大きく振っていた。これがさらに大きな推進力を生みだしていることは間違いない。
 ランでゴメスとシルバを突き離し、優勝した。オリンピック・ディスタンス(=ショート・ディスタンス)なのでランは10㎞。正式タイムは29'21だけど、1周2.5kmのラップが、確か7'06 - 7'10 - 7'19だった。
 最後の1周を7'25以内で走ると28分台の記録だが、「トライアスロンはタイムレースではなく勝敗(順位)を競う競技なので」勝負が決まれば、スピードは緩めるし、最後の直線、ウィニングロードでは観客全員が手を伸ばしてハイタッチを求める中、左右に蛇行しながらゆっくり手を合わせて勝利の喜びを味わう。この光景は、少し前に見たUTMFをゴールシーンを思い出させた。
 かなりいいシーンだった。勝者の笑顔も良かった。
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赤坂宿経由昼飯大塚古墳往復ラン その4 「やっと昼飯大塚古墳へ」

2013-05-12 | ファンラン&ランジャニ(マラニック)
昼飯大塚古墳に到着

 とうとう着いた。だが実は県道216号(旧中山道)からは住宅に遮られて古墳の姿が見えなくて、少し通り過ぎて、ぐるっと回るようにして南側の入り口にたどり着いたのだった。



 想像していたよりは小さな印象。すっかり公園として整備されていた。

 全体図はこんな風。



 前方後円墳は、前が「方」すなわち□(四角)で後ろが「円」すなわち○(丸)いわけだが、頭の中では前円後方墳としてイメージされてしまう。わたしだけだろうか?

 で、というわけでもないが、たどり着いたのが「方」のほうだったので、階段を上って前の「方」部に登る。


 写真奥が後方の「円」部。かぎ型の形がわかる。

 円部まで歩を進める。



 古墳の上からは360度四方を見渡せて気持ちがいい。伊吹山、関ヶ原も一望できる。

 古墳は3段になっていて、中段にはいにしえを再現して円筒埴輪が並べられている。埴輪のように伸びた自分の影。





 こんな風にしてつくられたのだろうという想像図。



 古墳の上は原っぱになっていて子どもが2人遊んでいた。



 正直言って、歴史的な価値はともかく、わざわざ遠方から観にいくほどのことはない(特に古墳好きというわけでなければ)と思う。
 けれども、こんな風に自分の脚で走って回るポイントとして1度くらい立ち寄る分には悪くないのではなかろうか。トイレもある。

 そろそろ太陽もだいぶ傾いてきた。ボチボチ帰るとしよう。家を出てちょうど2時間後、古墳を後にした。

家に帰ろう

 帰りは、写真もあまり撮らず、わりとわかりやすくて遠回りしない道を選んで走った。走り始めから23℃と少し汗ばむくらいの気候で陽射しもあったがパックに積んだボトルの水も何度か少し口にした程度。ほかに補助食品のお菓子風なバーとアミノバイタルのゼリーを1つずつ、何回かに分けて食べた。

 古墳公園の南側の道路を、そのまま東に突き当たるまで走って右折し、南へ向かい国道216号をめざす。すでに書いたとおり、この道は新しく広くて立派で、歩道もある。行きに通った安楽寺前から美濃赤坂駅に続く県道214と美濃赤坂線の線路を真下に見ながら東へと走る。

 赤坂新田の交差点を右に折れて南へ向かうとまもなく、たまに行くTSUTAYAの前へ。この近くには西濃エリアでもっとも人気が高い(たぶん)ラーメン屋、真屋(まことや)がある、鳥そばが有名だ。面白い店で、開けてる時間が短いし、休みも頻繁で長い。行かれる方は、事前によく調べてから行かれたほうがよい。
 時間的なこともあるかもしれないが、連休のさなかだし、案の定店はやっていない。

 熊野の交差点で国道21号を渡り、さてどうしようか迷う。とりあえず近鉄養老線・北大垣駅前に続く勝手知ったる道を東へ走る。が、どうもそのまま行くのもつまらない。
 杭瀬川(赤坂港もこの杭瀬川を使う港だ)を渡ってすぐ、笠木町西なる交差点を右に曲がってほとんど通ったことのない道を行く。
 東海道本線の下をくぐるとすぐ細くて小さな橋があった。木製でかなり古い。



