世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

1Kの城

2005年10月17日 22時48分55秒 | Weblog
残業し、雨の中帰宅。
「この甘い香りは?」
傘をずらして視線を向けると、そこには金木犀。
雨のせいで、無残にも花が地面に落ちてしまっている。
そこだけオレンジの絨毯を敷いたようだ。
雨に濡れても、なお一層強く薫る金木犀をいじらしく感じる。
また少し歩くと、どこかの家から秋刀魚が焼かれた香りが漂ってきた。
もう、秋なんだなぁ。

秋雨の降る夜は、早く家に帰りたいって思う。
いつもは外食派の私だが、今日は自宅でコンビニ食。

ゆっくりお風呂に入った後、窓を少し開けて茹で上がった体を冷ます。
濡れた髪をタオルで拭きながらパソコンを立ち上げる。
雨音とお気に入りのCDを聴きながら、ブログを更新。
(今宵のお供は映画の曲を集めた「Love Ring」
その中でも映画「ピアノレッスン」のテーマ曲がお気に入り)

月曜の夜から、なんだか贅沢な気分。

1Kの部屋だが、私にとっては城のような居心地の良さだ。
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「キャリアな着こなし」と風呂場のカビ

2005年10月16日 22時49分36秒 | Weblog
通常二日ある週末が一日しかない今週。
朝から風呂場のカビ取りや溜った洗濯を嫌々して、「ザ・ノンフィクション」を観ながら一服していたら夕方に。
一日が終ってしまう…。

天気も悪いので、久々に自室にて電卓を使っての勉強を試みる。
商品有高帳…先入先出法と移動平均法があるのだが、行われている取引は同じなのに、記帳方法によって売上総利益がどうして違うのだろう?変くね?と不思議に思う。

気付いたらどっぷり夜になっていた。
衣替えをした際に出てきた冬物のスーツやセーターをクリーニング屋さんに持っていく。しめて10着…。重い。

会社へは大概スーツで出勤し、プライベートではフワフワヒラヒラな服で過ごしている。スーツの色は殆んど黒かグレーである。
店舗から内勤になった時は、制服がなくなった喜びで乱舞し、勘違いな感じの服装で出勤していたが、最近ではすっかり局系(?)ないでたちである。
靴も昔はCOMEXの8センチヒールで歩き回っていたが、最近では腰が痛くてリーガルのオーソドックスな5センチヒールを履くようになった。

そう言えば、先日の帰省の時に母に「老けたね」と言われた。
どうやら私の目尻に烏の足跡を発見したらしい。
「そうかね」とそっけなく答えたが、「げーっ、やっべぇ~」と内心慌てふためいた。
早速薬局で目尻パックを購入したが、ああいうものは不思議なもので買ったら目尻に皺がなくなった幻想を覚えるのである。

よって、まだ使用していなかったりする…。


今夜は、風呂上がりに目尻パックをしながらDomaniを読む。
Domaniに出てくるカッコいいネエちゃんって、一体なんなんだろうか。

あの「キャリアな着こなし一ヶ月」とかに出てくるOL。

彼女の風呂場、いやバスルームにはカビなど生息しないんだろうなー…。
だからその分時間があって、お洒落に生きているのだろう。
絶対そんな気がする。

溜め息混じりの私は、日曜の夜恒例、来週着ていく出勤着のコーディネート(一週間分)をするのであった。
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今日のひとこと。

2005年10月15日 21時20分09秒 | Weblog
出勤日。

今日のひとこと。


…決算修正なんて嫌いだ。


以上。




夢で逢いましょう

2005年10月14日 23時43分54秒 | Weblog
最近、マイスリーを絶つと必ずと言って良いぐらい夢を見る。
眠りが浅いからであろうか。

私は過去に思い切り人を傷付けたことがある。
私の裏切りが、致命傷になったようだ。
今朝未明、その人が夢に出てきた。
それだけなのに、脇の下がびっしょりになるぐらい冷や汗をかいていた。
存在が怖かった。
傷付けてしまった私は、一生見えない十字架を担いで生きていくことを夢の中で苦しみつつ自覚した。

何日か前、過去に恋して狂っていた私。
その晩は、マイスリーに甘えずに寝床に就いてみようと思い、実行した。
なかなか寝付けないで苦しんだが、いつの間にか眠りに入り、早朝目覚めたら泣いていた。

好きだった先生が夢の中に出てきたのだ。

幸せだった。
「やっと会えた」という奇跡が信じられず、彼の手を握って確かめた。
一緒に畑(←何故?)を散策し、クラシックの演奏会に行った。
オーケストラの楽器が鎮座する舞台に目を向けながら座席に腰かける時に
「駄目だからな、もう」
と、彼は言い残して人混みに紛れ去っていった。

