中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

頭髪の自由化(2)

2009-07-26 08:20:27 | 身辺雑記
 生徒と「対決」する当日、体育館に全校生徒が集合し、私はその前に立った。あまり緊張感はなかったように思う。どうせ反論は出るだろう、過激で攻撃的なものもあるだろうと予想はしたが、別に想定問答のようなことは考えなかった。今ではどのような遣り取りがあったのかはあまり記憶していない。どうせ教師は反対だろうと予想はしていたのだろうが、発言者は意外に冷静で、噛み付いてくるというような態度の者はなかった。床に座って聴いている生徒達の中から野次が飛ぶこともなかった。生徒の発言の中にはまことにもっともで、賛成論者の私はうっかりすると同調したくなるようなものはあっても、個人的な意見は出さないように注意したし、未熟な意見があっても揚げ足を取ってやり込めるようなことはしなかった。要するに君達の要求は受け容れられないということに徹した。それでもやはり私の言動は自己矛盾だという忸怩たる思いは消えなかった。

 やり取りの最中にふと気が付いたことなのだが、生徒の後方に立って聴いている教師が意外に少ない。生徒指導担当の者は参加していたとは思うが、多くの教師は出てこなかったらしい。賛成論者を自分達の反対意見の代表に送りだしながら、何だこれはとひどく索漠とした気分になったことを覚えている。集会が終わってから職員会議のあの反対意見は何だったのか、自分の代わりに意見を言ってくれるということに、後方にでも参加して支援するという気持ちにはならなかったのか、教師が全員参加したら生徒達を威圧すると考えて遠慮したのか、などとあれこれ考えたが、結局はこういう教師集団なのだと自分を納得させた。

 あれからもう40年近くたった。今ではあの生徒達のエネルギーが懐かしい。大学紛争は終結し穏やかな学園生活が戻ったが、代償として何か気が抜けたような雰囲気も醸成されてきて、学園祭などは屋台が盛んな単なるお祭り騒ぎに堕してしまった。高校も同じで、しかめっ面して議論し教師に挑んでくるような気風は失われて、どの学校も個性の乏しい雰囲気になってしまった。職員会議も教師が意見を述べ合う場ではなくなり、ただ「管理者」の学校長の考えを伝達する場になってきているようで、特に東京都などは徹底しているらしい。おそらくは教師たちも平凡な事なかれ主義的な雰囲気になり、個性的な教師集団を形成することなどはないのだろう。私はたぶん旧い考えの時代遅れの人間なのだろう。だから試行錯誤はあっても、教師も生徒も何か「自分達の学校」というものを心に描いていて、時にはぶつかり合うこともあったような気がする頃を懐かしく思う。

 ところで頭髪の自由化のほうは、その後どのような経緯があったのかは覚えていないが、時の流れだったのだろう、やがて認められて現在に至っている。自由化になるとさすがにちょん髷はないが、耳にかかるどころか肩のあたりまで伸ばすようにもなり、さすがの私もこれはどうかなと感じることもあったし、今頃は巷で見かける高校生の髪型には男子のものも女子のものも顔を顰めたくなるようにもなっている。とにかく高校生の髪型は清潔感のあるものがいいと思っているのだが、これももはや旧い考えなのかも知れない。