世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

夜空を焦がして 私は生きたわ 恋心と

2006年10月13日 02時02分06秒 | Weblog
9月13日が過ぎて、約一ヶ月。
先週末の嵐の夜に、一件のメールが届いた。
「凄い風雨だけど大丈夫?」

相手は…そう。
「9月13日の君」…通称「地震男」である。

説明しよう。
彼は4年前に私の愛の告白に対して、「嫌だ」と言って拒否をした殿方である。
(「嫌い」ではなく、「嫌だ」である)

以後、関東地方に台風がやってきたり震度3以上の地震が起こる度に、メールにて安否確認の連絡をしてくる。
そんな関係が4年も続いている。
いや、「続いていた」…過去形にしよう、もう。

ついに、私は今年の9月13日に「面倒くせぇ~」という理由のみで、彼の誕生日をスルーするという暴挙に出た。

普段ならば、安否確認のメールに対し、私の「大丈夫だよ」という返信で二人の通信は終る。
しかし、今回は珍しくメールの往信が継続していた。

他愛もない会話が電波を通して、ここ最近、なされていた。

不感症となった私のココロは、そのぐらいでは最早満たされないらしい。
淡々と続くかのように思われたメール往信だったが、衝撃的な彼の文章に、私はブチギレをしてしまった。

私「明日からも仕事頑張ろう。私はまだあの会社にいますよ…」

彼「どうした?マンネリ?…(以下省略)」

思えば、私は彼の気弱なところが好きだった。
それが仇となり、煮えきらない彼の態度にじらされる日々を送っていたわけだが。
昔は貢献的に殿方に尽くして演歌ばりの人生を良しとしていたんだが、近年の私は自我が強くなってきている。自己犠牲や我慢を強いられるのであれば、恋愛なんてしたいと思えない。気弱な彼を好きになったのも、恐らくその序章だったんだろう。

それにしても、彼は私の文章のどの箇所にマンネリズムを感じたのだろうか。
はじめはそんな疑問をぼんやりと抱いていたんだが、次第に怒りの感情がこみ上げてきた。
はっきり言って、私は仕事にマンネリを感じたことはない。
覚えるべきことが泉のように溢れ出ている。
毎日、それを掬うのに必死だ。
掬っては吸収し、自分の糧にする…そこにマンネリなど存在する余地が見当たらない。
「一日一分、三日で三分、辛かとぶぁい~♪」という、おぼっちゃまくん並の歩みかもしれないが、でも昨日の自分よりは確実に前に進みたいと心のどこかで思っている。

そんな私のプライドを、彼は傷付けたんである。
しかし、仕事についてそんなプライドを保持する切欠をくれたのも、悔しいのだが実は彼だ。
4年前の告白の後、私は主任試験を控えていた。
そのとき「気弱なくせに、私の告白を拒否するなんて許せない。絶対に見返してやる」と心に誓い、ひたすら勉強をした。
カリカリと毎日同じテーマについての小論文を書き続けたんである。
勉強をすればするほど、振られた心の傷は癒えていった。

しかし、同時に彼を好きで好きで堪らない気持も膨らみ、今すぐにでも小田急線に乗って彼に会いに行きたいという衝動を押さえるのに苦労した。

無事、昇格してからもモヤモヤは消えなかった。
一年ほどはウェルテムのように悩んだ。
そして、「自分からはメールをしない」という規則を自ら設けて守ることと、「主任なんだから」という自覚を持って仕事をすることで、気持ちを昇華させた。

地震の度に来る連絡に動揺したりもしたが、いつしか私の心は今のような不感症になっていった。

恋心と仕事の狭間で、いっぱいいっぱいだったあの季節。
苦しかった。
しかも心が不感症になっていくという、傍から見ればきっと不毛だと評される私の始まりだったにも拘わらず、私にとっては人生で一番輝いていた季節だった。

とにかく、私は彼には負けたくなかった。
いつしか恋心は、そんな負けん気に化学変化していったのである。

あの頃から失いつつあるものと引き替えに、以後、抱き始めた別の情熱は、今も私の中で燃え続けている。

私は今の私に満足している。
もう、気弱なあの彼がいなくても大丈夫だ。
絶対に、一人で歩いて見せる。

4年間に終止符を打とう。
そう思いながら、最後になるであろうメールを送信した。

「お互い頑張ろう」
短い文章は電波に紛れて、そして消えていった。



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