中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

制服

2009-07-31 08:27:02 | 身辺雑記
 前に書いたように、東京や大阪の公立高校では60年代末から70年代にかけて「服装の自由化」運動が起こり、その結果多くの学校で制服は廃止された。「自由」を主張する高校生にとっては、校則の根幹に位置しているとも言える制服は、自由を制約する象徴のように映ったのだろう。それはいささか近視眼的とも言えるし、自由とは何かをもっと掘り下げて考えればまた違った考えも生まれたのではあろうが、当時の高校生達が日常に埋没しないで自分達のことについて一度は疑って考えようとしたことは評価できたのではないかと思う。大阪の公立高校では今でも制服のないところがかなりあるとも聞く。私が住んでいる兵庫県では制服のない公立高校はないのではないか。私は基本的には私服でもよいのではないかと考えているが、おそらくそんな考えは論外で議論にもならないのかも知れない。

 とは言うものの、世界的にも学生の制服についての考え方はいろいろあるようで、ある学生服の企業のHPで『6ヶ国の高校生の制服に関する意識調査』という記事を見るとなかなか面白い。対象は日本、アメリカ、イギリス、オーストラリア、韓国、中国の高校生各100名の計600名。韓国や中国には制服があることを知っていたが、欧米でもあるのかと少し興味を惹かれた。以下要約する。

 制服の有無については、あるのが韓国97%、オーストラリア93%、中国92%、日本81%、イギリス73%となっていて、アメリカは11%と他の国に比べてぐんと少ない。オーストラリアが非常に高いのは意外に思った。

 学校の制服が好きかどうかについては、「好き」が最も多いのはオーストラリアで48.4%、「嫌い」が最も多かったのは中国で52.2%。日本は「嫌い」が最も少ない22.2%という結果になっている(日本では「どちらでもない」が53.1%と最も多い)。肯定する理由は欧米では「いじめを防ぐため」というのが多かったようだが、私服だと服装によって差別されたりいじめたりされるのだろうか。否定する理由はどの国でも「個性が表せない」があったようだ。これはよく聞かれる意見だが、そもそも個性とは何なのかと言うことにもつながることだろう。

 「学校指定の制服の必要性」については、「不要」と回答したのは日本が21.0%、アメリカ68.0%、イギリス32.0%、オーストラリア14.0%、韓国11.0%、中国16.0%。アメリカの制服否定は飛びぬけて高い。中国では「制服は嫌い」としながらも、「必要」という回答が約80%あるのは面白い。この調査をした企業は、「これらの違いは、国による文化や習慣の違いがもたらしていると思われます」と結論付けている。

 制服と言うと日本では男子は詰襟の学生服、女子はセーラー服かブレザーが多かったし、色も黒や紺が基調だったが、最近は男女ともに多様になってきている。とくにある時期に高校生が増えて新設校が多くなると、そのような学校ではかなり制服にも神経を使ったようで、いろいろなタイプのものが見られるようになった。特に私学では多様になり、それとともに制服も一種のファッションとして見られるようになったようで、「女子高校生制服図鑑」のようなマニアックなものも出るようになったし、変質的な売買の対象にもなっているようだ。

 制服に限らず服装というものはきちんとしていることが望ましく、成人社会の制服には乱れた着方は見られないし、許されるものではないが、高校生ではかなり乱れているのが目に付く。男子のネクタイ姿は多くなっているが、だらしなく緩めて、カッターシャツの裾をズボンの外に出していたりすると酔いどれを連想する。女子のスカートも極端にミニにしていたりして、修学旅行の団体を見ると、これが制服かと思われるくらい丈がさまざまな学校がある。学校側でももはや諦めて、ことさらに指導をしないで野放しにしているのだろうが、やはりきちんとした服装をすることを教えたほうがいい。そのほうがかえって、一人ひとりの個性が表れるように思うのだが。