そこで夢は醒めた。

涙が伝い、こめかみ辺りを潤していた。

「待ってください!」と叫べば彼は戻ってくるはず…そんなことを期待した。
しかし、そんなに幼くないことも自覚しているので、諦めて目を閉じた。

涙で濡れた睫の重みを感じつつ、ゆっくり考えた。

「駄目だからな、もう」

彼はそう言った。

何が駄目なんだろう。
月に一度しか布団を干さないことだろうか。
化粧が濃いという批評に耳を傾けないことだろうか。
カップワンタンにご飯を入れる独自の料理方法だろうか。

…でも、夢で再会したその時点で私は多分気付いていたのだ。
きっと、彼は過去を振り返りすぎの私をたしなめるために夢の中に出てきたのだということを。


夢からその時の心理状態を分析できるらしい。

私は今、どんな心理状態なのだろう。


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何でもないようなことが 幸せだったと思う

2005年10月13日 23時58分30秒 | Weblog
何でもないようなことが 幸せだったと思う
何でもない夜のこと 二度とは戻れない夜

虎舞竜の「ロード」である。
この曲がヒットしたのは中学3年生のとき。
高校受験目前の冬であった。
日曜日の夜、よく聞いていたラジオ番組「あらいきよしの星空ベストテン」(栃木放送)で初めて聴いた。
当時はなんて素敵な旋律なんだろう、と感じたのだが、高校に入学する頃には聴き飽きてしまっていた。
「ああ、あの暗い曲ね。…え?第二章もあるの?…まじで?」ぐらいにしか思わなくなった。

時は流れ、2005年10月。何故か「ロードって良くね?」と思っている私。
マジで良くね?
すげぇ良いよ。
…っていうか、泣ける。

歌詞は婚約者の死について書かれている。
実話らしい。
助手席で眠っている彼女を起こしてみたら、恨めしそうに睨まれ「愛がほしい」と言われた…云々。
彼女は出産目前で交通事故に遭遇し、亡くなってしまう。
で、「何でもないようなことが 幸せだったと思う」という殿方サイドで書かれた歌詞。

久々に聴き返してみて、歌詩にどっぷり共鳴してしまった。
別に恋人を亡くした等というエピソードは私にはないが。

人生を振り返り、真っ先に「幸せだったなぁ」と思えることの多くは「何でもないようなこと」であるということだ。

授業中、クラスメイトが音読をさせられているときに、窓の外の雲にうっとりしたこと。
台所で生のホットケーキを母の目を盗んで舐めて、その甘美さに失神しそうだったこと。
四季を感じながら歩く通勤路。
学生時代、都内の友達のうちに泊まりに行って、明け方の公園でスリリングさを感じながら花火をしたこと。
中学時代、「東京ラブストーリー」ごっこをしたり「こっくりさん」や「好きな人暴露大会」をした昼休み。黒板に貼り出されていた、好きな殿方の手書きコピーの業連をこっそり家に持ち帰った放課後。

当然、尾道旅行や修学旅行などのイベントもインパクトがあるけれど、それらは「楽しい」という感情が強烈なぐらい占拠してしまい、ピュアな「幸せ」を感じられるのはやはり「何でもないようなこと」なのである。

今の私も相変わらず「何でもないようなこと」に溢れた生活をしている。
毎日毎日同じことの繰り返しであるように思われるが、
親が元気であり、
友達がいて、
糊口を凌げる仕事を持っていて、
吉熊と気侭に生きている、
…そんな当たり前の日常こそがきっと「何でもないような幸せ」なのである。

泣いたり、いじけたり、妬んだり、悪口言ったり言われたりということも多いが、将来、この日常から逸脱して客観視することがあるならば、私はきっと今ここにある「今」を絶対に「幸せ」だと感じるに違いない。

「今」はいつか「過去」に化学変化することを27年の人生で学んだ。

いつも「今」を愛せるよう、そして「未来」を夢見られるよう、毎日を大切に生きたい。


…彼女を亡くした彼の、悲しみを乗り越える直向さに比べれば容易い気がする。
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読了。

2005年10月12日 22時51分18秒 | Weblog
タケプロンで、(いるかもしれない)ピロリを撃退し、
ストロカインで胃の痛みを止めている。
ストロカインは、胃に麻酔をかける薬。飲んだ後は呂律が回らなくなる。
舌に感覚がなくなる。歯医者さんの麻酔に似た感じ。

事務職の私。
1日何回か電話に出る。
ストロカインを飲んだ後に電話に出ると、必ず口足らずな喋り方になる。
(山瀬まみを暗くした感じだろうか?)

