世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

生理痛が痛くて、不快感を感じた日。

2006年06月03日 | Weblog
6/2(金)

女の子の日などという甘いもんではない。
私の生理日は。

毎月、痛みとの壮絶な戦いが展開されるのである。
月によって痛みの強度は変化する。
今まで過去三回、痛みで泣いた。
今日はトイレで半泣きをした。
鎮痛剤は生理が始まる寸前に飲むのがポイントである。
痛みを感じる前に鎮痛剤によって感覚を麻痺させるのである。
しかし、今回の生理はなかなか来なかったので、つい飲み忘れてしまっていた。
残り少ないロキソニンを急いで飲んだが効果はなかなか表れず、私は脂汗を垂らしながら、ただ痛みに耐えた。

生理痛が痛くて、不快感を感じた。
…日本語が怪しくなるぐらいの痛さだ。

金槌で腰を砕かれ、腹の臓器をえぐり取られるような痛さとでも言おうか。
今日は月末の締め日。
痛みで業務が捗らないなんて、許されない。
片手で腹をさすり、片手で電卓を叩いた。
しかし、ロキソは効果を発揮してくれなかった。
「てめー、調子に乗ってるんじゃねーぞ。生理の分際で!生意気なんだよ、クソが!」
半泣きモードから怒りモードになり、再びロキソ投入。
胃が荒れることを恐れたが、背に腹は返せなかった。
もう、私を救うのはモルヒネしかないのかもしれないな。

生理痛が酷かった友人が数年前に出産した。
一昨年再会したときに「出産ってさぁ、どのぐらい痛いの?」と訊いてみた。
私の問いに彼女は「そうねぇ。生理痛の3,000倍ぐらいかしら。」と答えた。
この痛みの3,000倍…身が破裂してしまう痛みではないか。

出生率がまた下がったらしい。
仕方がないと思うのは私だけだろうか。
女性が子供を産まない理由に「経済的理由」や「社会復帰の困難さ」が列挙されている。しかし、確実に「痛いのイヤ」という理由も上記の理由に隠れて存在していると、私は確信している。
献血の針が痛そうで…という理由が献血数低下に結び付くように、痛みを避けたい現代人の欲求は最早止められない。
…生理痛の痛みに耐え切れず、ロキソを立て続けに投与する私を含めて。

出生率を上げるためには…もう答えは出ているんではないだろうか。
そう、痛くない出産を開発することである。
「痛みがあるからこそ子供を可愛がれる」なんて美談めいたことを信じていたら、痛み嫌いの現代人は「…じゃ、いらない」とジャッジを下すだろう。
そもそもあの美談って、痛みを知らない父親や無痛出産した女性は、子供に愛情を持てないと言っているのと同じではないか。そんなのおかしい。ナンセンス極まり無い。

無痛という甘美な響きは、私みたいに子供を生理的嫌悪感から産まない女性は例外として、「子供好き。でも痛いのはイヤ~」というグレー層の女性を安心させることができる。結果「じゃあ産んでみようかな」と思う人数も増えると私は思うのだが。

また、出生率なんて下がるのが当たり前なんである。
それを永遠に右肩上がりで伸張すると信じて社会をデザインした政治家のアホらしさに、うんざりする。


…って今日は攻撃的だぞ!
生理日だからかしら。
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白髪発見。

2006年06月03日 | Weblog
仕事中、背後にいたパートさんに白髪を発見された!
最近、自分でも数本確認していたが、他人に発見されるとショック倍増…。
しかも「あっ、亮子ちゃん、ここにもあるよ!」
どうやら二本目まで発見されたもよう。
お嬢様縛りにしてある髪をほどき、抜いてもらい、二本並べてみた。

一本は完全に真っ白。
もう一本は毛先にかけてだんだん真っ白に。
後者の白髪は「嗚呼、この毛の力は、ここで尽きたのね」という生命力の儚さを語っていた。老いのグラデーションとでも言うべきだろうか。

会社関係のご婦人で、60歳になるのに、腰までのロングヘアを保っている女性がいる。
普段は自宅の隣にある美容院にて、頭頂部に冠みたいな編み込みをしてもらったり、ご自分では三編みのシニヨンに結ったりしている。
以前、一度だけ彼女の解き放たれた髪を見たことがある。
ボリュームのあるシルバーの髪が背中全体を覆い、波打っていた。
社内を跳ねるように歩く度、髪は彼女の背中でゆっさゆっさと揺れ、気品というか優雅さを醸し出していた。
あの歳であれだけの長さと美しさを保持するのは大変だろう。
彼女の2分の1しか生きていない私かて、ロングヘアを維持するのは大変だ。
肩凝りや洗髪時の姿勢は耐えがたいものがある。
しかし、そんな労力も厭わないほど、彼女は自分の美意識を守りたいのだろう。
「歳だから」「大変だから」という理由で自分をごまかしたくないのだとも思う。
自分の美しさを保つ努力をした結果、私みたいな若輩者の憧れの対象になるのだ。

いくつになっても、美を追求する姿勢さえ見失わずにいたら、人間はいつまでも輝くことができる。
自分自身というものが確立されていないと実行できない難儀なことである。

彼女を見ると、いつもそんなことを思ってしまう。
そして、歳を取ることが怖くなくなるのである。



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