 名前も刻まれてない。なにより渡った先が行きどまりである。もちろんこの川も杭瀬川である。
 橋をとってかえして100mほど行くと、近鉄養老線の踏切があった。警報機がけたたましくなり始め、ちょうど遮断機が下りてきた。ラッキー! 1時間に何本も走ってないはずなので、こういうことはめったにない。ちょうど北大垣駅を出て大垣に向かう列車を間近に見ることができた。向こう側でも列車が通り過ぎるのを待ち若いランナーが1人いた。



 踏切を渡るとまもなく、オレンジ色のラインの入ったJRの列車がいくつも左手に見える。東海道線の線路とこの道の間に大垣駅から引き込まれて列車が待機しメンテナンスを施される基地がある。


 大垣(岐阜もそうだが)あたりは水の都と言われるだけあって、縦横無人に川が流れている。小さいのも大きいのも、飛びきり大きいのも。合わせて、この辺りは特に線路が川と同じくらいあちこち勝手に走っていて、道はなかなかまっすぐ目的地には向かわず、下手に知らない道を走ったりすると、まったく訳のわからない場所に行き着き、自分がどこにいるのだかさっぱりわからない血うような羽目に陥ることもないではない。まあ、この日はiPhoneのGPSが使えた--といってももうバッテリー残量は10%に近付いていた!--からその心配はなかったが、それでも予想しないほどの遠回りをしなくてはならないこともありる。

 その一方で、強引に川や線路をまたぐ橋や跨線橋などがあったりもする。
 列車の整備工場の前を通ってしばらく走ると、大垣を代表するグローバル企業イビデンの事業所が東海道線の向こう側にあるのだが、やはりこんな風景が。



 バッテリー残量を気にしながら、さらに道なりに走る。養老線の室駅の前へ出た。
 今回初めて知ったけれど、養老線は大垣駅を起点に北へ延びる路線と南へ向かう路線とがあるんだな。やっと違和感が解消した。
 この室駅前で北へ向かう線路と南へ向かう線路と2つの踏切を渡る。ややこしい。踏切を無事渡り切れば、間もなく、大垣の文化の拠点施設とも言えるスイトピアセンター。図書館、文化会館などがある。
 興文中学校の前を走り、鳩部屋町、番組町、鷹匠町と歴史的な名を持つエリアを通って大垣公園へ。イベントでもあったようで家路につく人たちがたくさん歩いてくる。
 全行程16kmあまり、約3時間のファンランも無事終わりを迎えた。
 けっこうおもしろかった。

 


 最後まで読んでいただいた奇特な方にはお礼を申し上げます。
 ありがとうございました。


 《おしまい》

 >その1へ戻る
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赤坂宿経由昼飯大塚古墳往復ラン その3 「美濃赤坂駅、赤坂宿を巡る」

2013-05-11 | ファンラン&ランジャニ(マラニック)
美濃赤坂駅にて。 

 走り始めて1時間ちょっと。美濃赤坂駅に到着。



 なかなか趣のある駅舎、駅名を掲げる看板に歴史を感じる。



 駅の中もきれいに保たれている。列車の到着を待つ人は1人もいない。

 どこからか何かをくちばしにくわえてツバメが一羽やってきて、天井近くにとりついた。



 どこにも巣などはないようだ。やがてもう一羽がやってきて同じくとりついたが、距離を置いて違う面にとまった。わたしを警戒してかまもなく2羽とも外へ飛んでいってしまった。

 無人のホーム。花壇はわりときれいに手入れがされていた。



 一応終着駅。先はない。そういう駅の数はそう多くないだろうと思う。たいていはどこかへつながっているのだ。



 「駅」「鉄道」というと、いまどき、村上春樹の最新小説「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」が思い浮かぶ。

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年
村上 春樹
文藝春秋


 駅はたくさんの人の人生と深くかかわる、毎日のように人が行き来する(今はともかく少なくとも以前はしていたろう)。駅にはその街の匂いや風景や住む人の心根が分かちがたく結びついてしまう。
 この駅のたたずまいは、悪くない。