社名や自分の名前を伝えるのさえも困難である。
電話だけではなく、生身の人間との会話も億劫になる。

頭では話の主旨が完成されているのに、口が付いていかない。
挙げ句、最近は無口になった。

そろそろ胃カメラ、考えないと…かなぁ。鬱。


そんな中、今日ようやく「ツ、イ、ラ、ク」を読了した。
読み終えてしまうのが淋しくて、最後まで読むのを躊躇していた。
そのぐらいこの作品に愛着を持てた。
長編小説を読み終えた時独特の気だるさが自分の中に漂っている。ちょうど今。

2005年に読んだ小説の中では断トツ面白かった。
恋に墜落する切なさや苦しさ、そして姫野節独特の筆づかいで滑稽さも描かれていた。
ストーリーに厚みや深さがあるので、あとになってお気に入りのシーンを読む度に違った読み方感じ方ができる。
そして、何頁か読み進めると必ず「この言い回し、凄いなぁ!!こういう心理や情景を表す時にこんな便利な言い回しや言葉があるんだ!!」という箇所があり、感動した。

小説を読むときはいつもそんなことを感じつつ読むのだが、読んで暫くすると、いや読んでいる最中から、発見の感動の大半は忘却の彼方に去っていく。
その度に読み返したい、手元に置いておきたい一冊になった。

次は林真理子先生の「アッコちゃんの時代」を読む予定。
ねっとり系真理子先生ワールドを堪能するつもりだ。

淡白な姫野作品の後なので、より一層脂っぽさを感じるのだろうなぁ。

脂っぽい食事ができないので、本で欲求を発散する私なのである。

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こんな娘でごめんなさい。

2005年10月11日 22時56分34秒 | Weblog
昨日、実家から帰る際、母から土産をもらった。
土曜日に父が出席した結婚式の引き出物「バームクーヘン」。
甘いものが元々好きではなく、しかも胃の調子が悪い今の私にとってはあまり喜ばしいものではなかった。クリームとか油っぽいものは見たくもない。今は。

母は「会社の皆さんに分けてね」と言っていたが、バームクーヘンは円形の固まりであり、包丁を使用して均等に切断せねばならない。
普段、全く使用する機会がない包丁。
月に一回、芋子からもらった洗顔石鹸を切断するときのみ使用する包丁。
調理で使用したのは高校時代の家庭科の授業が最後だ。

それに、そもそも均等という概念が面倒だ。
包丁を使用して均等に物を切断する…考えただけで頭と胃が痛くなる作業である。
面倒臭さがあの甘い香りと共に胸を占拠する。

しかも使用後にママレモンで包丁を洗浄しなくてはならない。嫌だ。
昼休みに包丁を使うことを途方もなく狂おしいほど面倒に感じ、
また仕事以外であまり他人とは会話をしたくない気分だった。
「つまらないものですが…」みたいな会話。面倒臭い。

貴重な昼休みに包丁でバームクーヘン切断→「つまらないものですが…」で、煙草二本吸う時間が失われるのは、勿体無い気がした。

断ったら母が可愛そうな気がして「…ありがとう」と受け取ったものの、
内心「面倒だ。嗚呼、面倒、面倒、面倒、面倒、面倒、面倒…」とバームクーヘンが重く心にのしかかった。
面倒という文字がバームクーヘンを彩る模様のように、頭を回る…。
トグロを巻いた「面倒」という文字…。嫌だ。
4桁の割り切れない割り算を50問やるのと同じぐらい面倒だ。
「何で私がそんなことしなくっちゃならなくて?」という憤りさえも感じた。


本日、病院帰りに母に一日の様子を電話でホウレンソウ。

「バームクーヘンどうだった?」



ああ、あれね。今朝持っていくのも面倒で、まだ冷蔵庫の中だよ。


とは言えなかった。

亮子「ええ!?ああ、うん。…嗚呼、今朝少し食べたよ」ととんでもない嘘を吐いてしまった。

母 「皆さんで食べてって言ったでしょ!っていうか、持っていくのが面倒だったんでしょ?」

すごい剣幕である。
そしてすごい的中率。
相似とか合同の証明とか得意だったのかな、50%ぐらい私の心理を読みきっているよ、この人は…。

こういうのも面倒。放って置いて欲しい。

「ごめん。さっき嘘吐いた。包丁使うのが面倒なのと、他人と会話をするのが面倒で、意図的にわざと家に忘れてきました。」

泣きながら素直に弁解するも、電話は一方的に切れた。…面倒。
仕事帰りで疲れているんだよ、ゴルァ!とイライラする。
バームクーヘンごときで怒んなよ!
…いつの間にか路上で歩き煙草をしていた。

