中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

便所飯

2009-07-10 09:35:42 | 身辺雑記
 何とも汚らしい語感の言葉だが、こんな言葉で表わされる現象(行為)があることを新聞の記事で初めて知った。読んでみると一驚もので、本当なのかと呆れてしまった。

 それによると、東京大学のある学生がキャンパス内の男子トイレで見つけた張り紙には、「トイレ内で以下のような行為を禁止します」とあり、「喫煙」「落書き」「食事」の写真があり、それらに大きくバツ印がつけてあった。喫煙や落書きは当然にしても、食事とはどういうことか。さらに「監視カメラ作動中」「違反者にはトイレ使用禁止などの処分を行います。東京大学」とあって、いかにも大学当局の張り紙と思わせるもののようだ。いくら何でもトイレに監視カメラはあるまいと思うが、大学側はもちろん否定し「学生のいたずらだろうか」と言っているようだ。

 便所内での禁止事項として「食事」などとあれば、いたずらとすぐ分かるだろうと思うことなのだが、実はトイレの個室で食事をするという常識としては考えられない行動は、「便所飯」「トイレ飯」と言われて学生を中心に若者の間に広がっているのだそうだ。類似の張り紙は東京大学だけではなく、関西や名古屋の大学のトイレでもあったそうで、インターネットを通じて広まったらしいから、便所飯は全国的傾向になりつつあるのかも知れない。

 それにしても、本来排泄を行う場所で食事をするとはいったいどういう神経なのかと呆れる。いくら近頃のトイレは水洗式で清潔で、かつての「便所」というようなイメージではないと言っても、しょせんは排泄の場だ。直前に誰かが使用していたかも知れないではないか。それへの抵抗感がないのは理解できない。私なら自分の家のトイレでも、食事どころか菓子を食べる気にもならない。それは清潔であるとかないとか言うことではない。心理的な制約だ。

 このようなこれまでの常識の埒外の行動は、最近の学生の中に見られる孤食の成れの果てのようだ。近頃は友達がなくキャンパス内で孤独であると、学生食堂などで1人で食べているのを見られるのが嫌で、「個室」であるトイレで食べるということになるようだ。孤独で人の目を気にする、このような若者が増えて「便所飯」ということが起こっているのだとすれば、これは一種の病理現象ではないだろうか。とにかく群れていなければ落ち着かず、疎外感を覚えるということが根底にあるのだろう。若い時代には時には孤独を楽しみ沈思するということがあってもいいと思うのだが、それはもはや非現実的なことなのか。

 青春まっただなかの若者、しかも大学生が、トイレにこもってぼそぼそと食事している姿は、おぞましいと言うか、薄気味悪いもので、それだけに留まっていれば滑稽だと済まされるかも知れないが、大阪大学でコミュニケーション論を担当しているある教授は、便所飯から始まって、退学や引きこもりに至ってしまう心配があるとコメントしているようで、そうかも知れない。