 駅舎のすぐ前にあるトイレを借りた。新しくて清潔だった。このあたりを走るランナーは覚えていて損はない。

赤坂宿も走る 

 駅から赤坂宿のメインストリート(旧中山道)まではもう目と鼻の先。距離にして300mほど。県道に復帰するとまもなく左に木製黒塗りの長い壁が続く。でかいお屋敷だ。右側には、まるで飛鳥時代を思い出させるような朱塗りの土壁。鮮やかな日本らしい赤(朱色)に目を奪われる。



 いずれ中山道の宿場町として栄え、明治以降は金生山でもって富を得た富豪か名士の屋敷なのだろう。

 旧中山道と突き当たった角に「赤坂宿」の碑があった。



 初戦昔の宿場町。おもだった史跡を見てもあっという間だ。上の写真の左に見えるマップ。



 さきほどの黒くて長い壁を持つお屋敷のほうは、観光地図にも案内のある矢橋家の屋敷だった。でかい。



 せっかくなので、東の端にある赤坂港まで行ってから道を引き返して昼飯大塚古墳に向かうことにする。といってもここから300mほどだけど。

 途中、赤坂宿本陣跡にも立ち寄る。ここも本当に「跡」しか残っていない。



 右の黒い石には「和宮之碑」とある。小説やドラマなどにしばしば登場する和宮(考明天皇の異母妹。NHK大河ドラマ『八重の桜』で市川染五郎が演じていたのが考明天皇。公武合体のためのいわば人質として徳川家茂の御台所となるべく降嫁した)が嫁入りのため京都から江戸に向かう際に宿泊したのが赤坂宿で。その際、古い家屋や空き地などが見栄えが悪く畏れ多いとして建てなおされたそうで、「嫁入普請」と呼ばれ今もそのあとが残っている(鍵がかかっていた)。

 この皇女和宮の降嫁の行列を再現する「中山道赤坂宿まつり」というのが秋に行われる。YouTubeにそのようすがアップされていて、この町の様子を見ることができるので、興味のある方はどうぞ。

第20回(2011年) 中山道赤坂宿まつり(皇女和宮行列)


 赤坂港跡は親水公園になっていて、ほぼ昔の面影は残っていない。



 ちょっとモダンな建物の資料館がある。



 港とは関係ないが、道の反対側には古風な「火の見やぐら」がある。



 正直に言うと、ちょっと拍子抜けがした。連休中にもかかわらず観光客はほぼいないのもやむをえまい。まあでも、これといった素晴らしい「見もの」がなくても、初めての場所に足を踏み入れるのは、それなりに面白くもある。まして歴史のある場所なら尚のこと。

 すでに走り始めて1時間半が経過してしまった。見るべきところもさしてないので港で折り返して、少しスピードを上げて昼飯の古墳を目指す。



 港から400~500m、右に妙法寺を過ぎてすぐ、子安神社へ向かう案内板がある。その同じ道を行くと、化石館、さらに「初こくぞう」とよばれる火渡りの護摩供養で有名なこくぞうさん(明星輪寺)にも行けるようだ。金生山の山頂にあり、なかなか急な坂道を登っていかなくてはならない。

 子安神社まではわずか100m。化石館までは400mあまり。明星輪寺への行程はさすがに修行の道で1.2kmほどある。坂錬にはもってこいかもしれない。
 ちなみに『化石館』も一度訪ねてみたいと思っていて、今日も時間があれば本当は寄ってみたかった。金生山は昔から化石の宝庫としても知られているのだ。

 が、今日はどれもやめて、古墳への道をひた走る。


 〉その4へ続く

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赤坂宿経由昼飯大塚古墳往復ラン その2 「謎の線路を横切って」

2013-05-11 | ファンラン&ランジャニ(マラニック)
3本の東海道線 



 その1の続き。最後に載せた写真を再掲。東海道線の架線が写っている。実はここで線路を3つ横切ることになる。
 1本は、東京から名古屋、そして大垣を経て京都、大阪へと向かう在来線「東海道本線」。盛り土をして少し高いところを走っているのがそれ。