よく彼氏と電話で喧嘩して、こういうシチュエーションあるよなー…。
久しく殿方と付き合っていない私は、こういう面倒くさいことに免疫がないので、どうしていいか途方に暮れてしまう。
身内といえど、母には本当に気を使うんである。

仕方がないので謝罪をメールでしたら、電話がかかってきた。

「いらないんだったらいらないって、何ではっきりしないの?甘いもの好きな芋子にあげた方が良かった…。つまらない嘘まで吐いて!」


ごもっとも。
謝るだけ謝った。
胃がキリキリ痛むが、謝った。
クレーム処理の人みたく謝った。

今後、恐らく母は私に土産を持たせないだろう。

その切なさを感じると共に、母が私を思ってしてくれた恩を無情にもメチャクチャにしてしまった罪の大きさを感じ、ひたすら泣いた。

ママ、こんな娘でごめんなさい。

明日、ちゃんと皆さんに分けますから。
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荒川を渡りながら

2005年10月10日 21時01分14秒 | Weblog
快速ラビットに揺られながら、携帯でブログを更新。
さっき会社のある駅を通過し、今、荒川を渡り終えたところ…。
明日からまた仕事。
脱・娘モードで頑張りまっす。


秋、み~つけた!

2005年10月10日 20時46分05秒 | Weblog
宇都宮市の博物館庭を散策。
大きな池、噴水、西洋式庭園から日本庭園が見られる庭である。
来るのは五年ぶり。
あまり変わっていない。
一部の葉は紅葉していた。
「秋、み~つけた!」

りんごの木

2005年10月10日 20時36分57秒 | Weblog
わんぱく公園で、りんごの木を発見。
地元の子供達が育て、収穫を楽しみにしているらしい。
ほんのり赤くなったりんご。
その重みで枝がしなる様子が美しい。
アダムとイブ、ニュートン、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」…りんごは歴史のある果物である。それ故、多くの伝記や物語に登場するのだろう。

数あるりんご作品の中でも、島崎藤村の「初恋」が好き。

まだ上げ初めし 前髪の
林檎のもとに見えし時
前にさしたる花櫛の
花ある君と思ひけり



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公園を散策

2005年10月10日 20時14分21秒 | Weblog
朝からどんより。
昼なのに肌寒い。
両親と「とちぎ わんぱく公園」に行く。
整備された公園である。
いたるところに花が咲き乱れている。
コスモス、おみなえし…。
入り口では木の化け物が迎えてくれる。
怪しい…。怪しすぎる…。

しかも彼は「私はこの森の主なんだよ」と自己紹介をしている。繰り返し繰り返し、アナウンスで。目を閉じたり開いたりしながら。
どう見ても「にこにこぷん」のカシノキおじさんのパクりだと思うよ。


餃子鍋

2005年10月09日 20時49分20秒 | Weblog
携帯から初更新。成功なるか?
宇都宮福田屋に母と行く。久々に行ったが混んでいた。
夕御飯は餃子鍋。母の手作り餃子と市販のうどんをぐつぐつ煮込んだ逸品。
ぽん酢で食べる。まいう~(´ー`)しかし、春菊が漢方薬風味で嫌だった。でも作ってくれた母に申し訳なくて言えなかった。
結婚式帰りの父が酔っぱらって人生とか仕事について語っていたが、酔っぱらっていてワケワカメだった。適当に相槌を打っていたらそのうち寝てしまった。
その姿は紛れもなく、先日死んだ「みなぞう君」そのものだった…。


マイアヒ>白線流し

2005年10月07日 23時59分37秒 | Weblog
「恋のマイアヒ」を歌っているオゾン。
19時からのMステスペシャルに出演!!
この番組に出演するために遥々来日したらしい。
今朝からずっと楽しみにしていた。
どんなに偉い要人の来日よりも、オゾンの来日は私の中で国賓クラスなんである。
(ここ最近は、マイアヒで目覚めているし…)

定時にそそくさとタイムカードを押し、コンビニでビデオテープを購入して帰宅。
ギリギリセーフ。

番組は「Mステ20周年」と銘打って、過去の映像もふんだんに放送されていた。
ゲストもそのVTRを観ているんだが、ルーマニア語を使用しているオゾンの皆さんは退屈していなかっただろうか。ちょっと心配。

