「配偶者が風邪引いて寝込んでいても、飲み会に行くか?」
という話題が喫煙所で出た。
「行きますよー」と、何の疑いもなく答えた私。
いくら婚姻関係にあっても、互いの予定を尊重させて優先させることは、当たり前の行為であると私の脳内にはインプットされていた。
行きたいものは行きたい。
飲みたいものは飲みたい。
不注意で感染した他人の風邪の為に、どうして私が我慢しなくてはいけないのだろうか。
殿方社員に「俺だったら、そんな嫁、離婚だ」と言われた。
へぇ。そういうもんなんだ!驚き。
そのシチュエーションの場合、風邪引いたのは私ではないし。
引いたのが私で、
①参加して体が辛い状況に陥ることが予見できる
②飲み仲間への感染が懸念される
という予想がなされるのならば、飲み会に参加するのを躊躇するだろうが。
だいたい、風邪を引いた旦那の側で私が佇んだとしても、
私は医者ではないし、まして加持祈祷もできないので、無意味なのではないだろうか。
仮に、我慢して飲み会に行かなかったとしても、
「私は飲みに行きたかったのに…あなたのせいで行けなかった。あなたのせいで…」と旦那を呪うに違いない。
挙げ句、旦那の氷嚢に針で穴を開けてしまうんだろう。
また、「摩り下ろし林檎ですよ。お召し上がりください。」と偽って、大根おろしを食べさせ、陰で「食べてるよ!…ぷっ」と笑うぐらいのことはするだろう。
私自身、風邪を引いたとき、他人とは接触したくない。
化粧をしながら病魔と戦うのは単に嫌だと思うし、
そうかと言ってノーメイクを旦那に晒すことは、恐怖に値する。
それに「風邪を感染させてしまったら申し訳ない」とも思う。
他人に迷惑を掛けることは、借りを作ることだと私は思う。
だから風邪ごときで、相手に看病してもらおうという期待もしないし、逆に私に看病を期待されても困る。
とにかく、私は他人に自由を奪われたくはないのである。
これからも、そのポリシーを死守する生き方を選択するつもりである。
喫煙所で別の殿方が
「じゃあ…吉熊君の腕がもぎれそうだったら?行く?」
と尋ねた。
…。
うぅ…。
す、鋭い…。
躊躇う私。
でも、行きますとも。
吉熊同伴で。
という話題が喫煙所で出た。
「行きますよー」と、何の疑いもなく答えた私。
いくら婚姻関係にあっても、互いの予定を尊重させて優先させることは、当たり前の行為であると私の脳内にはインプットされていた。
行きたいものは行きたい。
飲みたいものは飲みたい。
不注意で感染した他人の風邪の為に、どうして私が我慢しなくてはいけないのだろうか。
殿方社員に「俺だったら、そんな嫁、離婚だ」と言われた。
へぇ。そういうもんなんだ!驚き。
そのシチュエーションの場合、風邪引いたのは私ではないし。
引いたのが私で、
①参加して体が辛い状況に陥ることが予見できる
②飲み仲間への感染が懸念される
という予想がなされるのならば、飲み会に参加するのを躊躇するだろうが。
だいたい、風邪を引いた旦那の側で私が佇んだとしても、
私は医者ではないし、まして加持祈祷もできないので、無意味なのではないだろうか。
仮に、我慢して飲み会に行かなかったとしても、
「私は飲みに行きたかったのに…あなたのせいで行けなかった。あなたのせいで…」と旦那を呪うに違いない。
挙げ句、旦那の氷嚢に針で穴を開けてしまうんだろう。
また、「摩り下ろし林檎ですよ。お召し上がりください。」と偽って、大根おろしを食べさせ、陰で「食べてるよ!…ぷっ」と笑うぐらいのことはするだろう。
私自身、風邪を引いたとき、他人とは接触したくない。
化粧をしながら病魔と戦うのは単に嫌だと思うし、
そうかと言ってノーメイクを旦那に晒すことは、恐怖に値する。
それに「風邪を感染させてしまったら申し訳ない」とも思う。
他人に迷惑を掛けることは、借りを作ることだと私は思う。
だから風邪ごときで、相手に看病してもらおうという期待もしないし、逆に私に看病を期待されても困る。
とにかく、私は他人に自由を奪われたくはないのである。
これからも、そのポリシーを死守する生き方を選択するつもりである。
喫煙所で別の殿方が
「じゃあ…吉熊君の腕がもぎれそうだったら?行く?」
と尋ねた。
…。
うぅ…。
す、鋭い…。
躊躇う私。
でも、行きますとも。
吉熊同伴で。