 この写真ではわからないが、あと2つ線路を渡る。
 大垣駅で東海道線から分岐して、荒尾、そして今回経由した終着駅の美濃赤坂とたった2つしか駅のない、かなり特別扱いとも思える通称「美濃赤坂線」(実はここも正式名称は東海道本線となっている)は、この踏切から600mほど大垣より(東)で分岐して北へ向かうので、ここは通らない。

 ではこの2本は何線なのか? 
 答えは「3つとも東海道線」。本線のすぐ南を走る線路は通称「垂井線」と呼ばれているようだが、正式にはやはり東海道線の支線である。
 また、北に大きく迂回する線路がある。こちらはもちろん垂井駅には止まらない。現在この迂回路は貨物列車のほか優等列車!(「急いで走る」特急や急行車両)のみが使用しているそうだ。

 ちょっとネットで調べたら、ここは鉄道ファンの間では有名なスポットらしくて、こちらのブログに写真入りで詳しく解説されている方がいた。※垂井線の謎

 またWikipediaの「垂井駅」の項にもわかりやすい説明があるので興味のある方は参照されたい。

 それにしても、なぜそんなことになったのかよくわからなかった。
 同じくWikipediaの「新垂井駅」の項にその理由が説明されていた。
 なんと第二次世界大戦の影響だそうだ。
 戦時中の物資の輸送力増強のために、現在通称垂井線と呼ばれている下り専用線路とは別に、同じく下り専用の勾配の緩い北側を迂回して走る線路をつくったためだそうだ。合わせて迂回線路に新垂井駅をつくった。現在は廃止され駅舎の跡だけが残っているらしい。

 古い町には、おもいもかけない歴史の綾がつまっているものだなあ。

赤坂宿への道の途中 

 さてコースに戻ろう。
 この踏切を渡ると、県道214号線--それにしても県道の番号などいったいだれが覚えていようか--は、時に離れ時に近づいたりしながら「美濃赤坂線」と並行して走り、美濃赤坂駅の北を通って県道216号(旧中山道)に突き当たる。
 突き当たりに「赤坂宿」の碑があるほか、東西に伸びる旧中山道沿いに名所・史跡が多くあり、西へ足を延ばせば、目的の昼飯大塚古墳に通じている。

 踏切を渡ったところから最初の216号--上述の216号の手前に新しくて道幅も広い216号が横切っていて、行きは交差する下道を通り、帰りは高架となっているその216号を走って市街に戻った--まで1.2㎞。
 高架下を抜けるとすぐ左手に小山がある(勝山?)。山裾には根元から切りとられた竹林と花が咲いていた。





 この紫の風車型の花はツルニチニチソウというようだ。
 ほかにもハルジオン、



 中国原産らしいシャガ(胡蝶花)、



 などが咲いていた。写真はないがツツジも。春、秋のランは、花を愛でるランでもある。



 山の中腹には安楽寺というお寺があり、長く急な階段が続いている。道を挟んで反対側には美濃赤坂線の踏切があった。線路を渡って美濃赤坂駅方面を眺めてみる。



 このあたりから、「赤坂宿本陣跡まで500m」という簡略な案内板を見かけるようになる。その案内板に導かれるように「そんなに近くなら寄ってみようかな」という気持ちになった。
 今回、美濃赤坂駅には立ち寄ってみようと思っていたのだけれど、赤坂宿にはとくに関心がなかった。思えば、クルマで通り過ぎたことがあるだけで赤坂宿にいったい何があるのか知らなかった。
 古く由緒のある町には違いなかったので、ついでにこの際走ってみようという気になっていた。

 ここから駅まではまさしく500mばかり。再び走り始めてすぐ、廃線となった線路を横切る。GoogleMapでは線路がそのまま表示されているが実際にはこの通り。

 写真奥が大垣方面。


 反対側はこんな感じで行きようもない。


 地元の有名企業で、金生山産出の石灰を扱う矢橋工業の敷地にまでつながっていたようだ。

 美濃赤坂駅、赤坂宿はもう目の前だ。


 〉その3に続く
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