気にしていないし、そんなの過去のことだ。
両親の喧嘩なんて日常的なものだった。
稀に離婚話まで発展することがあった。
小学生だった私は寝た振りをして、耳をすます。
揺れる蛍光灯の紐。
近くの街道を行き交う数少ない車の音。
そして、父が妹を、母が弟を引き取りたい趣旨の話声が聞こえる。
「亮子はどうするの?」
どちらともなく出た言葉。
どちらともなく黙り込む。
蛍光灯の紐は、揺れている。
それは、妹とお揃いのパジャマの胸の部分が私の鼓動でドキドキしているのと同調するかのようだった。
「亮子だって、やればできる子なんだからね」
沈黙を破ったのは父だったが、結局「引き取りたい」という言葉は彼等の口からでることはなかった。
明日からどうしよう。
一人でいきていくしかない。
平出のおばちゃん(母方の祖母)は厳しくて怖いし。
幼き私は両親の離婚よりも自分の生活の今後について不安を募らせた。
それでも楽天的な性格が作用して「でも何だかんだ言っても、両親から一番愛されているのは亮子だも~ん」と、ハウス食品提供「世界名作劇場」の主人公よろしく、ポジティブシンキングを発揮させて、その後もイキイキ育っていった。
「私は愛されていないのかもしれない。」
そんな過酷さを受け入れられるほど大人ではなかった。
結局彼等は離婚しなかった。
今日母に、当時話題になっていた親権放棄の核心について訊いてみた。
母が言うには、当時の私は異端児で育てにくかったそうだ。
「1+1」がなぜか「5」になる子だった。
四捨五入もできなかったし、ローマ字テストではいつも0点。
分数の掛け算も割り算も出来なかった。
それだけではない。
生活全般の基本が出来ていなかった、と母は話す。
「ママ、損したね。あのときが亮子株の底値だったのに。あの時亮子株を買っていたら今もっと亮子からの「親孝行」という特別配当を享受していたかもしれないのにね。」
笑いながら私は言った。
両親には感謝している。
大学まで行かせてくれたし、育てにくいと思っていながらも結果的に私をここまで育ててくれた。
とても大切に育てられたとも思うし、二人とも大好きだ。
今更昔話を蒸し返したり、悲観的になることもしたくない。
しかし、世間では絶対的だと言われている親子の愛や母性が、私には信じられないものになった。どこか遠いものとしてしか捉えられない。
鮭が川の濁流の中で身をボロボロにしながら産卵するシーンすら似非を感じる始末である。
決して、あの夜の出来事が切欠になったというわけではない。
しかし、幼き私が悟ってしまったことは事実だ。
所詮、親は親であっても同時に人間であるということを。
親権放棄を匂わせられつつも、子供は親を憎めない。
信じるのである。
愛されるためにはどうしたら良いか、ずっと無意識のうちに思い続けていた。
そんな自分に気付いた日曜日の午後。
明日から新しい一週間が始まる。
怒涛の一週間が手招きしている。
過去なんて懐かしむべきものだ。悲しむべきものではない。
愛されていたかいないかなんてどうでもいい。今は多分、愛されているし。
あの頃のポジティブシンキングを開花させて、明日からの一週間を乗りきる。
そして一年に一度のメインイベントを成功させるのだ。
異端児・亮子は明日も走るのだ!
両親の喧嘩なんて日常的なものだった。
稀に離婚話まで発展することがあった。
小学生だった私は寝た振りをして、耳をすます。
揺れる蛍光灯の紐。
近くの街道を行き交う数少ない車の音。
そして、父が妹を、母が弟を引き取りたい趣旨の話声が聞こえる。
「亮子はどうするの?」
どちらともなく出た言葉。
どちらともなく黙り込む。
蛍光灯の紐は、揺れている。
それは、妹とお揃いのパジャマの胸の部分が私の鼓動でドキドキしているのと同調するかのようだった。
「亮子だって、やればできる子なんだからね」
沈黙を破ったのは父だったが、結局「引き取りたい」という言葉は彼等の口からでることはなかった。
明日からどうしよう。
一人でいきていくしかない。
平出のおばちゃん(母方の祖母)は厳しくて怖いし。
幼き私は両親の離婚よりも自分の生活の今後について不安を募らせた。
それでも楽天的な性格が作用して「でも何だかんだ言っても、両親から一番愛されているのは亮子だも~ん」と、ハウス食品提供「世界名作劇場」の主人公よろしく、ポジティブシンキングを発揮させて、その後もイキイキ育っていった。
「私は愛されていないのかもしれない。」
そんな過酷さを受け入れられるほど大人ではなかった。
結局彼等は離婚しなかった。
今日母に、当時話題になっていた親権放棄の核心について訊いてみた。
母が言うには、当時の私は異端児で育てにくかったそうだ。
「1+1」がなぜか「5」になる子だった。
四捨五入もできなかったし、ローマ字テストではいつも0点。
分数の掛け算も割り算も出来なかった。
それだけではない。
生活全般の基本が出来ていなかった、と母は話す。
「ママ、損したね。あのときが亮子株の底値だったのに。あの時亮子株を買っていたら今もっと亮子からの「親孝行」という特別配当を享受していたかもしれないのにね。」
笑いながら私は言った。
両親には感謝している。
大学まで行かせてくれたし、育てにくいと思っていながらも結果的に私をここまで育ててくれた。
とても大切に育てられたとも思うし、二人とも大好きだ。
今更昔話を蒸し返したり、悲観的になることもしたくない。
しかし、世間では絶対的だと言われている親子の愛や母性が、私には信じられないものになった。どこか遠いものとしてしか捉えられない。
鮭が川の濁流の中で身をボロボロにしながら産卵するシーンすら似非を感じる始末である。
決して、あの夜の出来事が切欠になったというわけではない。
しかし、幼き私が悟ってしまったことは事実だ。
所詮、親は親であっても同時に人間であるということを。
親権放棄を匂わせられつつも、子供は親を憎めない。
信じるのである。
愛されるためにはどうしたら良いか、ずっと無意識のうちに思い続けていた。
そんな自分に気付いた日曜日の午後。
明日から新しい一週間が始まる。
怒涛の一週間が手招きしている。
過去なんて懐かしむべきものだ。悲しむべきものではない。
愛されていたかいないかなんてどうでもいい。今は多分、愛されているし。
あの頃のポジティブシンキングを開花させて、明日からの一週間を乗りきる。
そして一年に一度のメインイベントを成功させるのだ。
異端児・亮子は明日も走るのだ!