今宵、もう一つ観たい番組があった。
「白線流し」である。
Mステはビデオ録画し、「白線流し」を観るつもりでいたが、結局Mステで大塚愛が歌っている途中で寝てしまった。
起きたら23時過ぎ。
ドラマはエンディングモードであった。スピッツの「空も飛べるはず」を聴きながら落胆…。

凹みながらも、ビデオでオゾンを拝見した。
生で歌っている姿を初めて観た。
けっこうなイケメンっぷりである。

渦中の「のまネコ騒動」、本人たちは知っているのだろうか。
そもそもこの曲がアジアの隅っこのこの小さな国で売れた経緯や理由を、彼らは知っているのだろうか。

今回の放送、ルーマニア語の歌詞テロップの上に空耳のフリガナが記載されていた。
テレビ朝日のその心意気に拍手。(しかし「米酒」にはなかった。)

恋する切ない気持ちを綴ったこの曲。
真剣に歌うオゾン。

なのに

「字べろ ゆび~ら まくまして ペンちら」

である。

彼らは何日ぐらい日本に滞在するのだろうか。
意外なものが爆発ヒットする不思議な国、日本。

そんな日本の良いところにたくさん触れて、ぜひお土産にして欲しい。

ポンキッキとリクルート

2005年10月06日 21時56分55秒 | Weblog
朝から神経をフルに使用したため、午後には腑抜になってしまった。
そんな私と反対に、山の朝みたいに曇っていた朝から一転、昼からは柔らかい日差しが顔を出した。

こんな日は箱根辺りの露天風呂でゆっくりしたいよなあ…。
もうすぐ紅葉シーズンだし。
彩り豊かな山々を眺めながら日本酒を一杯やるのもいいよなあ…。
でもせっかく箱根に来たのなら、彫刻の森美術館も行きたい。

小学校6年生の修学旅行で行ったのが最後だったっけ。
「ひらけ!ポンキッキ」で頻繁に彫刻の森美術館が出ていた。
幼稚園時代は登園前、小学校時代は長期休みの朝、決ってポンキッキを観ていた私。
「彫刻の森」現地に着いた時の興奮は未だに忘れられない。
真っ先に「しゃぼん玉のお城」に行き、「ここでガチャピンが!」など、騒ぎまくりであった。

その他、江ノ島水族館も大仏も行った筈なのに全く覚えていない。
全てはポンキッキに飲まれた…。

あの頃から、メディアの中に登場した場所に行くと興奮する体になったのかもしれない。
そんな少女は大人になり、映画のロケ地巡りを趣味とするのだが。

修学旅行の帰りの新幹線の中からリクルート社が見えたときの興奮も忘れられない。
当時、江副前会長の賄賂事件(リクルート事件)でニュース騒がせていたリクルート社。

栃木の純粋な小学生だった私は「テレビの中のリクルートが、今、目の前に…!」という幼い高揚を隠せなかった。
全面ガラス張りの近代的な建造物は幼心を揺さぶった。
あまりの騒ぎっぷりに、近畿日本ツーリストの添乗員さんに「え?そんなに珍しい?」と言われたことも覚えている。
その添乗員さんが新幹線で寝ていた時に靴を脱いでいて、足の指一本一本が分かれている奇妙な靴下を履いていたのも…覚えている。

なんて書いていたら、箱根に行きたくなってしまった。


バタン9の代償

2005年10月05日 23時47分34秒 | Weblog
東京は雨。
埼玉も雨だった。
秋の雨は嫌いではない。
秋雨の度に確実に気温は下がる。
夏の終りを後押しするかのようで、
暑いの苦手で秋マンセーの私にはウェルカムな恵みの雨である。

しかし、まだ衣替えをしていないことに気付く。

昨日はバタン9もいいとこで、なんと台所で寝てしまった。
アルコール入っていなかったのに…。
辛うじて靴は脱いでいたが。
今朝五時に嚔と共に目覚め、シャワーを浴びて…困った。困り果てた。

何を着ていこう…。

クローゼットの前で全裸でしばらく考えてしまった。
本格的に衣替えをしていないクローゼットは、まだ夏色一色なんである。

普段は前日に着るものを考え、アイロンをかけて寝るのであるが、昨日はバタン9であったため、用意していない。
とりあえず、クリーニングの袋を被っているスーツを取り出す。

生地がツィード…。
秋というより冬である。
生地が薄いスーツはアイロンがかかっていない。
これからかける時間もあまりないし、面倒だ。
っうことで、今日はツィードのスーツで出社。
暑かった…。夏を体感していた。

今週末は実家に帰るし、半日がかりの本格的な衣替え実施はいつになるんだろう。
謎。

あっ、そうだ。
吉熊の衣替えもしなくっちゃ…。
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